リコリス・リコイルは作家性がない……わけない | 現代における作家性とは

2023年1月22日

 リコリス・リコイルは作家性がない(昔のアニメに比べて劣化している)的なことを述べているはてなエントリーを見て、衝動的にこのエントリーを書き始めました。

 リコリス・リコイルは作家性がない……昔に比べて劣化している……わけなくて、私自身は続きを作れるように締められたラストも含めて、過去のアニメ作品以上の、現代ならではの作家性を感じました。

 リコリス・リコイルは昔のアニメ作品と違って、監督ひとりの作家性で作られた物語ではありません。原案であるアサウラさんと足立監督の二方の作家性が見事に車の両輪となって、見たことのない世界を見せてくれた作品だったと思います。

リコリス・リコイルグッズ

そもそも作家性とは何か?

 辞書によれば作家性とは、『クリエイターが創作を手掛ける際に、作品にその人特有の個性やメッセージ性が特徴や作風となって現れるさま、その傾向』を指します。文脈によっては『個性的すぎてクセが強い作品・作者』の隠喩ともなるそうです。

 はてなエントリーては、作家性の劣化を示す例として、テーマ性で上の世代を超えてやるぞという気概が感じられないという記載がありました。作家性を『個性的すぎてクセが強い作品・作者』と捉えている節があります。

 しかしリコリス・リコイルは確実にアサウラさん足立監督の個性やメッセージ性が込められています(これから説明します)。なおかつリコリス・リコイルが凄いのは、個性やメッセージ性を前に出しながらも、その個性やメッセージが打ち抜いたのは、まさに今の世代が直面しているテーマだったということです。

 大衆にウケるような作品は、作家性がない……という考えでは作家性を見落とす可能性があります。自分の望むラストにならなかったから認めない、ではなく、正しく作家性を評価する必要があります。

 私自身、錦木千束は死ぬほうがテーマは浮かび上がるのではないか?と思った人間ですが、13話のラストに行き着いたロジックには納得しています。

 リコリス・リコイルの作家性は、第一話冒頭で示された世界観と、足立監督によって描かれた光、闇の3つの視点があります。それぞれ解説します。

 

第一話冒頭で示された世界観

「大きな街が動き出す前の静けさが好き。平和で安全、きれいな東京。日本人は規範意識が高くて、優しくて温厚。法治国家日本、首都東京には危険などない」

「社会を乱す者の存在を許してはならない、存在していたことも許さない。消して消して消して、きれいにする。危険は元々なかった」

「平和は私達日本人の器質によって成り立ってるんだ。そう思えることが一番の幸せ、それを作るのが私達リコリスの役目…なんだってさ!」(千束)

 この200文字足らずのフレーズに、とてつもない作家性とメッセージを感じました。アニメは3話まで見て切るかどうか決めろ言われますが、私は冒頭の2分で、リコリス・リコイルを見ると決めました。

 それぐらい完璧なフレーズです。

 なぜそう感じるかと言うと、日本の進むべき方向を端的に指し示しているからなんですよね。以下の動画で成田悠輔さんがおっしゃっていますが、少子高齢化して経済の先細りが見えている日本には、GDP以外の何か将来にわたって誇れる指標(社会価値KPI)が必要なんです。

 でなければ、毎年GDPが下がって、日本はどんどん悪くなるなと国民が意気消沈しちゃうからです。しかし未だ誰も、次の日本の目指すべき分かりやすい指標をつくりだせていないんです。日本の政治家や経営者、研究者がよってたかっても、です。

 けれど、リコリス・リコイルは見せてくれました。「治安8年連続世界一」これだよ!

 殺人を許可されてる女子高生というヤバい方法で実現してる点はもちろん問題だけど、方向性として治安世界一目指すのはアリじゃない?

 例えそれがジョージ・オーウェルの小説『1984』的なディストピアだとしても、可愛い女子高生が健気に殺しやって守ってるなら、日本人は受け入れるんじゃない?的なスタッフ(ここはアサウラさんかな?)の挑発的なメッセージも強烈です。

 かつてSFが、科学技術の数歩先の未来を描いていました。実際、それを実現しようと技術が発展していった側面もあるでしょう。ところが現代は、技術の進化が早すぎて誰も全体を把握できず予測もできなくなってきています。

 ですから、SFに求められる役割は、科学技術の未来ではなく、リコリス・リコイルが描いたような社会価値KPIとか、社会の仕組みの提案になるのではないかと考えています。

 そう考えると、リコリス・リコイルの提示した治安世界一、それを守るための武力組織設立というのは一つの先鋭的なアイデアです。そしてリコリスのような殺人鬼をつくりだすキモい組織側を正義として描いたのは初でしょう。DAが断罪されない点は、賛否両論あるようですが、先鋭的なアイデアは賛否両論あるものです。

 DAの立ち位置に関する賛否両論も含めて、私はこの冒頭の200文字にとてつもない個性とメッセージを感じました。この設定だけでいくらでも二次創作が作れますもの。これ、大発明じゃないでしょうか。

 

足立監督が込めた光のメッセージ

 次に、足立監督が込めた光のメッセージを紹介します。足立監督の込めたメッセージはわかりやすくて、安済知佳さんのインタビューで述べられている、下記のメッセージでしょう。

 人生はひとりひとりにあるもので、かつ有限なものなので、その時間をちゃんと豊かにしていく。やりたいことを犠牲にして、やらなくてはならないことに苦しむのではなく、ちゃんと両立して、みんなで人生を豊かにしていく。それって最高だな

 時間の制限で色々なことを諦めながらも、今を豊かに生きようとする千束。その千束がいたから、今を豊かにしてみようと考えた、たきな。

 綺麗に死にたがった千束にとって不幸だったのは、たきなが今まで自分の実力を信じ、あらゆる手段で目の前の困難を突破してきたことです。

 たきなは、自分の願いを実力で叶えてきた人で、やりたいことを犠牲にしない人でした。だから千束が死ぬのは嫌だと願った先に、千束の死にたい願望など無視して、生かそうともがきます。

 結果として、やりたいことを諦めた千束を、生き止まらせることができました。最後のアローハは、「やりたいことを犠牲にして、やらなくてはならないことに苦しむのではなく、ちゃんと両立して、みんなで人生を豊かにしていく。それって最高だな」の体現だと感じます。

 この足立監督のメッセージは、視聴者にめちゃ響きました。でないと、わずか放送半年でpixivの#リコリス・リコイルタグが22,000件も投稿されないですよ。

 

 また、リコラジの足立監督回を見てみると、「てめぇどこ中だこらー」だとか、笑いを随所に入れるのは、足立監督の個性のようでした。

 アサウラさんのダークな世界観に、足立監督のポジティブな個性とメッセージが加わって最強に見える!のがリコリス・リコイルの作家性ということです。

 

不可逆の喪失を与えることが作家性と勘違いしているケースがある(足立監督の込めた闇)

 魔法少女まどか☆マギカで、鹿目まどかが概念となってしまうことで、暁美ほむらの前から喪失してしまう展開に、作家性を感じたことがあります。

 しかし、キャラクターが死んだから、つまりダブル主人公のどちらかが欠けて完成する物語だから、無条件に作家性がある…というのは違うと感じます。

 不可逆の喪失は、視聴者にIfを考えさせますから、もちろん作家性のタネではあるのですが。不可逆の喪失を描くために、死は必須じゃありません。

 例えばリコリス・リコイルだって、不可逆の喪失があったキャラクターがいます。錦木千束です。これは足立監督の残した闇です。

 彼女は井ノ上たきなのおかげで、綺麗に死ぬという人生の目標をぶっ潰されました。人生を諦めていたからこそ他人に無償の愛を振りまけていた部分もあるはずです。

 しかし、人生の期限がなくなった最終回以後、錦木千束は聖母のような無償の愛を配り続けることができるでしょうか?

 以下のエントリーで書いたように、明るいタッチで化粧しているものの、錦木千束は堕天させられたのです。

 それこそまどマギで暁美ほむらが、鹿目まどかにしたことと同じことを、明るくハッピーエンドに見せかけて行った。私はリコリス・リコイルでこの部分に強い作家性を感じました。

 

現代の作家性は、テーゼを明確に伝えた上で、視聴者に考えさせること

 以上3つのメッセージについて紹介しました。最後にひとつ補足があります。現代において、作家性とはアーティストから一方的に与えられるものではないということです。

 ここで現代アートの考え方を紹介します。

 現代アートとは、受動的でなく能動的に疑問を持つことで完成する、鑑賞者とアーティストとの対話です。作品に疑問を持つことで完成するアートです。アートを楽しむためには能動的に作品を見て、作品の提示したテーゼ(命題、メッセージ)を読み取る必要があります。

 テーゼを読み取る…と言われると、アートに興味のない人には難しそうに感じるでしょうか。ですが安心してください。現代においては、作品のテーゼを視聴者にぼかして伝えるのではなく、明確に伝えてその先を考えさせる方向に変わっています。

 古い世代の目線で見ると、テーゼを明確に説明する時点で浅いと感じるかもしれません。創作者がネタバラシするのは、作品だけで表現できてないからだと怒る人もいるでしょう。ですが意図をネタバラシしていく流れは、止まらないと感じます。

 なぜならこの流れは、過去察する文化のおかげで有能然としてきた無能をあぶりだし、真の実力者だけが利を得る、超実力社会の流れだからです。

※意味深に見せかけて、他人に意図を察しされる人々って本当に優秀だったのか?の疑問については以下にも書いています。

 現代においては、テーゼを明確に伝えて、確かに良いね!と思わせられる人が優秀です。そしてリコリス・リコイルは、先ほどまで書いてきた3つのメッセージが(3つ目はちょっと読み取りにくいですが)、わかりやすく示されています。

 その結果もあってか、とてつもない数の二次創作が生まれ、キャラクターたちの空白やその後が描かれています。

 制作側が描いていない面をファンが埋める……それによって新たな視点や、エピソードがファンの間で共有されていく……この現代の作家とファンが双方向で作り出す作品全体のイメージ、超意図こそが現代の作家性と言えるのではないでしょうか。

※超意図って何か?については以下のエントリーを参考にしてください。

 私は、2022年のアニメの中では、リコリス・リコイルのメッセージ性がずば抜けていると感じます。シリーズものの続編や、原作付きのアニメではなかったので、時代を切りとれたということでしょう。展開が多少好みではなかったからといって、リコリス・リコイルを外して2022年のアニメを語るのは無しだと考えています。

 そしてもはやpixivで22,000件も作品が作り出されているリコリス・リコイルに作家性がないと言うのは難しい……そう私は考えています。

 

超意図を作り出してきたファンの考察

 最後に、私が感動したリコリコファンの考察を紹介してこのエントリーを締めます。どなたもとんでもない解像度で作品を理解して、作り出された解釈です。

 作家性は、作品を読むファンによって作られるものかもしれないと感じますね。

ここまで読んで頂きありがとうございました。
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