リコリス・リコイルは作家性がない……わけない | 現代における作家性とは
リコリス・リコイルは作家性がない(昔のアニメに比べて劣化している)的なことを述べているはてなエントリーを見て、衝動的にこのエントリーを書き始めました。
リコリス・リコイルは作家性がない……昔に比べて劣化している……わけなくて、私自身は続きを作れるように締められたラストも含めて、過去のアニメ作品以上の、現代ならではの作家性を感じました。
リコリス・リコイルは昔のアニメ作品と違って、監督ひとりの作家性で作られた物語ではありません。原案であるアサウラさんと足立監督の二方の作家性が見事に車の両輪となって、見たことのない世界を見せてくれた作品だったと思います。

そもそも作家性とは何か?
辞書によれば作家性とは、『クリエイターが創作を手掛ける際に、作品にその人特有の個性やメッセージ性が特徴や作風となって現れるさま、その傾向』を指します。文脈によっては『個性的すぎてクセが強い作品・作者』の隠喩ともなるそうです。
はてなエントリーては、作家性の劣化を示す例として、テーマ性で上の世代を超えてやるぞという気概が感じられないという記載がありました。作家性を『個性的すぎてクセが強い作品・作者』と捉えている節があります。
しかしリコリス・リコイルは確実にアサウラさん足立監督の個性やメッセージ性が込められています(これから説明します)。なおかつリコリス・リコイルが凄いのは、個性やメッセージ性を前に出しながらも、その個性やメッセージが打ち抜いたのは、まさに今の世代が直面しているテーマだったということです。
大衆にウケるような作品は、作家性がない……という考えでは作家性を見落とす可能性があります。自分の望むラストにならなかったから認めない、ではなく、正しく作家性を評価する必要があります。
私自身、錦木千束は死ぬほうがテーマは浮かび上がるのではないか?と思った人間ですが、13話のラストに行き着いたロジックには納得しています。
リコリス・リコイルの作家性は、第一話冒頭で示された世界観と、足立監督によって描かれた光、闇の3つの視点があります。それぞれ解説します。
第一話冒頭で示された世界観
「大きな街が動き出す前の静けさが好き。平和で安全、きれいな東京。日本人は規範意識が高くて、優しくて温厚。法治国家日本、首都東京には危険などない」
「社会を乱す者の存在を許してはならない、存在していたことも許さない。消して消して消して、きれいにする。危険は元々なかった」
「平和は私達日本人の器質によって成り立ってるんだ。そう思えることが一番の幸せ、それを作るのが私達リコリスの役目…なんだってさ!」(千束)
この200文字足らずのフレーズに、とてつもない作家性とメッセージを感じました。アニメは3話まで見て切るかどうか決めろ言われますが、私は冒頭の2分で、リコリス・リコイルを見ると決めました。
それぐらい完璧なフレーズです。
なぜそう感じるかと言うと、日本の進むべき方向を端的に指し示しているからなんですよね。以下の動画で成田悠輔さんがおっしゃっていますが、少子高齢化して経済の先細りが見えている日本には、GDP以外の何か将来にわたって誇れる指標(社会価値KPI)が必要なんです。
でなければ、毎年GDPが下がって、日本はどんどん悪くなるなと国民が意気消沈しちゃうからです。しかし未だ誰も、次の日本の目指すべき分かりやすい指標をつくりだせていないんです。日本の政治家や経営者、研究者がよってたかっても、です。
けれど、リコリス・リコイルは見せてくれました。「治安8年連続世界一」これだよ!
殺人を許可されてる女子高生というヤバい方法で実現してる点はもちろん問題だけど、方向性として治安世界一目指すのはアリじゃない?
例えそれがジョージ・オーウェルの小説『1984』的なディストピアだとしても、可愛い女子高生が健気に殺しやって守ってるなら、日本人は受け入れるんじゃない?的なスタッフ(ここはアサウラさんかな?)の挑発的なメッセージも強烈です。
かつてSFが、科学技術の数歩先の未来を描いていました。実際、それを実現しようと技術が発展していった側面もあるでしょう。ところが現代は、技術の進化が早すぎて誰も全体を把握できず予測もできなくなってきています。
ですから、SFに求められる役割は、科学技術の未来ではなく、リコリス・リコイルが描いたような社会価値KPIとか、社会の仕組みの提案になるのではないかと考えています。
そう考えると、リコリス・リコイルの提示した治安世界一、それを守るための武力組織設立というのは一つの先鋭的なアイデアです。そしてリコリスのような殺人鬼をつくりだすキモい組織側を正義として描いたのは初でしょう。DAが断罪されない点は、賛否両論あるようですが、先鋭的なアイデアは賛否両論あるものです。
DAの立ち位置に関する賛否両論も含めて、私はこの冒頭の200文字にとてつもない個性とメッセージを感じました。この設定だけでいくらでも二次創作が作れますもの。これ、大発明じゃないでしょうか。
足立監督が込めた光のメッセージ
次に、足立監督が込めた光のメッセージを紹介します。足立監督の込めたメッセージはわかりやすくて、安済知佳さんのインタビューで述べられている、下記のメッセージでしょう。
人生はひとりひとりにあるもので、かつ有限なものなので、その時間をちゃんと豊かにしていく。やりたいことを犠牲にして、やらなくてはならないことに苦しむのではなく、ちゃんと両立して、みんなで人生を豊かにしていく。それって最高だな


時間の制限で色々なことを諦めながらも、今を豊かに生きようとする千束。その千束がいたから、今を豊かにしてみようと考えた、たきな。
綺麗に死にたがった千束にとって不幸だったのは、たきなが今まで自分の実力を信じ、あらゆる手段で目の前の困難を突破してきたことです。
たきなは、自分の願いを実力で叶えてきた人で、やりたいことを犠牲にしない人でした。だから千束が死ぬのは嫌だと願った先に、千束の死にたい願望など無視して、生かそうともがきます。
結果として、やりたいことを諦めた千束を、生き止まらせることができました。最後のアローハは、「やりたいことを犠牲にして、やらなくてはならないことに苦しむのではなく、ちゃんと両立して、みんなで人生を豊かにしていく。それって最高だな」の体現だと感じます。
この足立監督のメッセージは、視聴者にめちゃ響きました。でないと、わずか放送半年でpixivの#リコリス・リコイルタグが22,000件も投稿されないですよ。
また、リコラジの足立監督回を見てみると、「てめぇどこ中だこらー」だとか、笑いを随所に入れるのは、足立監督の個性のようでした。
アサウラさんのダークな世界観に、足立監督のポジティブな個性とメッセージが加わって最強に見える!のがリコリス・リコイルの作家性ということです。
不可逆の喪失を与えることが作家性と勘違いしているケースがある(足立監督の込めた闇)
魔法少女まどか☆マギカで、鹿目まどかが概念となってしまうことで、暁美ほむらの前から喪失してしまう展開に、作家性を感じたことがあります。
しかし、キャラクターが死んだから、つまりダブル主人公のどちらかが欠けて完成する物語だから、無条件に作家性がある…というのは違うと感じます。
不可逆の喪失は、視聴者にIfを考えさせますから、もちろん作家性のタネではあるのですが。不可逆の喪失を描くために、死は必須じゃありません。
例えばリコリス・リコイルだって、不可逆の喪失があったキャラクターがいます。錦木千束です。これは足立監督の残した闇です。
彼女は井ノ上たきなのおかげで、綺麗に死ぬという人生の目標をぶっ潰されました。人生を諦めていたからこそ他人に無償の愛を振りまけていた部分もあるはずです。
しかし、人生の期限がなくなった最終回以後、錦木千束は聖母のような無償の愛を配り続けることができるでしょうか?
以下のエントリーで書いたように、明るいタッチで化粧しているものの、錦木千束は堕天させられたのです。
それこそまどマギで暁美ほむらが、鹿目まどかにしたことと同じことを、明るくハッピーエンドに見せかけて行った。私はリコリス・リコイルでこの部分に強い作家性を感じました。
※生き急がなくていいし、気を遣い続けなくてもいいし、聖母のままじゃなくていい。それは現代人に対するメッセージでもあったのかなと思います。
現代の作家性は、テーゼを明確に伝えた上で、視聴者に考えさせること
以上3つのメッセージについて紹介しました。最後にひとつ補足があります。現代において、作家性とはアーティストから一方的に与えられるものではないということです。
ここで現代アートの考え方を紹介します。
現代アートとは、受動的でなく能動的に疑問を持つことで完成する、鑑賞者とアーティストとの対話です。作品に疑問を持つことで完成するアートです。アートを楽しむためには能動的に作品を見て、作品の提示したテーゼ(命題、メッセージ)を読み取る必要があります。
テーゼを読み取る…と言われると、アートに興味のない人には難しそうに感じるでしょうか。ですが安心してください。現代においては、作品のテーゼを視聴者にぼかして伝えるのではなく、明確に伝えてその先を考えさせる方向に変わっています。
古い世代の目線で見ると、テーゼを明確に説明する時点で浅いと感じるかもしれません。創作者がネタバラシするのは、作品だけで表現できてないからだと怒る人もいるでしょう。ですが意図をネタバラシしていく流れは、止まらないと感じます。
なぜならこの流れは、過去察する文化のおかげで有能然としてきた無能をあぶりだし、真の実力者だけが利を得る、超実力社会の流れだからです。
※意味深に見せかけて、他人に意図を察しされる人々って本当に優秀だったのか?の疑問については以下にも書いています。
現代においては、テーゼを明確に伝えて、確かに良いね!と思わせられる人が優秀です。そしてリコリス・リコイルは、先ほどまで書いてきた3つのメッセージが(3つ目はちょっと読み取りにくいですが)、わかりやすく示されています。
その結果もあってか、とてつもない数の二次創作が生まれ、キャラクターたちの空白やその後が描かれています。
制作側が描いていない面をファンが埋める……それによって新たな視点や、エピソードがファンの間で共有されていく……この現代の作家とファンが双方向で作り出す作品全体のイメージ、超意図こそが現代の作家性と言えるのではないでしょうか。
※超意図って何か?については以下のエントリーを参考にしてください。
私は、2022年のアニメの中では、リコリス・リコイルのメッセージ性がずば抜けていると感じます。シリーズものの続編や、原作付きのアニメではなかったので、時代を切りとれたということでしょう。展開が多少好みではなかったからといって、リコリス・リコイルを外して2022年のアニメを語るのは無しだと考えています。
そしてもはやpixivで22,000件も作品が作り出されているリコリス・リコイルに作家性がないと言うのは難しい……そう私は考えています。
超意図を作り出してきたファンの考察
最後に、私が感動したリコリコファンの考察を紹介してこのエントリーを締めます。どなたもとんでもない解像度で作品を理解して、作り出された解釈です。
作家性は、作品を読むファンによって作られるものかもしれないと感じますね。
たきなが射出したワイヤー、巻きついた箇所によっては糸が張り詰めた際にかかる衝撃で千束の体を容易に切断していたのは間違いないし、だからこそ『防弾仕様の鞄が衝撃をうまく吸収するように』巻き付けているのが滅茶苦茶すごい たきなのことだからあの土壇場で狙ってやったんだろうし…マジで惚れる
アニメ系YouTuberのはなげっていう人が、3つ目のキービジュアルの吉松と千束にだけ彼岸花が写っていてその2人が死ぬ説っていうのがあったけど13話のアイキャッチでたきなが千束から彼岸花を取ってあげたから千束が生存したっていう考察めっちゃ納得した
「チャンスは必ず来る、その時したいことを選べばいい」 11話で選べましたよ、たきなはあなたを選んだよ She made her choice, Chisato. She chose you.
私は殺しすぎて ここを一度クビになってまして 割と外の暮らしも楽しかったんで またクビになるのも良いかなぁと思って →美味しすぎる昨日から4時間目味わってる
ここのたきなって明らかに笑ってるんだよね。本当にこのハゲを脅かすつもりだけの発言だったら(そして今正気なら)普段通りの無表情だったと思う。私はこれ、楽しかった日々と思い出を振り返ながらその中の千束を見て笑っているもので、ハゲに対してではなく、狂気の独白だと思ってる
フキが好きすぎて3話を見直していて、9話視聴後の今、台詞と行動にムム?って思うところがあって考えてみたんだけど、そしたらますますフキが好きになっちゃったから語らせて。
1 子供の頃から化け物じみた強さの千束を知ってて、今も並んで行った測定でその身体能力を間近で見て圧倒的な能力差があるのをわかっていて、何でこのタイミングで、たきなを煽って楠木司令の前で「模擬戦」なんか挑む事にしたのか。唐突な模擬戦への持って行き方が不自然。フキの勝ち目薄いのに。
2 「てか、それがわかってるならフキも協力してよ」 「それは上層部が決める事だ」 フキはたきなだけが任務失敗の責を負わされた形になっている事に、後ろめたい思いもあると思う。 模擬戦は、フキが上層部=楠木司令にたきなの有用性を見せてDAに必要とされる戦力だと認識させようという計らいか。
つまり模擬戦提案は、フキなりの千束の協力要請へのアンサー。 「離せよ」 「あ、ごめん」 フキの事を良く知る千束が、この思惑を瞬時に理解し、即興の芝居に乗ったあと、終了しても胸ぐら掴んだままだったから出た台詞なんだって考えると、ここの2人のやり取りというか千束の軽さが腑に落ちる。
あそこの一幕は全部フキと千束による、たきなに活用の場を与えるための茶番劇。 って考えると、ファーストリコリスの先輩2人に思われているたきなさん贅沢。
4 「あいつは任務以外で戦えるような奴じゃない。」 たしかに1話のたきな=フキの知ってるたきななら、「先輩のかわいがり」的な無駄な模擬戦吹っかけられても「その必要性を感じません」とか無表情で断りそう。フキが散々煽り散らかしたのは、千束を動かしてたきなが参戦する流れを作ったんだね。
5 「んだとテメェどこ中だコラァ」←完全ふざけてる はい茶番の証拠。 クソガキムーブかまし合いも、さくらの「あんたら仲良いっすね!」の一言に集約されてるけれど、姉妹喧嘩のような呼吸、気の置けない仲だからできる芸であって、フキも千束もお互いこれが「仕込み」だってわかってる。
6 千束がたきなを追いかけて行った後、フキが楠木司令に模擬戦観戦してもらうため「サクラをはじめ、千束の動きや戦い方を知らないリコリスが増えてきました。全リコリスを招集し模擬戦の観戦をさせてはいかがでしょうか。」くらい進言したかも。 じゃなきゃ忙しい司令がわざわざ喧嘩の観戦せんよね。
7 「待ってんだろ。そういう奴だ。」 「そういう奴」=「舐めプする奴」じゃなくて「仲間を信じる奴」 たきなの実力をみせるために、この模擬戦に参加してほしいけど、フキの知ってるたきなだったら来ないかもしれない。 でもフキも信じてるんだよね。 千束が待ってる奴なんだから来んだろ、って。
8 で、その待ってたたきなが来たけど、後ろから雄叫びをあげて突っ込んできた挙句、撃つのではなくまず「殴りに来た」のはきっとフキの予想外。 平時のフキならあの攻撃は避けられたんじゃないかな。 あれだけ目視できていて間もあったんだし。 千束が「やるなぁ」って認める戦闘力のフキちゃんだし。
9 フキの下についていた頃のたきなはもっと「正確な射撃で合理的かつ冷静」な戦い方をする子だったんだろうね。 たきなが突っ込んでくるのを確認して銃撃の応戦しようとしたけど、まさかのたきなの「ブン殴るモーション」があまりにも意外すぎて、え!?って虚を突かれちゃってる。
10) 多分「まずブン殴る」じゃなくて普通に銃撃戦になってれば、もっとフキも上手く応戦して、たきなの強さや巧さを引き出してあげれただろうに。 たきな売り込みのために、はなから負けがわかってる模擬戦提案して汚れ役かぶってやってんのに、当の本人にはその作戦の意図が全然理解されていないし
11) 千束を挟んで撃ち合いになって、多分フキは躊躇したのに対したきなは千束ごと(千束が絶対避けると計算した上でだけど)撃ってくるし。 挙げ句「これでおあいこですね」って言われたら。 「やっぱりお前、つかいものにならねぇリコリスだよ」 イラッとしたよねー
たきな最初は小走り だけど雪が降り出して嬉しくなって千束の方を振り向いて目を合わせる その後はゆっくり歩くんだよね この描写だけで、たきなは千束と一緒に雪が見れたことが何よりの幸せで、心の底から満足したような気持ちが伝わってくる 何より振り返る顔が本当に嬉しそう
千束の「両親がどちらも男性」「黒人と白人の両親」「片方の父は出て行ってしまい現在片親」という環境を特別なものや異質なものとして描かずに自然なものとして当たり前のように描いてるのほんと好き
千束は自分の定めを受け入れて今を楽しもうとしてるし、そういう意味では千束の物語は既に完結していて、余命2ヶ月だろうとなんだろうともうエンディングなんだよ でもそれを、他ならぬ千束に救われたたきなが許さない、たきなにとってのエンディングは千束と一緒以外あり得ないって構図なの本当良き
リコリス・リコイル 1話 千束とたきなの背景にリンゴが2つ、結婚相手が居ないと嘆くミズキとは対照的に、禁断の果実を食べたアダムとイヴを思わせる。 同時に、禁断の果実は「善悪の知識の木」を、彼岸花は「善悪の彼岸」を指し、善悪で物事を計る既存の価値観を打ち破る作品に受け取れた。
ちさたきメリーゴーランド、第3話では「今は前に進む時」とたきなさんに言いつつ、千束さん本人は反時計回りに回ってるけど、最終回ではまるで自身の時間も進めるかのように時計回りにぐるぐる回ってるの良いですわね
リコリコいっちゃん最初に全部見た時、錦木→井ノ上の矢印は確かに見えるんだけど、それがどうにも母性に見えたのよね。でもひとしきり論文書いて思ったんだけど、そりゃ置いてくって分かってたらそうなるわな。自分は確実に先に逝く。それでもこの子が生きていけるようにって親は子を育てる訳じゃん
ほんこれ。やりたい事最優先〜とか、世界がどうとか知らんわ~とか言いながらも「必要としてくれた人に覚えてて欲しい」っていう諦めから来る寂しさを感じてるから、最後まで明るく振る舞うつもりだっただろ錦木ぃ!そういうとこだぞ!
みやぶんびー@ohmiyamiyamiyaリコのいちばん好きなところは、最後の最後まで錦木を光として描き切ったところ。あくまで視聴者には外面しか見せなかったところが錦木千束の罪深さを逆に克明に滲みださせてると思う
たきなちゃんの筆跡で性格診断見てたんだけど、当たってる当たってないよりも、綺麗な字書きそうな顔してるくせに意外とクセのある字を書くことに気づいて無限に可愛いと思いました。「たきな」の「き」の書き方可愛すぎじゃない???
リコリコ終わってからずっと“花の塔”をヘビロテしてますにゃ 2番の歌詞がエモすぎて辛い “高く聳え立った塔の上”は言わずと知れた「延空木」 “手も声も届かない” は真島が電源切った状態 その後に続く“飛ばすフウセンカズラ”がヤバいんですにゃ!
フウセンカズラの花言葉はいくつかあるけど 『自由な心』 それははまさに、千束の生き様そのもの そしてもう一つ 『永遠にあなたとともに』 これはたきなの感情そのもの! 足立監督とさゆりさん、一体どこまで擦り合わせてたのか分からないけど、こんな完璧なed、なかなかないですにゃ!
たきなの行動原理の1番根底にあるのって千束の言葉の影響なのでは?ってなってる、新しい居場所試してみないって言ってくれたリコリコを守りたいし命大事にだから助けたいしやりたいこと最優先って言ってたから全部いいですねって返すし相棒って言ってくれたからついて行く、もっと怒って泣いてほしい
あの塔で真島と一緒に身投げをして死ぬつもりでしかなかった千束を空っぽな死にぞこないに変えてしまったのは最後まで諦めないことを選んでいた井ノ上たきな側の責任でしかないので、だから彼女はその責任を取って千束の『諦めてたこと』にも一緒に付き合うんだぜ、という締め方、クッソ綺麗かもしれん
リコリコの最大のメッセージは「世界を好みの形に変えてる間に、おじいさんになっちゃうぞ」だと思ってて、だからあの世界が急激に変わらないのは誠実な展開だと思ったなぁ。 たしかに社会に問題はあるけど、それを個人で思い詰めて無理に変えようとしてしまうと真島になってしまうんですよ。
千束が変えたのはたきなの世界 たきなが変えたのは千束の世界 そう思わせてくれる2人の時間が何よりも尊く素晴らしかった。 1話を彷彿とさせる構図や最後までブレない『日常』の締め括りがリコリコだなぁ。 最高の時間をありがとう。
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