「意味深に見せかけて視聴者に考えさせる」手法について
Twitterで「意味深に見せかけて視聴者に考えさせる」手法について、面白い議論がなされていたので想うところを書きます。私も那智ユリカさんの意見に賛成で、「意味深に見えていたけど実はそこに何もなかった」とバレた。だからこの手法が廃れていったのだと考えています。
そして更にいうと「実力者に見せかけていたけど、実は実力者ではなかった」という話もあると考えています。(もちろん押井守監督がそうだというわけではありません)
というのも私は「意味深に見せかけて視聴者に考えさせる」手法と似たようなものを、職場で見たことがあるからです。
相手の解釈を自分の解釈のように見せかける人々
私が職場で見た「意味深に見せかけて視聴者に考えさせる」人は、以下のようなムーブを行います。
・相手は私に曖昧なことをいう。
・そのままでは話が進まないので私がこういうことかと解釈を返す。
・相手はそうですと肯定する。
もしくは
・相手がある問題に対してどう思います?と聞く。
・私がある問題に対して〇〇という意見をのべる。
・相手が〇〇ですよねと質問する。
・私がそうですと肯定する。
・相手はまるで自分が発案だったかのように振る舞う。
両方のムーブに共通するのは、自分の考えはない(もしくはまとまっていない)こと、相手の解釈を自分の解釈のように見せかけることです。
このムーブをされる方はたまったもんじゃないのですが、ようは自分より優秀な人をサポーターとして近くにおいておき、優秀な人の解釈を自分の解釈のように見せかけることで、周囲の評価を得る技です。
※素晴らしい処世術なので、身につけておいて損はないです笑(ただし、評価する側も優秀な人だった場合は見抜かれます)
そしてこの「相手の解釈を自分の解釈のように見せかける」技と、「意味深に見せかけて視聴者に考えさせる」技って同じ原理なんです。
押井守監督がそうだとは決していいませんが、あの意味深な作品が溢れた時代(エヴァの1995年から2000年頃まででしょうか)、実力はなかったが意味深なものを作ったことで、実力者っぽく振る舞っていた人も確実にいたと考えます。
聞き手側が頭を使う時代から、聞き手側に頭を使わせない時代へ
なぜ、1995年から2000年頃の作品は、そんな意味深なことをしていたのか。
なぜ、私が職場で見てきた1960年代生まれ、1970年代生まれの人たちも同じように「相手の解釈を自分の解釈のように見せかける」ムーブをするのか。この原因は「意見をはっきり言えない時代だった」ためだと考えています。1960年〜1980年前半生まれの人というのは、まだまだ年功序列、体育会的な上下関係の強固だった時代に青春時代を過ごされました。ですのでズバッと意見を言うのが苦手な人が多かったと、話してくれた人が多いです。
そこから察するに、「意見をはっきり言えない時代だった」ために曖昧なことを言って、相手の解釈を導き出し、そうだと肯定しているうちに、すげー!と勘違いされる人も出てきたのではないかと思います。話し手が意味深で曖昧なことを言うのが当たり前だったので、聞き手側(視聴者側)が頭を使う時代でした。
一方で現代は、意見をはっきり言える時代です。聞き手側(視聴者側)に頭を使わせない配慮が求められます。
例えば「鬼滅の刃」の竈門炭治郎は「ダメだ、全然状況が変わってない! 気合だけではどうにもならない。頭だ、気合と共に、頭も使うんだ!」などと、状況説明のような台詞で、いまがどういう状況かを語ってくれます。曖昧な言葉で、視聴者に誤った解釈を与えない配慮に思います。
当時と今と、どちらの作品がすごいか?
聞き手側が頭を使う時代だった当時の作品(エヴァなど)と、聞き手側に頭を使わせない現代の作品(鬼滅の刃など)を比べて、どちらのほうがすごいか? これはもう視聴者の感性によるものだと感じます。
ですが現代の作品のほうが、聞き手側に頭を使わせないための配慮がなされていて、面白さや感動がわかりやすいです。また、テンプレートや物語の類型、感動や面白さに対する研究は現代のほうが進んでいます。それを活かして作品を作っている人々は、私個人的には、間違いなく昔のクリエイターより優秀だと感じます。
つまり「機動戦士ガンダム 水星の魔女」のように、素直に見てもわかりやすくて面白いのに、深読みするともっと面白い……という聞き手が頭を使わなくても使っても面白いハイブリッドな物語を目指すのが、現代のベストではないでしょうか。
水星の魔女、作り手視点だと。
キャラ単位の性格や背景の理解から、作中陣営の思惑から、戦闘の駆け引き、展開予想まで。
「視聴者が素直に想像する誤った第一の予想」
「あまり考察しなくても分かる真相・真実」
「深く考察するとやっと分かるさらなる深層」
を多層的に用意してるんだよな……。
多層的な物語を用意して、多くの視聴者が楽しめる作品を作ること。それが現代で一番もとめられているのかもしれませんね。
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