「なろうデビューに未来は無い」本当に?考えれば考えるほど……へのご反応【私の立ち位置表明】

2020年9月1日

「なろうデビューに未来は無い」本当に?考えれば考えるほど……

 この記事に様々な意見をいただき、ありがとうございます。

 多様性が肝心だよねと感想をくださる方もいれば、公募を貶めすぎて変な作品が増えたら困るという方もいらっしゃって、様々な意見があって面白いなと感じつつ、読ませていただきました。

 公募を貶めすぎじゃないかという意見は、確かにごもっともで、私自身狙って書いた部分もあります。では、なぜそういった書き方をしているんだと気にされる方もいらっしゃると思いますので、補足エントリーを書かせていただきます。

絶対正しい意見なんてないから、新しい側に立つ

 私が常々心に留めていることがあります。

 それは、この世に絶対正しい意見なんてないということです。コインに裏表両面がある通り、意見Aの良い点は意見Bの悪い点であり、逆もしかりなんです。

※例えば、あるライトノベルで、難しくてカッコいい漢字がたくさん使われているとします。これを重厚感がある作品だと評することもできれば、読みにくい作品だと評することもできます。

 つまり、ふたつの意見がある時、どちらを正義にすることも簡単にできるということです。

 なろうデビューに未来は無いという議題の場合、多くは公募デビュー側か、なろうデビュー側の二つの立場のどちらかに立って話をしますよね。
 このとき公募側にたってなろうデビューを叩くこともできれば、なろうデビュー側に立って公募側を叩くこともできるわけです。

 一般的に、古き良き時代を過ごしてきた側が、新しい側をトコトン叩くのが常です。権威も実績もありますし、何より古き良き側が作り出してきた時代の流れや風評もありますから、そもそも議論を始めた時点で古き良き側に有利になっちゃう。

 だけど私は、新しいアイデアこそが未来を創ると考えています。なので私は新しい側に立って、古き良き側に反対意見を投じました。

 古い側は、私のような雑兵が擁護しなくたって、擁護する人たちがいっぱいいます。しかし新しい側はそうではないと思います。私は常に新しい人たちを応援して行きたいと感じます。

 人が新しい人たちを応援できない理由はいっぱいあると思います。新しい人たちが苦しんでいる様子を見ると、やめとけばいいのにといいたくなる気持ちは凄いわかりますからね。

 けれどまあ、新しい側が決定的に間違えたら、それはそれで、頑張った結果でいいじゃないかと感じます。そこから失敗の原因を学びとる必要はありますけれど。

 なにせ、間違っている側を応援した過去があるからといって、私の汚点になるわけじゃないのですから、ひとまず応援してあげればいいんじゃないかな?(世の中には過去、間違った側を応援したことを、ネチネチ責める人もいるようですけれどね)

ポスト・トゥルース

 私は、先程書いたように、絶対正しい意見なんてないという前提に立ち、多様な意見を受け入れる優しさが大事だと思います。

多様性にあふれる社会では、優しい作品を書こう

 ポスト・トゥルースという言葉があります。言葉の定義は下記の通り、制作の詳細や客観的な事実より、作り出されたイメージが優先される政治文化です。

ポスト真実の政治(英: posttruth politics、真実後の政治)、ポスト事実の政治(英: post-factual politics)とは、政策の詳細や客観的な事実より個人的信条や感情へのアピールが重視され、世論が形成される政治文化である。

ポスト真実の政治 – Wikipedia

 何が真実かは、どんどんと、わからない時代になっていきます。

 そのような社会で生活する以上は、物事を一面からとらえるのではなくて、別の面からも肯定的にとらえることが大事だと思います。

 特に立場の弱い人たち……なかでも若い新しい人達の意見には、耳を傾けてあげてほしいと思います。殆どの場合ですが、若い人たちの意見にはキラリと光るものがあります。
※私のように腎移植したマイノリティの意見にも、少しは光る部分があると思っています。
腎移植を受けた人間からの激励

 自分の常識すら疑って、広い視野を身につけていくことが大事なのかな、と考えてます。