創作ネタ | 「中学生で書籍化!すごい!」作品そのものではなく、作った人で評価する風潮がある?

2021年8月9日

 Togetterで興味深いまとめがありましたので、シェアします。

「中学生でこれ作れるのすごい」作品そのものではなく、作った人で評価するのは最近の風潮?作品と作者と評価について

「聴く前から神曲だと分かる」といい、「中学生でこれ作れるってすごい!」といい、ボカロ曲を曲そのものではなく作った人で評価する最近の風潮に少し危機感を感じている

 元ツイートはボカロ界ですが、小説界隈でいえば、「中学生で書籍化!すごい!」といった表現になるでしょうか。本エントリーでは、こちらの風潮について書いてみます。

 

作った人で評価する風潮とは?

 ボカロ界隈ではありませんが、作品ではなく、作った人で評価する風潮は、はるか昔からありました。

 「暁なつめ先生の新作、読んでないけど面白そうだ」とか「Lisaの新作だから、聴く前から神曲だと分かる」といった評判を聞いたり、Official髭男dismの新曲だから聞かないととか、庵野秀明監督の新作だから見ないととねといったお誘いは、誰もが経験あるのではないでしょうか。

 こういった空気を作り出しているのは「実績による信頼」と「作者の目新しさ」です。

 まずは「実績による信頼」について小説を例に説明します。例えば「暁なつめ先生の新作、読んでないけど面白そうだ」となるのはこの素晴らしい世界に祝福を!がずっと面白かったからですね。これが「新人の〇〇の新作、読んでないけど面白そうだ」とはならないです。これは「実績による信頼」がないからですね。

 次に「作者の目新しさ」について小説を例に説明をします。例えばこのエントリーのタイトルの「中学生で書籍化!すごい!」といった評判ですね。これは「実績による信頼」がないケースで使われます。
 「中学生が書籍化できるはずがない」という常識をひっくり返した目新しさが、人を惹きつけます。「偏差値30から東大」とか、「女子高生社長」とかも同じです。「できるはずがない」という思い込みをひっくり返した「作者の目新しさ」がありますね。

 

作った人で評価する風潮ができる理由は?

 冒頭でご紹介したツイートは、ボカロ好きの方の感想でした。

 ということは、ボカロ界隈で「作った人で評価する風潮」ができてきたのは最近なのでしょう。もちろん、前からあったという声も聞かれますけども。

 私などがリアルタイムで体験したボカロ黎明期(メルトなどが流行っていた頃)に、「作った人で評価する風潮」はあまりありませんでした。

 あまりと書いたのは、「実績による信頼」はあったためです。例えばryoさんの新曲なら間違いないとか、ジミーサムPや19’s Sound Factoryの曲ならとりあえず聞いとくかーとの風潮はありました。

 ですが「作者の目新しさ」はピックアップされませんでした。

 理由としては3点あると考えています。1つ目はボカロという業界自体が若かったこと。2つ目は作品数が全て見切れるレベルの量だったこと。3つ目は視聴者の趣向が一致していたこと。です。

・ボカロという業界自体が若かった。

 ボカロを使った楽曲の全てが目新しく、とりあえず聞いとくかーを誘発しやすかった。

・作品数が全て見切れるレベルの量だった。

 裾野が広がり作品数が多くなりすぎると、良作の絶対数が増えます。しかし、視聴者は良作と言われている作品を見逃したくありません。ですので、「実績による信頼」で、ハチ(米津玄師さんの旧活動名)の作品は見ようとなります。

 そういった「実績による信頼」を得た作品が多くなりすぎると、「実績による信頼」のある作品の絶対数が増えます。
 すると視聴者は、もはや実績のない作品を見る時間がありません。

  そこで「作者の目新しさ」がピックアップされてきます。作家サイドやファンサイドから作家の若さや属性を使ったPRが行われ、別の視聴者を惹きつけて、実績を積み重ねていく流れが生まれます。作品そのものではなく作った人で評価するので、良作が日の目を見ずに埋もれる可能性があります。ボカロ黎明期、名曲は、多少タイミングが遅れても発掘される風潮がありました(Dearなど)。

・3つ目は視聴者の趣向が一致していた

 これはボカロ黎明期のニコニコユーザ特有かもしれませんが、視聴者の趣向が似ていたように思います。

 というのもボカロ黎明期はニコニコ黎明期。ユーザは20代から30代のどちらかというとオタクに理解がある人々で、好みの音楽も似通っていたように思います。J-POPかロックを作っておけば聞いてくれるような風潮がありました。ボカロはひとつのジャンルであり、勝手に分けないでくれという話もあるでしょう。

 そこを承知で話をすると。私はボカロ界隈ってJ-POPやロックに始まり、EDMに手を伸ばしていったように感じます。EDMっぽい曲が上位に登ってきて、少し時代が変わったなと感じて、私はボカロを離れました。自分の趣向じゃない曲は聞くのをやめるということです。

 つまり、ボカロ黎明期は視聴者の趣向が一致していたため、J-POPかロックを作っておけば誰かが聞いて、ピックアップしてくれました。しかしJ-POP/ロックミュージックを好む人以外が参入し、音楽のジャンルが分かれると、「作者の目新しさ」でもないと、別のジャンルを聞きません。あまりにもジャンルが増えると見つけてもらうために「作者の目新しさ」を利用する必要が出てくるという理論です。

 

 

 ここまで3点、ボカロ黎明期に「作者の目新しさ」がピックアップされなかった理由を上げました。

 いまは「作った人で評価する風潮が生まれている」とすると、業界が成熟してきて、作品の絶対数やジャンルの数が増え、良作を見つけるための労力が多大になってきているため、作った人で評価するしかないのかもしれませんね。

 

作った人で評価する風潮ができると何が悪い?

 ここまでボカロ界隈の話を続けてきました。しかしながら、得られた結論は他の分野でも共通する知恵になります。

 つまり、作った人で評価する風潮ができるのは、「業界が成熟してきて、作品の絶対数やジャンルの数が増え、良作を見つけるための労力が多大になってきているため、作った人で評価するしかない」ためです。

 そういった意味では、小説家になろうも、同じ傾向にあるかもしれません。
 では、作った人で評価する風潮ができると何が悪いでしょう?

 これは無名の新人の作品を見つけてもらうのが難しくなる、ということですね。例えば小説家になろうのランキングが、書籍化作家で埋め尽くされるようなケースが考えられます。こうなると、新規参入が難しくなり、新しく小説を書いてみる人が減るでしょう。長い目で見ると衰退の始まりになるかもしれません。
 とはいえ、新しい小説投稿サイトがポンポンと生まれているので、Web小説界はしばらく大丈夫だと考えています。

 また、逆にいえば、作った人で評価する風潮ができてしまったら、「実績による信頼」を積み重ねるか「作者の目新しさ」をアピールすることで、認知していただける可能性があります。確かな実力を身につけることはもちろんですが、作者の目新しさをアピールしてみるのは、Web小説の広告戦略として大事かもしれませんね。

■Web小説はまだまだ大丈夫。だから小説を書こう!