《小説感想》小説 太平洋戦争 戦争よ、さようなら!
こんにちは。
杞優橙佳です。
7月末から1ヶ月をかけて、小説 太平洋戦争(全9巻)読破しました。
坂の上の雲(8巻)、徳川家康(26巻)とあわせて、43冊。いいペースで本を読めています。
本エントリーでは小説 太平洋戦争を読んで間もない今、下記3点について考えをまとめてみます。
・典型的悲劇(読後感にも触れます)
・悲劇の原因(敗戦国のリアルを書くポイント)
・大日本帝国軍は本当に悪だった?
典型的悲劇
以前、感情曲線6パターンをご紹介したことがあります。
この太平洋戦争という物語は、典型的な悲劇です。
最初の数ヶ月(真珠湾からフィリピン、シンガポール攻略あたりまで)は、連戦連勝。まるで大日本帝国軍が世界一優秀な軍隊であるかのように描かれます。
ですがその後は、ひたすら負け続けます。
最後は原子爆弾、ポツダム宣言、そして東京裁判、満州のその後まで。感情の落ち込む展開が、ただひたすらに描かれていきます。
まさに感情曲線6パターンの悲劇、そのものでした。
この悲劇を読んだ感想としては、とにかく後半が辛いです。どこかに救われる要素はないのかと考えながら読むのですけど、天皇陛下の偉大さが救いとなるぐらいで、あとは本当に救いのない話でした。
現代のWeb小説でこれをやったら、まず読者は離れていくと思います。悲劇がだめな理由がわかりました。
悲劇の原因
大日本帝国が前述のような悲劇をたどった原因を3つ考えてみました。ここではその3つについて、思っていることを書いていきます。
①補給の軽視
②上意下達を崩せなかった
③現状を捻じ曲げる情報伝達
①補給の軽視
全編を通じて思うのは、人間はご飯を食べる生き物だということを忘れたんじゃないか? というくらい、上層部の補給に対する熱意が感じられないことです。自給自足を行うこと、の一言で無理な指示が飛び、それによって餓死した人がたくさんいました。
劣勢になってからは、補給をしようとする場面でも、補給物資を届けるための補給船を護衛する艦がなく、補給船が途中で沈められる……そんな場面を飽きるほど見ました。
補給できるほど物資がないということもあるでしょうが、敵と釣り合わない武装しかもたせず、戦場へ兵士を投下して戦線を維持するよう指示が飛ぶことも多々ありました。
おそらく戦国時代なら、武器が多少劣っていても、精神力で補うことができたのでしょうけれど(実際切り込みの強さは世界一だったようです)、近代兵器の闊歩する戦場では、精神力だけではどうにもならない場面も多くありました。
戦争でも何でもそうですが、準備不足のまま自力だけで凌げることって、本当に少ないです(卒論発表や社内プレゼンテーションだってそうです)。自力を最大限発揮するための食事と睡眠、自力の不足を補うための武器や準備を行わなければ……行う余裕がなければ、行き着く先は悲劇なのですね。
②上意下達を崩せなかった
実地で戦う指揮官や兵士の問題です。もちろん、軍隊が「上から与えられた環境(資源や兵の数)で最善を尽くす」ことをしなければ統率がとれないことはわかっています。ですが、与えられた場所で、どうしても勝ち目が見込めないときに「これでは勝てない」といった人が、弱気判定されて意見を却下されるような組織では、悲劇が続くのは目に見えていました。
現地をよく知る人間(例えば部隊の指揮官レベル)が、上司に意見できる雰囲気があり、上司もそれを取り入れる柔軟さがなければ、組織が間違った方向に進む際に、正せる人がいなくなります。
この上意下達の考え方は、昭和・平成時代を駆け抜けて、いまもまだ片鱗を残していると思います。
歴史をたどれば、武士の時代から続いている日本人の価値観で、それがアップデートされていないのだと感じますが、いざ戦争となったときには大変危険な考え方だと思います。
なぜなら③を引き起こす可能性があるためです。
③現状を捻じ曲げる情報伝達
現状を捻じ曲げる情報伝達は、現状把握を困難にします。上層部が現状を把握できなければ、間違った正義に向けて組織が進み、悲劇が起こります。例えば太平洋戦争開戦前に、彼我兵力差を把握せず(把握していた山本五十六のような人物もいましたが)、勝てない戦争を始めたことなど。
これが発生する原因は、②の上意下達にあると思います。
上意下達で、下から上に意見をあげる方法がなければ、上は権力をどんどん溜め込み、下は失敗を恐れて現状を捻じ曲げる情報伝達を行うようになります(劣勢なのに、いい勝負をしていると報告するなど)。
そしてこの関係が続くと、上層部は現実とまったく違う幻想を抱くことになります。そしてその幻想をもとに指示をし、失敗します。ですが上層部はその失敗を認めません。なぜちゃんと報告しなかったか!と部下を責めます。
そうです。つまり、悲劇を引き起こした『現状を捻じ曲げる情報伝達』の真の原因は、上層部がプライドを持ち、部下に頭を下げず、偉いものとしての立場でものを言い続けたことです。
情報を正確に把握できないのは上司の責任なのですね。その当たり前のいうことをもっと徹底するべきです。ようやくこういった上司が糾弾される時代となっていて、良いことです。
悲劇をたどった原因を3点書きました。もしも戦争を題材とする物語を書く場合、この3点を意識して書けば、悲劇が書けると思います。書くことを考えると、辛くなりますが、敗戦国のリアルは、描けると感じます。
大日本帝国軍は本当に悪だった?
ポルポト、ヒトラー、スターリン、毛沢東……小説のネタにするくらいしか使いみちのない、大虐殺を行ったこれらの人々は、二度と出してはいけない人物として名前が上がります。
では、大日本帝国という組織も、その中に名を連ねるくらいの悪なのでしょうか?
結論から申しますと、組織は悲劇ではあったが悪ではないと考えます。戦争そのものが悪であり、大日本帝国だけが悪いわけではないからです。
例えば大日本帝国にとって、勝つための戦争はインパール、ガダルカナル、サイパンで終わっていました。そこで日本は負けた。もう勝ち目はありません。
では何故、戦いを続けたのかというと、その後は民族の独立戦争だからです。
現代を生きる私達は、勝ち目がなくなったなら、降伏すればいいじゃないか!と思いがちです。ですが太平洋戦争の時代は、そうではありませんでした。
一度降伏すれば、白人至上主義の世界で日本人は民族浄化される(に違いない)という恐れ……これが全国民にあったと思います。
つまり太平洋戦争は、民族存続をかけた戦いだったのです。
幸運なことに昭和天皇の誠意(天皇陛下のおかげで残していただけたというのが、とてつもなく日本的で美しいと思うのです)と、連合国軍最高司令官マッカーサーの好意により、民族浄化は免れました。
ですが戦争のさなかにあっては、降伏したら民族ごと浄化されるという恐れがあったのは確かだと感じます。
だとすれば本当の悪は、『(どう言い訳しても相手の根絶を目指すという意志のもとで行われる)戦争』自体、なのでしょう。
あとがき
この本を読んで、太平洋戦争と大日本帝国のことがよくわかりました。
これまで太平洋戦争のことを知っていたのか?と考えてみると、真珠湾、ガダルカナルやインパールといった名前は知っていても、どのような悲劇があったのかなど、まるで知らなかった。例えば沖縄県平和祈念資料館にいったことがあるけれど、写真をみて可哀想だと思うことはあっても、戦争を肌で感じることはできませんでした(施設の人には申し訳ない)。
小学校から高校まで、ちゃんと勉強している人は違うのかもしれませんが、少なくとも私にとっては、三十数年間、断片的に得た情報よりも、この小説一冊で感じたことのほうが遥かに多かったですね。
(これまでの三十数年間、8月15日に黙祷をしてきたけれど、はたして何を思い誰に対して黙祷してきたのか謎です)
小説の力ってすごいなと改めて感じました。
悲劇が苦手でない方は、ぜひ一度読んでみるとよいかと思います。
私たち日本人のルーツに触れることができますよ。
小説家の方は、戦争を書く際のリアリティが変わるかもしれませんね。
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