最終回:ファンタジーに逃避せず日常を楽しめる人こそが、大ヒット作品を生み出せる理由
ファンタジーに逃げることは悪いことではありません。でも、日常を楽しめる人こそが、他人にとっての“ファンタジー”を生み出せる。なぜそれが「大ヒット作品」に繋がるのか。そして、逃げた先で幸せになる人・ならない人の違いとは。
はじめに:物語を生み出す場所は、異世界だけではない
剣と魔法、王国と竜、ダンジョンに転生――ファンタジー作品の世界はいつだって華やかで、人々を惹きつける。
けれど、私たちが心を動かされてきた大ヒット作品の中には、日常を描いた物語も多く存在します。
- 何気ない学生生活がきらめいて見える『けいおん!』
- コンビニでバイトをしながら成長していく『バイトヒーロー』
- 家族の何気ない会話に涙するエッセイ漫画
- 地元の食堂を舞台にしたグルメドラマ
こうした“地味な世界”が、なぜ多くの人の心をつかむのでしょうか。
それは、作者が「現実の中にある輝き」を見つけられる人だからです。
日常を楽しめる人だけが、他人にとってのファンタジーを描ける
自分にとっての“当たり前”が、他人にとっての“奇跡”になる。
これは創作の世界における重要な真実です。
- 小さな町の古い喫茶店を、初めて見る人は「レトロで感動的」と思うかもしれない
- 祖父母との食卓の風景が、都会育ちの人にとっては「温かい物語」になるかもしれない
- 学校の帰り道の夕焼けが、誰かの心の拠り所になるかもしれない
つまり、日常に埋もれた“宝石”を見つけられる人こそが、他人にとってのファンタジーを創造できるのです。
派手な設定や異世界を舞台にしなくても、人の心を動かす作品は作れます。
それには、「現実にちゃんと立っている」感性が必要です。
「逃げて書いた作品」は一過性、「満ちて書いた作品」は残り続ける
逃げるようにして書いた作品は、確かに勢いがあります。
現実が辛いからこそ物語の中に自分の“理想”を込めたくなる。
それは大いに創作のエネルギーになりますし、最初の一歩としてはとても大切です。
しかし、読者が何度も読み返したくなる作品には、どこか「余白」があります。
それは作者が、現実との距離感を適切に保てているからこそ描けるもの。
“満たされた視点”から生まれる物語には、読む人の心を「逃げさせる」だけでなく「癒す」力があるのです。
逃げた先で“幸せになれる人”の共通点
ここで、「逃げた先で幸福になれる人・なれない人」の違いについても触れておきましょう。
幸福になれる人
- 現実を「消す」のではなく「整理」するために逃げる
- ファンタジーを「帰ってくる場所があるから楽しめる」と知っている
- 現実の自分を完全には否定せず、一時的に避難しているだけだと自覚している
幸福になれない人
- 現実から「逃れること」自体が目的になっている
- 物語の世界を「永住地」にして、戻ってこられなくなる
- 現実の自分を恥じて切り捨て、理想像に“なりすまそう”とする
逃避行動そのものは悪ではありません。
しかし、「帰ってくる場所」があるかどうか、「受け止めてくれる現実」があるかどうかが、幸せを左右します。
ファンタジーは、“現実の目”で書いたときこそ深くなる
面白いファンタジー作品とは、単に現実から離れた物語ではなく、現実の延長線上にある“もうひとつの真実”です。
だからこそ、本当に人を惹きつけるファンタジーには、現実の人間関係や、社会の歪み、日常の喜怒哀楽が色濃く反映されています。
『風の谷のナウシカ』も『鬼滅の刃』も、『もののけ姫』も『とある科学の超電磁砲』も――どの世界も「現代日本の問題意識」や「現実の人の感情」が込められている。
だから、ファンタジーに逃げず、現実を観察し、楽しめる人ほど、深く、濃く、誰かの心に残る作品を描けるのです。
おわりに:現実を愛せる人こそが、誰かのファンタジーになる
「どうせ自分には何もない」
「この日常に物語なんてない」
そう思っているあなたこそ、実は**誰かにとっての“見たことのない世界”**を生きているのかもしれません。
あなたの一日、あなたの視点、あなたの暮らし。
そこには、想像以上のファンタジーが眠っている。
だから、日常を楽しめる人は、物語をつくる才能があります。
逃げず、見つめ、味わう――その積み重ねが、“他人にとっての異世界”を創造する力になるのです。
大ヒット作品は、壮大な設定よりも、“ちゃんと今を生きている目”から生まれる。
そしてそれは、誰にでも、今日からできることなのです。
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