「運命愛」=ポジティブシンキングの実践
「運命愛」とは哲学者フリードリヒ・ニーチェによって提唱された哲学用語で、「いかなる境遇であれ、自らの生を深く愛し、自己の運命を積極的に肯定し生きぬこうとする態度」のことです。
私は子供の頃に腎臓が悪いことが発覚してから、随分ひねくれました。周りの人が楽しそうな学生生活を送っているのに、なぜ私は丸1日かけて病院にいかなきゃいけないんだ。神様は不公平だと考えたこともあります。
ですが腎移植を経て、考え方がガラッと変わりました。それこそ冒頭で紹介した「運命愛」の態度で生きる覚悟が芽生えてきたんです。
腎移植をした人ってどういうふうに見える?
私がレシピエントであることはすでにお伝えしました。
世間的にみて、腎臓移植をした人ってどういうふうに見えますか?
透析患者に比べたら元気だし、
もう普通の人と同じ生活できるんじゃないの?
と思われるかもしれません。
確かに透析時と比べたら(私は透析も体験済みです)、
できることは格段に増えました。
軽い運動もできるし、ご飯も美味しく食べられるし、
その日その日を生きるだけで必死だった透析時と比べて
未来のことを考えられるようにもなりました。
ですが管理するものが多いこと、
(血圧、体温、体重)
なにより1日6回に分けて行っている服薬が
日常の制限になっていると感じます。
(一番大事なのですけどね)
※例えば15時に薬があるので、
13時~17時の間拘束、なんて働き方や遊び方は難しいです。
そしてこの服薬がべらぼーに高い。
自律支援医療に認めてもらうよう
動いているところなのですが、
現状ですと薬代だけで月に6万円近くかかります。
これ、やばくないですか。
家賃と含めて13万円くらいになりますから、
基本的に何もできません……。
正直なところ、
今は健康をお金で買って生きている状態です。
デートも旅行もできないよ……。
「運命愛=ポジティブシンキング」の実践
しかし私はへこたれません。
貧乏を嘆いていても何もかわりませんから。
できるだけのことをやるだけです。
「いかなる境遇であれ、自らの生を深く愛し、自己の運命を積極的に肯定し生きぬこうとする態度」で生きようとしています。
小難しく書いちゃってすみません。ようするに与えられたものを受け入れて、ポジティブシンキングで生きようと考えているってことですね。
実は透析状態になってから、
障害者手帳をもらうことができました。
この障害者手帳は移植後も
引き続き使用することができます。
ですので私は、
この手帳をとことん使い倒そうと画策しています。
とはいえタクシーが安くなるとか、
新幹線代が安くなるとかありますが、
ゼロ円にはならないので旅行はお金がかかります。
東京の場合都営地下鉄が無料になるので
これは利用しますが、遠出は無理です。
ということで、地下鉄の範囲内で何しようかなーと考えたときに
映画が安くなる(しかも映画館次第では付添いの1人や2人も安くなる)ということに気づいて、これを最大限利用しようと思っています。
物語の書き方のアイデアにもなるだろうし、
物語の雛形や、面白さなどを勉強してきて、
映画の見方も変わっているんじゃないか?と想像しまして。
それで実際に映画館に足を運んでいろんな映画を見ています。
そのおかげでしょうか。実際に映画の見方が変わっていて、この映画はこういうところが面白いとか、この物語は過去を捨てて新しい場所で生まれ変わるパターンの物語だ、なんてことがわかるようになりました。
せっかくなので映画の面白さ解説なんて試みもはじめました。
この試みは物語を学びたい方にも
参考になる記事になっていますので
ぜひ読んでみてください。
勉強したことが映画感想にも反映されて、
勉強って成果がでるんだなあとしみじみ。
こういう取り組みを始められたのも、
ポジティブシンキングの力ですね。
現状を受け入れて、
自分の使えるリソースを最大限使って、
やりたいことをやる。
これって作品作りにも言えることだと思うんです。
自分の現状を受け入れて、
自分にしか書けない物語ができたら素敵です。
このサイトでそのためのお手伝いができれば幸いです。
「運命愛」と「論語と算盤」の孝行
「運命愛」は「いかなる境遇であれ、自らの生を深く愛し、自己の運命を積極的に肯定し生きぬこうとする態度」だと紹介しました。
私が自分の境遇を積極的に肯定できるようになったのは、腎移植に際して、家族と会話したおかげです。例えば渋沢栄一の「論語と算盤」に下記の一節があります。
「心配をかけるとしたら、自分の病気のことだけにするよう努めなさい」
といった『論語』の言葉を時々いって聞かせたりする。それでもけっして親孝行を要求したり、強制したりはしないようにしている。
親は自分の気持ち一つで、子供を親孝行にもできるが、逆に親不孝にもしてしまう。自分の思い通りにならない子供をすべて親不孝だと思ったなら、それは大きな間違いなのだ。
(中略)
こんなことを述べると、いかにもわたしの自慢話のようになって恐縮ではあるが、実際のことなので遠慮なくお話ししよう。たしかわたしが二十三歳のときであったろうと思うが、父がわたしに向かってこんな話をされた。
「お前の十八歳頃からの様子を見ていると、どうもお前にはわたしと違ったところがある。読書をさせれば理解力に優れ、また何事にもよく頭がまわる。わたしの希望から言えば、いつまでもお前を手元において、わたしのいう通りにさせたい。しかし、それではかえってお前を親不孝にしてしまうから、わたしは今後お前を私から自由にし、思う通りにさせたいと思う」
(中略)
父が無理にわたしを父の思う通りにさせようとし、「これが孝行の道なのだ」と孝行を強制していたら、わたしはかえって父に反抗したりなぞして親不孝の子供になってしまったかもしれない。
幸いにもこんな事態にはならず、未熟ながらも親不孝にならずに済んだのは、父がわたしに孝行を強制せず、広い心でわたしに臨み、わたしの思うままの志に向かって進ませてくれた賜物なのだ。孝行は親がさせてくれて初めて子供ができるもの。子供が孝行をするのではなく、親が子に孝行させるのである。
(中略)
つまり渋沢栄一が言いたいことは、「子供に孝行させるのではない、親が孝行できるようにしてやるべきだ」ということです。
私はこの腎移植を通じて、親が孝行できるようにしてくれたのだと痛いほど感じました。自分の体を傷つけてまで、腎臓を提供してくれた家族。何を要求するわけでもなく、純粋に生きなさいと言われた気がしました。
だとしたら自分は、富や名声を得るということで返すのではなくて、家族が生かしてくれた自分自身を大好きになって生きるしかない。そしてこれが「運命愛」じゃないかと感じたんです。
私は昔から、どこか哲学者フリードリヒ・ニーチェに惹かれていました。
ニーチェは苦しみながらも、神に頼るのではなく、人間として力強く生きようと提唱した人です。
病気だったころから、ニーチェの提唱する超人(人間関係の軋轢におびえ、生活の保証、平安、快適、安楽という幸福を求める現代の一般大衆と異なる存在)という発想に惹かれていました。
超人になるために、地位も名誉も金も求めてきましたが、結局のところ家族との絆「運命愛」が超人の鍵だったのではないかと感じます。
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