物語論の完成

 前回のエントリーでは物語を構造として捉え、面白い物語をつくるための方程式を導こうとした人たちの話を紹介しました。

 今回はその集大成となる物語論の完成を見ていきます。

【物語論の完成】

~ジェラール・ジュネット~

 続いては、現代における物語の構造分析において、最も使用されているジェラール・ジュネットの理論です。

 実際の物語論として、一番使用されています。

 ただ、小説を分析することを前提としているため、アニメや漫画など、他のメディアには使用しにくい(最も物語論は文学理論なので、普通のことではあるが・・・)でしょう。

 またジュネットの理論は、ここまで解説してきた3人とは全く別の理論です。

 ジュネットは物語を「機能」ではなく、「叙述」から分析しようとしました

 「叙述トリック(推理小説などで、先入観などを利用し、読者を誤った解釈に導くこと)」などでたまに耳にする「叙述」ですが、どのような意味なのでしょうか?

〔叙述〕・・・物事について順を追って述べること。またその述べたもの。

 となります。結論から先に述べますと、叙述から物語を分析するジュネットの理論は、「形式を重視するロシア・フォルマニズムの行き着く先」と言えるでしょう。

 つまり「叙述」とは、出来事を文章にする際、地の文(キャラクターのセリフや会話文以外の文章)を使って表現していくものです。

 そしてジュネットは、「物語で起こった出来事を、表現する方法によって、物語の構造を分析」しようとしました。

 別の言い方をすると、「同じ内容の出来事でも、形式が違えば印象が変わる」これこそがジュネットの着目した点だったのです。

 

 「東京喰種(とうきょうぐーる)」というアニメを例に挙げるとわかりやすいでしょう。

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 簡単にアニメの内容を説明すると、人間を食べることでしか生きられない「喰種」と、喰種を怪物としてしか見ることのできない「人間」との争いを描いた物語です。その中に存在する各々の視点が、例えば「喰種と人間」、「敵と味方」、「過去の自分と現在の自分」など、目まぐるしく変化します。

 「人間視点」で描いているときは当然のように「喰種」が悪なのですが、「喰種視点」に切り替わると、先ほどまで見ていた「人間視点」での物語までが、「まるで別物の印象」に変わります。これはつまり、物語を見ている私たちが、頭の中で自然と、「同じ内容の出来事でも、形式が違えば印象が変わる」というジュネットの理論を実践していることになるのです。

 これを仮に一方的に利用して描けば、「東京喰種」は「人間のみを悪」にすることも出来るし、「喰種のみを悪」にすることも出来ます。

 極端な言い方をすれば「視点さえ変えれば、同じ物語でも印象は自由に操作できる」ということになるでしょう。
 つまり「東京喰種」では、複数の視点を同時に操ることで、「一つの物語なのに、複数の物語を同時に見たような印象を読者に与える」という離れ業をやっており(最近の物語はこのパターンが多いが、特に「東京喰種」は秀逸)、ジュネットの理論の応用と言えるのではないでしょうか。

 少し話が逸れましたが、ジュネットの物語論は要するに、「同じ物語において形式を変化させた場合、形式ごとにどのような効果が生じるのか」を分析していくものだということです。

 そしてジュネットは物語を下記のように3つに区分します。

〔物語内容〕・・・物語論にとって重要なのは形式であるため「省かれることが多い」です。
〔物語言説〕・・・簡単に言うと「形式」のことです。
〔物語行為〕・・・「実際に語ること」です。
 また、〔物語言説〕は大まかに分けると「時間」「叙法」「態」の3つに分けられますので、1つずつ見ていきましょう。

〔物語言説〕の1「時間

 まずは「時間」ですが、これはさらに「順序」「持続」「頻度」の3つに分けられます。

〔物語言説〕の時間の1 順序

 「順序」とは、「どのような順番で物語を展開していくのか」、というものです。
 例えば「ドラゴンボール」シリーズの物語でいえば、大抵の場合、悟空たちの前に強大な敵が現れます。悟空たちは力を合わせて強大な敵に立ち向かうも、負けてしまうのです。
 ただ、どうにかして強大な敵にリベンジするまでの、猶予期間を作り出し、その間に修行をします。
 そして、強くなった悟空たちが、強大な敵を倒すのです。
 つまり時系列的にも、物語内での表現の順番でも変わらず、

「敵の行動」→「悟空たちが敵に負ける」→「悟空たちが修行をする」→「悟空たちが敵を倒す」

 となります。
 「当たり前だろ?」と思った方もいるでしょうが、こうした「当たり前を理論化」したのがジュネットなのです。

〔物語言説〕の時間の2 持続

 つづいて「持続」とは、「物語の進むスピート」についてです。
 考え方としては、バルトの「動的、静的な機能」に似ています。
 この「持続」は、さらに4つに分けられるので、スピードの遅い順に見ていきましょう。

持続の1「休止法」

 まずは「休止法」です。
 これは心理描写や設定の説明、あるいは風景描写等を説明するためのものになります。
 つまり、物語の進行に関して言えば停滞しており、スピードは「ゼロ」となります。

持続の2「情景法」

 2つ目が最もポピュラーなもので、「情景法」です。
 「物語内容」の時間と、「物語言説」の時間とが、ほとんど同一であるというものになります。
 つまりは、「一文進めば物語の時間が確実に進む」のです。

持続の3「要約法」

 3つ目は、「要約法」というものになります。
 これは名前の通りで、「要約して物語を進めていくもの」です。
 一文で1時間進むこともあれば、一文で一年が過ぎることもあります。
 このように、物語の進むスピードというのは様々であり、それによって、物語の印象は変化するのです。 

 余談ですが、「新機動戦記ガンダムW」のノベライズ版において、シュールなことで有名なヒイロによる救急車強奪シーンでは、
「そうしているうちにヒイロは救急隊員を殴り倒して救急車を奪っていった」
 という一文があります。
 これも一種の要約法ということが出来るでしょう。
 シュールさが増しているように感じるのは気のせいでしょうか?

〔物語言説〕の時間の3 頻度

 物語言説における「頻度」とは、物語内容の出来事が発生した回数とそれが物語言説の中で語られる回数の関係のことです。

  例えば、物語内容の出来事として一回起こったことを一回だけ語れば、それは回数が同じですから「単起法」と呼ばれ ます。主人公が出来事を体験していくストーリーはほとんどが「単起法」でしょう。

 対して出来事として複数回起こったことを省略した回数しか語らないとしたら、それは「括復法」 と呼ばれます。涼宮ハルヒの憂鬱のエンドレスエイトを思い浮かべるのがわかりやすいでしょう。エンドレスエイトにおいては、ハルヒたちSOS団は“夏休み”を15,532回繰り返しますが、実際に語られるのは数回に過ぎません。

  逆に、出来事としては一回しか起こっていないことが言説の中では何度も語られることがあります。先程の東京喰種の例を思い出してください。「人間視点」と「喰種視点」で同じ物語が語られる場合、これを「反復法」と呼びます。 

〔物語言説〕の2「叙法」

 2つ目の物語形式は、「叙法」です。
 小説は、漫画やアニメと異なり、文字のみで物語を表現します。
 そのため、出せる情報というものは限定的です。
 そんな「限られた状況下で、いかに情報を出しているか」を分析するのが、「叙法」となります。

 叙法は「距離」と「焦点化」に分けることが可能です。

「叙法」の1「距離」 

 まず「距離」についてですが、物語が「再現的」であるか、「要約的」であるかを区別したものになります。
 考え方としては、「時間」の「持続」に近いです。

 では例として以下の3つの文章を見ていきましょう。
 3に近づくほど、「再現的」になります。

1.語られた言説→「俺は友人に直接決闘を申し込んだ。」
2.間接話法→「俺はお前と決闘したい、と俺は友人に言った。」
3.直接話法→「俺は友人に『俺はお前と決闘がしたいんだ』と言った。」

 3に近づくほど、つまり「再現的」に物語を書くほど、上記のように臨場感が生まれます。対して1に近づくほど、つまり「要約的」に物語をかくほど、上記のように物語と読者の間に「距離」が生じます。
 こうした理由からジュネットは、「再現的」か「要約的」かの違いを「距離」と表現したのです。

「叙法」の2「焦点化」

 続いて「焦点化」は、物語を視点から分析しているものになります。
 ではなぜ「視点」という言葉を使用しないのでしょうか?
 その理由は、地の文では「視覚」だけでなく、「五感」のすべてが使われているからです。
 「視点」によって物語はたとえ同じシーンだとしても全く別物となります。

 これは「東京喰種」による説明でも触れましたね。
 つまり「喰種視点」と「人間視点」で、物語の意味合いやメッセージを180度変わってしまうことが可能です。

 他にも、「ケイゾク」という物語と、「スペック」という物語の関係性にも当てはまります。

「ケイゾク」では「朝倉」という真山の宿敵を、「超人的な異能を有した異常犯罪者」として描いていますが、続編の「スペック」では、「スペックホルダー(超能力を有する者たち)」の内の一人という括りになっているのです(厳密には違いますがそこは省きます)。

 つまり、「ケイゾク」のなかの「朝倉」は「世界にただ一人だけの異能者(厳密には違いますがわかりやすくするために)」として描かれており、続編の「スペック」では、「異能を持つ者の一人(本作ではすでに人間かどうかも怪しいですが・・・)」としてのポジションとなっております。

 つまり「視点」が大きく「朝倉側」に傾いているのです。
 朝倉を含めた「異能者」に「視点」を移すことで、「朝倉の不気味さ」は減退しますが、その代わり、より「異能者」が現実的にあり得る存在となり、身近に存在するかもしれない・・・という、「新しい不気味さ」が生まれています。

要するに、同じ内容の物語でも、視点となる人物が異なれば、物語は全く別の印象を伴い、読者に迫ってくるのです。

〔物語言説〕の3「態」

 つづいて3つ目の形式は「態」です。
 これを使うことで、「語り手と内容の関係性」についての分析をすることが出来ます。

 この「態」に関しても、「語りの時間」「語りの水準」「人称」の3つに分けることが可能です。

「態」の1「語りの時間」

 まずは「語りの時間」から見ていきましょう。

 「語りの時間」は、「語り手が、どの時点から物語を語っているか」というものです。例えば「舞姫」のように、時間軸におけるストーリーがすべて終わってから、回想という形で物語を語ることも出来ます。

 つまり言い換えると、「過去の出来事について語っている」ということです。

 また、一般的な物語に多くあるように、「語り手と物語が同じ時間にいる」ことも出来ます。レアな形式ではありますが、「百年の孤独」のように、「未来の出来事を語る」ことも可能です。

「態」の2「語りの水準」

 2つ目の「語りの水準」は、よく耳にする言葉で言い換えるなら、「メタ」となります。

 物語の世界の「外側」と「内側」、どちらで話しているのかで分析するのです。

 これは「語り手が物語の世界に存在しているのか?」がポイントとなります。

 つまり、物語に登場しない人物が語っているなら、「語りの水準」は「外側」になるし、登場人物が語っているなら、「語りの水準」は「内側」となります。

「態」の3「人称」

 3つ目の「人称」は、これらの中で最も耳馴染みするのではないでしょうか?
 「一人称」や「三人称」という言葉に使われています。

 主人公目線で物語が語られていれば(僕は~、私は~などという文体で物語を語る)、「一人称小説」であるし、そうでないなら(聡は~、木村は~などという文体で物語を語る)、「三人称」となります。
 別の言い方をするなら、人間が語っているなら「一人称」、そうでないなら「三人称」とも言えますね。

 なぜなら基本的に人間が自ら語るとき、「僕は~」や「私は~」という風に、物事を主観的に語るからです。

 またこれらを比較すると、「語りの水準」と「人称」で被っているようにも見えますが、実は19世紀前半までの小説は、三人称であるにもかかわらず、「私はこの登場人物のことを○○と思う」など、「急に地の文が主観を交えて語り始める」ということがよくあったのです。

 つまり人間が語っている「一人称小説」だが、同時に物語に登場しない人物も語っているため、「語りの水準」が外側になっているのです。

 このようなケースに対応するため、ジュネットは「語りの水準」と「人称」を分けて考えるに至ります。

 長々とジュネットの理論について見てきましたが、要するにジュネットが言いたいことは、「描写によって、物語は良くも悪くもなる」ということです。どんなによい設定をし、魅力的なキャラクターを作り出したとしても、それらが描写されなければ、全く意味がありません。

 存在しないのと同じなのです。

 また、どんなに素晴らしい内容の物語だとしても、どうでもいいシーンに尺を割いたり、逆に重要なシーンへの説明が不十分だったりすると、結果的にクオリティは下がります。

 上述のように、ジュネットの理論は、ロシア・フォルマリズムから始まった形式主義を、ブラッシュアップしていった結果たどり着いたものです。

 当時のロシア・フォルマリズムは過激な思想と言われておりました。

 しかしジュネットはそれを見事、理論と呼べるほどまでに、精密化を成功させたのです。

 

~クロード・レヴィ・ストロース~

 社会人類学者であるクロード・レヴィ・ストロースは、アメリカ先住民へのコンタクトや、現地へのフィールドワークなど、多彩な活動を行っていました。

 そうした活動の一つとして、「神話の構造分析」があります。

 神話の深層、つまりは構造を知ることによって、古代人類の根幹を研究しようとしたのです。

 レヴィ・ストロースの手法は現代の構造分析に直接つながるほどのものですが、分析方法が他の研究者と異なったり、分析対象が神話ということもあり、かなりの異端とされています。

 よくも悪くも、「プロトタイプ構造分析」と言えるでしょう。

 ただ、前述でも触れましたが、この手法は、「20世紀有数の天才であるレヴィ・ストロースの頭脳と、社会人類学の研究で養われた桁外れのセンスが必要」だったため、現代での実用性は低いと言わざるを得ません。

 そんなレヴィ・ストロースの構造分析の中で、一番焦点が当てられているのが、「対義語の関係性」です。

 レヴィ・ストロースの言葉を借りて言えば、「二項対立の関係性」となります。構造とは突き詰めれば「要素間の意味の相違」で作られていますが、意味が最も異なるのは、「対義語同士」なのです。

 レヴィ・ストロースは対義語の中心にある、類義語の関係性によって、「神話の構造」を分析します。

 よく誤解されることではありますが、「対義語というのは類義語の一種」なのです。

 例えば「兄」と「弟」という言葉は「年上」と「年下」という観点からは正反対ですが、そもそもの「二等親の男性」という意味が双方に含まれていなければ、「兄」と「弟」は対義語にはなりえません。

 双方が同一の意味を内在させているからこそ、言葉同士を比較することが出来、それ故に対義語という概念が生まれるのです。

 共通点がまるでない「兄」と「空」では対義語にはなりえなないですよね。

 つまり「わざわざ対比関係にあるのだから、その間にあるものは重要なファクターだろう」、というのがレヴィ・ストロースの考え方なのです。

 要するにレヴィ・ストロースは、他の研究者と異なり、物語の筋ではなく、「テーマのようなもの」から構造分析をしようとしたことになります。

 ではレヴィ・ストロースの構造分析方法についてですが、上述したように、非常に難解なものなので、レヴィ・ストロースが実際に分析を行った、「オイディプス神話」を基に見ていきましょう。

 「オイディプス神話」のあらすじに関しては、これもまた難解なのと、解釈がいくつもあるので、個々人でお調べいただき、ご確認ください。

 そしてレヴィ・ストロースは、「オイディプス神話」を「シェーマ」という、「機能」のようなものに分け、さらにその「シェーマ(スキーマ=図や図式や計画のこと)」を内容の種類ごとに分類しました。

 それが以下の図になります。

Ⅰ群Ⅱ群Ⅲ群Ⅳ群
ガドモス、ゼウスにさらわれた妹エウロペを探す。



スバルトイ族、お互いに殺し合うカドモス、竜を殺すラブダゴス(ライオスの父)=足が不自由

オイディプス、父ライオスを殺す
ライオス(オイディプスの父)=不器用


オイディプス、スフィンクスを殺す
オイディプス、母イオカステと結婚

オイディプス=腫れた足

エテオクレス、兄弟ボリュケイネスを殺す

アンティゴネー、禁を破り兄ボリュネイケスを埋葬


過大評価された親族関係過小評価された親族関係人間の土からの出生人間の土からの出生の否定
 

 「左から右」、「上から下」というように見れば、順番通りの内容の神話になります。

 分かりやすいところから見ていきましょう。

 まずⅠ群は「過大評価された親族関係」で、Ⅱ群は「過小評価された親族関係」です。これは分かりやすいですね。

 Ⅰ群の「シェーマ」は、親族関係について「プラスのこと」を描いているし、Ⅱ群の「シェーマ」は、親族関係について「マイナスのこと」を描いています。

 そしてこの二項対立の間にある、「親族関係の評価」こそが、「オイディプス神話」の重要な点の一つなのです。

 

 残るⅢ群の「人間の土からの出生」と、Ⅳ群の「人間の土からの出生の否定」は少しややこしくなっています。Ⅲ群はまだわかりやすいです。人間と敵対する生物を殺すことによって、「人間の土からの出生」を描いています。

 ややこしいのはⅣ群の方です。足が不自由であることのどこが、「人間の土からの出生の否定」になるのでしょうか?半分くらいはこじつけに見えます。

 仮に普通に分類してしまうと、Ⅲ群と二項対立になるものが無いので、整合性を取るという目的のために、Ⅳ群の「シェーマ」を、無理やり神話の中から抽出しているのでしょうか。

 これが、レヴィ・ストロースの神話分析には知恵とセンスが必要と言われる所以となります。
 一般人にはまず無理です。

 とにかく、Ⅲ群とⅣ群の二項対立の間にある「人間の土からの出生」がもう一つの「オイディプス神話」の重要な点となります。つまり、レヴィ・ストロースはこの神話分析によって、「オイディプス神話」の構造には、「親族関係の評価」と「人間の土からの出生」という二点が潜んでいることを明らかにするのです。

レヴィ・ストロースの神話分析がややこしい理由

 レヴィ・ストロースの神話分析がややこしい理由は3つあります。

 1つ目→シェーマをどれくらい細かく分けるかが明確でないため(これに関しては、機能を使用する構造分析すべてに言えることです)

 2つ目→シェーマの分類方法が不明瞭であり、センスの問題である部分が大きいから

 3つ目→Ⅳ群で説明したように、二項対立の整合性を取るために、シェーマを無理やり「抽出・分類」しているのがややこしいし、一歩間違えば、主観性全開の分析になってしまうため

 つまりは・・・「凡人が手を出していい代物ではない」という結論に至ります。

  

【物語論の問題点】

 これまで見てきたように、物語論はかなり理論立てて作られています。

 しかし、根底の部分は思想であるため、問題点があるのも事実です。

 それらを以下に記します。

~最終的には個人のセンスにかかっている点~

 この問題は、大抵の文学理論にあると言っても過言ではありません。
 物語論は要するに、物語分析を科学する、つまり誰が分析しても同じ結果になるように証明するものであるが、物語は最終的には人間心理の自己投影が重要なファクターになるため、分析にもまた主観性が含まれてしまうのです。

 仮に科学の実験で「僕は○○だと思います」なんて感想をぶち込んでも証明にはなりません。

 なぜそう思うのかを客観的事実のみで説明できないと、それは本人の感想や予測の域を脱しないからです。もし100%の客観性で物事を見ることが出来る人物がいたとしても、それはもはや「物語」ではなく「批評」になる可能性の方が高いでしょう。

 例えば、一番最初のエントリーで「モンキー・D・ルフィ」をパーツと色で分解しましたが、それはあくまで分解方法の一例です。

 人によって当然分け方は違うだろうし、言ってしまえば正解など存在しません。レヴィ・ストロースの神話分析と、実際の分析結果が一致する方が「むしろ珍しい」と言えるのではないでしょうか。

 物語論のバルトの理論にしても、枢軸機能体をさらに小さな枢軸機能体に分解が可能、と説明はしたものの、ではどこまで細かく分析していくかは決まっていません。

 大まかな筋はともかくとして、筋が細かくなればなるほど、人によって分析結果は異なってくるのです。

 そして物語というものは往々にして、細かい筋の方にこそ重点が置かれています。

 要するに人間の心理とは複雑奇怪なものであり、それが存分に投影されている物語の性質上、物語論だけでそれを分析するには無理があるのです。

~構造のみしか分析できない点~

 これは構造主義の部分での問題点となります。物語論の考え方を使用すれば、物語の中の構造を抽出することは可能ですが、しかし構造主義とは、それ以上の分析が出来ないのです。

 要するに、もし面白い物語を見つけ、それがどのような構造をしているのか知ることが出来たとしても、では、「何故この構造だと物語が面白くなるのか?」ということを分析することは出来ないということです。

 それを知りたいなら、心理学や他の理論を使い、考えるしかないということになります。

 例えば主人公が成長していくヒーロー物語を分析すれば、どのような構造であれば主人公はヒーローへと成長していくのか、という部分は分かるでしょう(1つのパターンとして)。
 しかし、「ではなぜヒーロー物語は魅力的なのか?」という部分になると、物語論単体ではどうしても解明できないのです。

~物語の筋しか追うことが出来ない点~

 これは、物語論の登場から、ある程度の時間が経過したからこそ生まれた問題です。

 ここまで見てきたように、物語論とは、物語の筋を基にして分析が行われています。

 そのため、キャラクター性や心理描写、設定の秀逸さなどから、物語の分析を行うことはかなり困難です。

 特に最近では、ライトノベルをはじめとした、登場人物の魅力や、状況の面白さに重点を置かれた作品が多くなってきているため、それに伴い、物語の筋を分析する物語論の肩身はかなり狭くなりつつあります。

 前述のとおり、構造分析は目に見えない概念的なものを対象にしているものです。

 そのため必然的に分析にはセンスが必要になり、膨大な知識も必要になります。

 だからこそ探求する価値のある理論だとも言えますが、現状ではまだまだ、不十分な理論であると言わざるを得ないでしょう。

参考書籍

 最後に、参考にした書籍を簡単な説明を交えて5冊、紹介します。

1.「ナラトロジー入門 プロップからジュネットまでの物語論」橋本陽介・著

 物語論の初心者には大抵の人がオススメする一冊です。「分かりにくいことを分かりやすく言う」がモットーの橋本陽介の書籍なので、「物語論の捉え方」、「プロップからジュネットまでの物語論」、「物語論が生まれるまでの歴史」、などをかみ砕いて解説してくれます。
 ただ、様々な研究家の理論を一冊にまとめているので、どうしても「広く浅く」なってしまうのが、数少ない欠点かもしれません。

2.「物語の構造分析」ロラン・バルト著

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 ロラン・バルトの物語論に関してのエッセイ集です。「機能」に関して最も詳細に記載があるのは「物語の構造分析序説」ですが、それ以外の部分も参考になります。

3.「物語のディスクール」ジェラール・ジュネット・著

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 語りに関しての物語論が掲載された一冊です。
 「ディスクール」の意味である「言説」が示すように、形式について学べますここまでの3冊を押さえておけば、物語論の大まかな基礎知識は手に入れることできるでしょう。あとは他の理論を勉強したり、自分自身で分析あるのみです。

4.「物語論 基礎と応用」橋本陽介・著

 ナラトロジー入門を、エンターテイメント分析のために、再構成した一冊です。前半に記載のある「理論編」に関しては再録ですが、後編に記載の「分析編」は、新規収録分となっています。ちなみに「分析編」では、「シン・ゴジラ」から「ビラウド」まで種々の作品を分析対象にしているので、なかなかの読みごたえです。

5.「アスディワル武勲詩」クロード・レヴィ・ストロース・著 西沢文昭・訳

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 神話分析の方法を学びたい方にオススメです。難解な理論のレヴィ・ストロースですが、実際にレヴィ・ストロース自身が神話分析をしながら解説しているので、レヴィ・ストロースの書籍の中では、比較的読みやすいでしょう。間違っても「野生の思考」などをいきなり読まないように気を付けてください(シン・ウルトラマンにも出てくるので読みたくなる本ですが、あれは概念か何かだと思います)。

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ここまで読んで頂きありがとうございました。
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