物語論のルーツ、構造主義と物語論

 前回のエントリーで物語論の概要をご紹介しました。今回のエントリーでは物語論のルーツについて書いていきます。

物語論のルーツ

 ではここで物語論が誕生するまでの歴史について目を向けてみましょう。物語論が誕生するまでには幾つか思想の段階がありました。

~ロシア・フォルマリズム~

 ではまず、物語論の原点となった「ロシア・フォルマリズム」について見ていきます。

 フォルマ・・・つまりは形式を重要視しているということですね。1910年代~1930年代のロシアで、シクロフスキーやヤコブソンたちが中心となり、この文学批評の思想を生み出したのです。

 当時のロシアでは、社会的背景や、記載されている内容などを分析していました。
 しかしフォルマリスト、つまりは形式主義者を名乗る文芸評論家の彼らは、それらの研究を馬鹿にしていたのです。

 簡単に彼らの思想をまとめるとすれば・・・

「物語を読んでどう思うのかなんて国や宗教、その日の気分によっても違うじゃん。研究する意味なんてあんの?」

 と言う感じでしょうか。
 かなり乱暴な理屈ではありますが、納得できる部分があるのも事実です。

 ただあくまで誤解のないように補足しておくと、この「ロシア・フォルマリズム」と言う思想は、大仰な名前が付いてはいますが、では完全に正しいのかと言えば、そういうわけではありません。

 あくまで、「納得できる部分はある」に過ぎないのです。

 内容の解釈から研究することも、立派な文学であることは言うまでもありません。

 思想とはそもそもそうした部類のものが多いですしね。

 特に現代は情報過多で、情報から情報を生み出す、つまり嫌な言い方をすれば「感想」を小難しく述べることが、より頭がよくみられるコツ・・・と言うのはちょっと言い過ぎかもしれませんが・・・

 おそらくはこんなノリで、「ロシア・フォルマリズム」の人たちも思想を掲げたのかもしれません。

 また日本国内においても、国語教育においては内容の解釈の方に重点は置かれていますし、文学界においても、形式主義者の方が少し肩身の狭い思いをしているのは、事実です。

 このように「ロシア・フォルマリズム」の人たちは、物語の内容ではなく、誰目線での話なのか、あるいは、どの点から書き始めるているのか、など「どのように書いているのか?」を分析するために研究をしていました。

 つまり彼らにとって、物語を通して論理的な考察をすることに意味を見出すのではなく、それらは全て作品作りの素材として扱い、いかにして「芸術作品」に仕上げるか、という形式の方が大切だったのです。

 例えるなら、文字を駆使して、絵画を描いている感じでしょうか?

 絵画の世界においては、デッサンに使用するモチーフ、つまり題材や思想よりも、画力やセンスの方が重要視されています。

 すぐに炎上が話題になるYouTubeでも、炎上かどうかを決めるのは内容と言うより、表現の仕方だったり(言い方やテロップ、タイミングも含め)、本人のキャラクターなんかも大きく関係してきます。

 彼らは、それと物語は同じだと主張しているのです。

 物語とは、因果関係の連鎖で成り立っているというのは前述したとおりですが、こうした論理的な側面が非常に大きい「物語」という特性上、かなり強引な思想であることが分かります。

 ただ、ジェネットの理論で解説すると、形式と言うのが、物語にとって非常に重要な要素を占めていると言うのも事実です。

 例えば、犯人側の描写が一切ない物語では、犯人側への共感が希薄で、「許せない!」という怒りや憎悪と言った感情が優先して生まれます。

 しかし、近年の物語に多くみられる、犯人側からの描写も物語の視点として挿入すると、あんなに憎らしかった犯人が、「可哀そう・・・」と犯人への印象がビックリするほど反転することはよくあることです。

 つまり犯人は敵役として出てくるのですが、主人公としても存在している。あるいはその物語で人気を博した敵役を、別の物語の主人公として作りなおしたりと、形式次第で、物語はガラリと印象が変わってくるのです。

 上述のように、「ロシア・フォルマリズム」は1930年代に消え去ってしまいます。

 形式主義とはつまり、「中身なんて不要だ!」とも取れる強引な主張です。

 そもそも時代は戦時中であり、その中身にこそ、「だから我々が正しいんだ!」と国民の士気を高める根拠としていた当時の国家情勢ですから、その思想が危険視されたことにも頷けます。

 結果、ソビエト連邦の独裁者だったヨシフ・スターリンによって、弾圧されてしまうのです。

 ちなみに、この時代には「昔話の形態学」という、時代を30年は先取りにしている前衛的な書物を出版したウラジミール・プロップという人物がいるので、それについては後述します。

~ソシュールの言語学~

 次はフェルディナン・ド・ソシュールの言語学についてです。

 彼は現代言語学の父と言われており、これが実質的に、構造主義の前身となっております。

 まず、彼が言語学として主張した考え方は、「世界はまず言語で分けられ、そこに事物がある」というものでした。

 しかし、彼がその理論を提唱するまでの言語学では、「世界は事物によって分けられ、そこに言語がある」という、全く真逆の考え方が当然のものとして広まっていたのです。

 では具体的な例を挙げつつ見ていきましょう。

 ソシュールが台頭する以前の言語学では、世界の認識として、「様々な事物が存在する。言語とはこうした事物を判別・分類するための記号である」と考えられていました。

 つまり、「世界には色々な物があり、人間同士の円滑なコミュニケーションのためにそれらに名前を付けていった結果、言語になった」というのがソシュールが現れる前の言語学での常識だったのです。

 「え?違うの?」と思われた方も多いでしょう。

 あの偉大なプラトンですら、この考え方に賛同していました。

 だがソシュールがその理論を否定するのです。

 彼は人間の言語こそが、事物に先行して存在すると主張したのです。

 世界を分けているのは、事物よりも先に人の扱う言語だという、真逆の理論を提唱しています。その理論の基盤をなしているのは、世界各国の言語の「分類法が異なる」という考えから生まれています。

 例えば、英語では英雄のことを「hero」と呼びます。

 しかし日本では「英雄」と「ヒーロー」、2つの呼び方があります。

 一般的な使い方として、「英雄」とは少し重厚なイメージ。つまり戦国武将なんかには「英雄」という言葉を当て嵌めますよね?

 でも織田信長を、「ヒーロー」とはあまり呼ばないのではないでしょうか。

 どちらかというとポップなイメージの、若者やアニメのキャラクターなんかで、英雄の立場にいる人物などに、「ヒーロー」という言葉を使うかと思います。

 他にも、日本では二等親で年上の男性を「兄」と表現し、二等親で年下の男性を「弟」と表現します。

 しかし英語では、いずれの場合も「brother」と表現します。

 このように、各国で、事物の分け方は異なっています。そのため、ソシュールはまず人間の言語があり、その先に事物が存在している、と考えたのです。

 されにこの考え方を深めていくと、「語句の意味は、他の語句との関連性によって決まる」と言うことが出来ます。

 この考え方こそが、構造主義の基盤となるのです。

 つまり言い換えると、「言語とはそれ単体で成立することはなく、他の要素と組み合わさることで初めて意味を持つことが出来る」と言えるでしょう。

 例えばツンデレの彼氏・彼女がいたとして、パートナーの隠れた優しさを知った時に、照れ隠しで「バカ」という言葉を使うのと、テストで0点を取ってそれが見つかった時に、「バカ」と言われるのでは、同じ言葉でも全く意味が異なります。

 これは、使っている言葉は同じだとしても、周りの要素が違うために起こるのです。

 少し前に説明した「兄」という言葉も、単独では成立しません。

 「妹」にしろ「弟」にしろ、年下の二等親がいなければ、それは「兄」ではなく「息子」という表現のみになります。

 さらに言うと、「親」が存在しなければ、「息子」という言葉も存在しないのです。

 また、こちらのエントリーで紹介した「モンキー・D・ルフィ」の構造分析で要素の1つとして色を取り扱ったが、もし世界が赤色しか存在しなかったらどうなるでしょうか?

 きっと、「赤色」は「赤色」という表現ではなく、あるいは「色」という一語のみで表現されるかもしれません。

 なぜなら、そもそも一種類の色しか世界に存在しないなら、色別に分ける必要性そのものが消滅してしまうのです。

 このように、言語とは言語単体で成立することはありません。

 あくまで他の言語との関わり合いの中で、意味がどのように異なるかという構造があって、初めて言語は成り立っているのです。

 この「構造とは他の言語との意味の違い」こそが、構造主義の原点となっています。

 つまり先程構造の本質として説明をした「要素同士の関連性」とは、さらに深く掘り下げて言えば、「要素間でどのように意味が異なるのか」ということになるのです。

~構造主義と物語論~

 1960年代に入ると、ソシュールの言語学は変化し、現代にも繋がる構造主義の考え方が誕生します。

 また、この時代にはクロード・レヴィ・ストロースという人類学者が、「野生の思考」という書籍をパリで出版しています。

 この本では、神話を構造的に分析しており、物語論の原型に近しい考察がなされているのです。

 しかし、彼の理論を理解するためには、膨大な知識とセンスが必要とされ、あまり流行りませんでした。

 またソシュールの言語学は、前述したヤコブソンを通し、ロシア・フォルマリズムに影響を与えます。

 従来のロシア・フォルマリズムでは、「物語を形式から捉える」だったのですが、「物語の構造を形式から捉える」に変化したのです。

 この当時フランスでは構造主義が流行っていたのですが、そこにロシア・フォルマリズムの考え方が輸入されます。

 両者の思想の考え方は根本のところで似通っているので、すぐに複合的に使われるようになるのです。

 そして、ツヴェタン・トドロフという人物が、この「異なる二つの思想を一つに融合させ、物語を構造的に捉える研究」のことを「ナラトロジー( 英語:narratology )」と名付けます。

 こうして「物語論」は誕生しました。

 全く関係のないように見える思想が一つに合わさったりと、ややこしい背景があったのです。

 ただ、誤解を恐れずに言えば、そもそもの文学理論自体が、心理学や経済学と言った種々の学問をごちゃまぜにして作ったものであり、これもその一端と考えれば、腑に落ちないこともない、と言えるのではないでしょうか。

物語論の構造を分析してみよう!

 このように、構造主義とロシア・フォルマリズムが1つに融合することによって生まれたのが、物語論です。

 つまり物語論の目的とは、「物語の構造を見つけることによって形式を分析する」ところにあり、「物語の形式に対して分析を行うもの」が物語論である、と述べることが出来ます。

 ですので、物語の内容に対する解釈に重点を置いた一般文学とは、まるで異なるのです。

 例えば凶悪犯罪者が出てくる物語を見たとします。

 すると「残虐だ」とか「こんな生い立ちだから人間が歪んでしまったんだ」などという見方もできるだろうし、さらには、「凶悪犯罪者の心理」についても、分析することが出来るでしょう。

 上記は、内容に重点を置き、表現しています。

 対して、「凶悪犯罪者をどのように書いているのか」となれば、これは内容ではなく、仕組み、つまりは形式に重点を置いているので、物語論だということが出来るのです。

 ただ、何度も繰り返し言いますが、物語の内容を解釈すると言うのも立派な文学論ですし、これまでの文学界では、その方が一般的だと言えます。

 さきほど、物語論の目的について説明しましたが、その一つとして「物語の裏にある構造から、話の類型を見つけること」というものがあります。

 こちらのエントリーで紹介した「モンキー・D・ルフィ」の画像のように、同じキャラクターだと私たちが認識できるものには、深層に同一の構造が潜んでいるのです。

 つまり、悲しい物語には悲しい物語の構造が潜んでおり、面白い物語には、面白い物語の構造が潜んでいることになります。

 これを見つけることが出来るなら、「どうすれば悲しい物語を書けるのか」「どうすれば面白い物語を書けるのか」というのが自然とわかるようになるのです。

 その観点からさらに深堀りしていくと、「文学性とは何か?」という、文学界における根源的な命題への答えさえも、見つけることが出来るかもしれません。

 これらが物語論の基本的な理念です。

 ただ、現代の物語は多様化が進み、物語論のみでは分析しきれないものも増えてきているのが実情と言えます。

 次回は、実際にどのように構造分析方法があるのか見ていきましょう。

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ここまで読んで頂きありがとうございました。
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