エンタメとしての文章とは〜恥ずかしさを削ぎ落とすか、受け入れるか〜

 最近、10年前に書いた作品を見返す機会がありました。
 昔書いたときはこれが限界!と思っていましたが、今見たら下手で荒削りだなと感じてしまいます。ダニング=クルーガー効果でしょうかね。

 それでも、文章を洗練すれば沢山の人に読んでもらえるかもしれないと感じました。若い頃のギラギラした思いが詰まっていて、読んでいて恥ずかしいのですが、面白い。

 

 



恥ずかしさを感じさせる理由

 冒頭部分に恥ずかしさが凝縮されているので、それを例にあげて、恥ずかしさを感じさせる理由を3つあげてみます。

理由① 大した実力も実績もないのにイキっている

 私の10年前の作品は、冒頭からして恥ずかしいです。主人公は凡人で大した実力がないのに、優秀な人のようにふるまっています。偏差値60弱でなぜそこまでイキっているんだと恥ずかしくなってきます。
 とはいえ中盤でネットワークビジネスにはまり込んで貯金がゼロ円になるという作品なので、こういうイキったキャラクターである必要があるのですが……序盤を読むのが辛いです(笑)

 では、その一番恥ずかしい冒頭をどうぞ。

 簡単に自己紹介をしておこう。俺は成田優作。1984年兵庫県姫路市生まれ。兵庫県神戸市育ち。小学校では試験で90点台を連発。神童っぷりを発揮するが中学校で没落。高校は学区内で2番目の公立高校へ。そこでも落ちぶれ、一時は偏差値40を切る。神戸大学に行こうと決意し、そこから追い上げるも、偏差値60弱の公立大学に落ち着く。

 2003年から大学生活。大学では1年留年したため、卒業は2008年。2008年と言えば周りの学生は売り手市場という追い風の中、楽な就活をこなしていた。しかし成田は、自分の現状を冷静に見つめた結果、このままでは売り手市場の今ですら、まともなところに就職できないと思い立ち、大学院への進学を決意。この時、もっと勉強したいんや!と親に頼んだ気がするが、なんのことはない。就活に対する恐怖心が成田を大学院へいざなったにすぎない。

 この翌年、リーマンショックが起きて、学生にとって冬の時代が到来したことは書くまでもないだろう。結果的に就活難民が大量発生し、成田たちは苦しい就活を余儀なくされる。それでも大学院で覚醒した成田は、そんな逆風の中で東証1部上場企業から内定をゲットしていた。

 

理由② 読者に馴れ馴れしく持論を語る

 読者に語りかけるのも最悪です。読者は物語の主人公と会話したいわけではありません。
 読者が求めていることは2つのいずれかです。1つは作中の誰かになりきって疑似体験をすること。もう1つは作中の突飛なキャラクターを安全なところから眺めること。

 私の作品の成田優作というキャラクターは突飛なキャラクターですので、読者と一線引いておく必要があります。読者からすると、巻き込み事故はゴメンなわけです。せめて、作中のキャラクター同士で会話させていれば違いました。

 ここで、成田優作のこだわりその1【成田優作は過去を振り返らない】

 大学生の頃、高校生の俺マジモテてたって自慢した人いただろう? 高校生の頃、中学校の俺最強って自慢をする人、いたよねえ。中学校の頃、小学校時代の俺富豪って自慢する人いたでしょう。でも過去を振り返ることに時間を取るなんて、今が充実していないやつのすることだ。今が楽しい人は昔を懐かしんだりしない。俺、成田優作は今より未来のことを話してこれまで生きてきた。昔話をするよりは、夢を語る方がはるかに建設的だと考えて。もっとも、その弊害と言ってもいいが、結果報告とかプレゼンは下手だ。学会で表彰状をもらったって言っても、あんなの練習の賜物なだけだし。昔のことを面白可笑しく話せるやつはうらやましいね。なにごとも程々にすべきだって今は思う。

 

理由③ 地の文で自分で自分にツッコミを入れる

 一人称視点か三人称視点かも定まりきっていない作品ですが、一人称視点的な書き方の地の文で、自分で自分にツッコミを入れるのも恥ずかしいなと感じます。ここも作中のキャラクター同士で会話させて、昔こういうことがあったなと話す場面にすればよかったです。

(おっ懐かしいな、ここは)
 俺の目に飛び込んできたのは、中学校の側にある公園だ。高校3年生までは、よくここで幼なじみと話をしてたっけ。

 その幼なじみの名前は柚木奈緒子。彼女は小学時代からの幼なじみで、中学卒業後、兵庫県立神戸鈴蘭橋高校へ進学した。俺は兵庫県立夢野台高校へ進学したので、高校自体は離れ離れであったが、携帯電話で連絡を取り合いながら、よく放課後に会っていた。
 思い出すのは高校3年生の夏に、この公園で2人で話したことだ。って俺、言ってる側から思いっきり過去を振り返る男になってるけど、これは今だけなんだからな!

 

恥ずかしさを削ぎ落とすための方法

 恥ずかしさを感じさせる理由を3点見てきました。さらに恥ずかしいのは、この作品を印刷してコミケで配布したという事実なのですが、それは置いておきましょう。
 さて、ここ数年の私は、文章の恥ずかしさを削ぎ落とす作業を続けてきたように思います。恥ずかしさを削ぎ落とすための方法は、いくつかあります。例えば、先程あげた3つの恥ずかしさに対応する対処策は下記になります。

対処①大した実力も実績もないのにイキらない

 世界最強の能力などがあればイキってもよいが、そうでなければキャラクターを謙虚に振る舞わせる。

対処②読者に馴れ馴れしく持論を語らない

 持論を語る際に読者を巻き込まない。あくまでも作中で主人公はこう考えている……と書くに留める。

対処③地の文で自分で自分にツッコミを入れない

 ボケとツッコミでテンポよく勧めたいのであれば、バディものなど2人のキャラクターを用意して掛け合いさせる

 

 それ以外にも恥ずかしさを削ぎ落とす方法がいくつかあります。

対処④熟語を使う

 優しい表現よりも、漢字を使ったほうが恥ずかしさは減少する。

対処⑤欲望を明確にしない

 私の10年前の作品の主人公、成田優作は1000万円をためて個人スポンサーでアニメを作ることを夢にしています。そのために手取り16万の会社で1000万円貯めるために奮闘する物語です。
 随所に金を稼ぐという欲望が明確に出ていまして、欲望をさらけ出しているのが、恥ずかしい。
 欲望を明確にしなければ(例えば涼宮ハルヒの憂鬱のキョンのように、淡々と生きるキャラクターを書けば)、恥ずかしさは減少する。

 

恥ずかしさを受け入れるためのメンタル

 恥ずかしさを削ぎ落とすための方法として、対処①〜⑤を見てきました。ですが実のところ恥ずかしさは無くすべきものでしょうか?

 私は最近、エンタメとしての文章とは、恥ずかしいものではないか?この若い頃のギラギラこそがエンタメではないか?と考えています。恥ずかしさを受け入れるほうがいいのではないかと感じています。

 最近私が推している「極点の炎魔術師~ファイアボールしか使えないけど、モテたい一心で最強になりました~」も、“モテたい”一心で、最強に至った少年を描いた物語です。
 お金持ちになりたい……は少し心が汚れているかもですが、モテたいという欲望に関しては、受け入れて作品に取り込むほうが、読者も感情移入しやすいと感じています。

 

 10年間、恥ずかしさを削ぎ落とし続けてきた私が、恥ずかしさを受け入れるという発想に至った原因は、メンタルにあります。

 等身大でいられるようになってきたというでしょうか。昔の私は、自分に自信がなかったので、理想の自分像(リーダー像)を作り上げ、それに現実の自分をあわせようとしました(その理想こそ、境界を超えろ!の主人公アイン・スタンスラインだったりします)。

 ですが今は、現実の自分が、理想の自分にシンクロしてきました。すると、もっと自分自身の根源的な欲望に目を向けて。恥ずかしさも受け入れればいいと考えるようになりました。

 

エンタメとしての文章を書くためのメンタル

 私は昔、「小説という趣味は、自分の心にダイブして、不安定な心模様と向き合い、書き出す行為」と捉えていました。

 それこそ純文学はそういったジャンルです。

純文学」:作品から様々な体験、知識、思考、感情などを享受でき、何度読み返しても新しい発見がある作品。 

 ですが恥ずかしさを削ぎ落とした文章は、エンタメとしての文章と違ってくるかもしれません。小説家になろうで高評価をとっている作品は、作家自身の恥ずかしさを盛り込んだ作品が多いです。
 恥ずかしさを作品に盛り込めるということは、作家自身が等身大のご自分を好きなのだろうな、信じておられるのだろうなと感じます。

 例えば書籍化作家さんのTwitterを覗くと、他人と楽しくコミュニケーションを取りながら、大なり小なりの誹謗中傷も笑いに変えるようなやり取りが見られます。これは精神が安定していないとできないなと興味深く見ています。

 エンタメを書くためにはまず精神を安定させること。実はスタート地点はここにありそうな気がします。私は随分時間がかかりましたが、ようやくスタート地点に立てたのかもしれません。

 まずはプロローグから書いてみましょうか。