「場面転換」の描写は丁寧かつ、明確に!プロアマの小さな分水嶺
「この小説、場面転換が雑。大事なとこを読み飛ばしたのか?と思って読み返したら、こっそり変わっていた。」あなたもこんな経験ありませんか?場面転換の手抜きは、読者がそのことに気づかず、ストーリーがわかりにくくなるという事態を招きかねません。ここでは、小説の場面転換の技術についてご紹介します。小さな技術ですが、確実にプロかアマかの分かれ道となるところです。
原因は、描写の手抜きと体感時間のズレ。
雑な印象を受ける場面転換とはこんなストーリーです。
【悪い例】
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大きく育った桃太郎は、鬼ヶ島へ鬼を退治に行くことになった。
桃太郎は鬼ヶ島にいた。犬、猿、キジの3匹の家来とともに、酒盛りの真っ最中の鬼たちに奇襲攻撃を仕掛けて大勝利。鬼とともに、財宝を持って無事村に帰ったのだった。
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もし「桃太郎は鬼ヶ島にいた。」という一文を読み飛ばした場合、情報が明らかに不足しているのにも関わらず突っ走ったような印象があり、なんだか拍子抜けした感じがします。
こういったことが起きる原因として1つは、「場面転換後の描写が手抜き」であること、もう1つは「体感時間のズレ」ということが考えられます。
作者は「体感時間のズレ」を心して
体感時間のズレとは、「作者の時間、読者の時間」これらを意識していなかった場合に起こります。
例えば、作者が場面転換の前の部分までを前日夜に書き上げて、その後の部分を翌日朝に書いた場合、作者の中には物理的に8時間以上も時間が流れています。しかしそのままの感覚で書いた場合、確実に読者は時間の流れについていけなくなります。
他には、物語の内容によって時間の流れが「早い」「遅い」と感じるという、読者の時間が原因の場合があります。例えば、コミカルなシーンであればサクサクと読み進められるため時間の流れは早く感じますが、シリアスなシーンは遅く感じるため、それを考慮して文章は構成すべきです。
こういった体感時間のズレによる失敗を少しでも防ぐためにも、場面転換部分は必ず続けて書き、作業を止めないようにしましょう。また作者の意識として、体感時間のズレが存在することをよく認識することも大切です。
時間の空白にはルールを設け、描写は丁寧に。
しかしこういった場合の解決策は実に簡単です。時間の空白がある場合は、必ずそこにアスタリスク(*)を配置したり、「第○章」などというように章替えをするというルールを設けましょう。
【良い例】
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大きく育った桃太郎は、鬼ヶ島へ鬼を退治に行くことになった。
第4章 いざ鬼ヶ島へ
桃太郎はおばあさんお手製のきび団子を腰にぶらさげて出発した。道中、犬、猿、キジが順番に現れた。「鬼ヶ島へ一緒に行ってくれるなら」ときび団子を分け与え、その三匹を家来とし、一向は船で鬼ヶ島に向かった。
桃太郎は鬼ヶ島にいた。三匹の家来とともに、酒盛りの真っ最中の鬼たちに奇襲攻撃を仕掛ける。皆の力を合わせた甲斐があって見事に大勝利。鬼とともに、財宝を持って無事村に帰ったのだった。
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このように場面転換後の描写を手抜きしないことも大切です。そこが1つの話の山となって読者の心に描写が深く残り、場面転換を実感することができます。
まとめ
場面転換を単なる「一行空けの場面転換」で終わらせてしまうと、文章の粘りがまったくなくなり、水洗いして脂肪が全部抜けてしまったひき肉みたいなもので、まったく味わいがなくなります。一旦踏みとどまって、そこで文章を濃く、丁寧に扱ってほしいものです。
場面転換という小さなポイントではありますが、こういった細かい部分こそ、プロとアマの分水嶺です。ぜひ参考にしてみてください。
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