「どんなに良い人間でも、きちんとがんばっていれば、だれかの物語では悪役になる」は英雄の真理

2023年1月16日

Twitterでこの言葉が「真理」として話題になっていました。出典は『猫のお寺の知恩さん』7巻。おばあさんが語るこのセリフに、深くうなずいた人は多いのではないでしょうか。

『猫のお寺の知恩さん』7巻より

私はこの言葉を見て、ひと昔に大ヒットした『嫌われる勇気』を思い出しました。

今回は「どんなに良い人間でも、きちんとがんばっていれば、だれかの物語では悪役になる」と『嫌われる勇気』の学びを踏まえて、英雄の描き方について書いていきます。

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「嫌われる勇気」が本当に伝えたかったこと

『嫌われる勇気』の中に、こんな文章があります。

「自由とは、他者から嫌われることである」(中略)あなたが誰かに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。
——『嫌われる勇気』岸見一郎/古賀史健 著 p162

この言葉は誤解されやすく、浅い理解しかできない人々を中心に「私のしたいようにする」「好き勝手に生きる」という自己中を量産しました。しかし『嫌われる勇気』が本当に伝えたかったのは、冒頭のおばあちゃんの言葉だったのだと感じます。

自由とは、自己中に生きていいという話ではありません。

信念をしっかり持ち、理不尽な社会のルールや見て見ぬ振りされている悪行——そこに勇気を持ってNOを突きつけることです。

2つの「自由」——libertyとfreedom

なぜそう言い切れるかというと、英語圏で「自由」を指す2つの単語が、それぞれ以下を意味するからです。

libertyfreedom
語源奴隷からの解放王の支配からの解放
意味生きるために働き、財産を持ち、契約を結ぶ権利自分たちで政治を行う権利(憲法を定め、王に頼らない)
本質「奴隷でないこと」「自分たちで決めること」

つまり「自由」を行使するとは、私利私欲のためではなく、他者のため、大きな正義のために信念を持って行動することです。

だから「どんなに良い人間でも、きちんとがんばっていれば、だれかの物語では悪役になる」のです。正義のために行動すれば、必ず既存の秩序を壊す。秩序の側にいる人間からすれば、それは「悪」です。

英雄の価値——「別の物語で悪役になる」ことの重厚さ

私が英雄を描くときに、「これができたら最高だ」と感じるポイントが1つあります。

英雄的行動の結果として、誰かが不幸になること。

「きちんとがんばっていれば、だれかの物語では悪役になる」——どんなに「世界中の人間から愛される英雄」でも、それは正義の一面にすぎません。必ず英雄の行動のために不幸になった人がいるはずなのです。

そして、ここからが重要なのですが、表現方法にもこだわりがあります。

英雄譚の中では、英雄の行動はただひたすらに称賛されてほしい。それこそワンピースのルフィのように。読者も「英雄の行動は正しかった」と共感できてほしい。

その上で、別の物語の中で、 実は英雄の行動によって不幸になった人がいて、その人たちは英雄を恨んでいると示す。この不幸な人々は英雄と和解するわけではなく、英雄が作り出した世界を破壊するために——つまり自分たちの自由(freedom)のために行動する。

こんな物語が書けたら、最高ではないでしょうか。

物語の層描かれること読者の感情
英雄譚(本編)英雄の行動は正義。称賛される「正しい。応援したい」
別の物語(続編/外伝)英雄の行動が作り出した不幸が描かれる「こちらの正義も理解できる」
二つの物語が交差する瞬間正義と正義がぶつかる「どちらも正しい。だからこそ痛い」

「英雄の敵」を描くための設計原則

この構造を実現するための設計原則を整理します。

原則1:英雄譚では英雄を100%善として描く

中途半端にダークヒーローにしない。英雄の行動に迷いを持たせない。読者が全力で共感できる状態を作ることが前提です。「実はこの行動で誰かが傷ついている」という含みは、英雄譚の中では一切見せません。

原則2:別の視点では英雄を100%「原因」として描く

外伝や続編で視点を変えたとき、英雄の行動が引き起こした不幸を正面から描きます。ただし、英雄を「悪」として描くのではなく、あくまで「原因」として描く。英雄は自分の正義に従って行動しただけです。その結果として不幸が生まれた。因果関係を淡々と示すことで、読者は自分の頭で善悪を考え始めます。

原則3:和解させない

安易にはこうしない——「実は英雄も苦しんでいたのです」「英雄が謝って手を取り合いました」。和解は感動を生みますが、現実の正義とはそういうものではありません。 互いの正義を認めた上で、それでも戦う。その覚悟の描写こそが英雄譚の価値です。

「正義のぶつかり合い」を描いた作品たち

この構造は、実はいくつかの作品で実現されています。

最もわかりやすいのはゲームの世界です。あるルートでは英雄だった主人公が、別ルートでは敵として立ちはだかる。プレイヤーは両方の視点を経験するため、「どちらも正しい」という痛みを味わいます。

小説でこの構造を実現するのは難しいですが、不可能ではありません。1つの物語では主人公を完全に善として描き、別の物語でその主人公の行動が新たな「正義の敵」を生み出していたと示す。この2つの物語を通して読んだとき、読者は「正義とは一面的なものではない」という真実に気づきます。

ポイントは作中で主人公の行動が不幸を生んでいると「示唆する」のではなく、まったく別の物語として「描ききる」ことです。示唆だけなら多くの作品がやっています。しかし、不幸になった側の人々を主人公にした別の物語を書き、その中で前作の英雄が敵として描かれる——この構造を持つ小説は極めて少ないのではないでしょうか。

身近な例で考えると、ワンピースのルフィは海賊です。ルフィが海軍を叩きのめして仲間を救うシーンに私たちは感動しますが、叩きのめされた海軍の兵士たちにも守るべき家族や信じる正義があるはずです。彼らにとってルフィは「秩序を破壊する厄介な海賊」に他なりません。ルフィの物語が爽快であればあるほど、その裏側にある「海軍側の物語」の重さが際立つ。この構造を意識するだけでも、英雄譚に奥行きが生まれます。

「自分の物語の悪役」として受け入れる覚悟

この話は、物語の中だけの話ではありません。

創作活動をしていると、批判されることがあります。あなたの作品を「面白くない」と言う人がいます。あなたの表現が「不快だ」と言う人がいます。それはあなたが何かを表現した結果です。何も表現しなければ、誰にも嫌われません。しかし、何も表現しなければ、何も生まれません。

「嫌われる勇気」が教えてくれたのは、嫌われることを恐れて表現を控えることの愚かさです。あなたが誠実に、本気で物語を書いたとき、それを好まない人が現れるのは当然のことです。むしろ、誰にも嫌われない作品は、誰の心にも残らない作品である可能性が高い。

「どんなに良い人間でも、きちんとがんばっていれば、だれかの物語では悪役になる」——この言葉を受け入れた瞬間、表現者としての覚悟が定まるのではないでしょうか。

まとめ——誰もが英雄になりうる

「どんなに良い人間でも、きちんとがんばっていれば、だれかの物語では悪役になる」——この言葉が英雄の真理であるならば、誰もが英雄になりうるということでもあります。

あなたが今、何かのために一生懸命に行動しているとしたら。その行動は、必ず誰かの世界を変えています。良い方向にも、悪い方向にも。それが「きちんとがんばる」ということの本質です。

英雄とは、万人に愛される存在ではありません。自分の信じる正義のために行動し、そのせいで嫌われることを恐れない存在です。それは『嫌われる勇気』が教えてくれた「自由」の定義そのものです。

もしあなたが物語を書いているなら、一度考えてみてください。あなたが描いている主人公は、本当に「正しい」のか。その「正しさ」の裏で、誰が泣いているのか。その問いに向き合ったとき、物語はもう一段深い場所に到達するはずです。


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