創作ネタ | 風倉さんのアンケートに見る、小説家は職人か、商人か
こんにちは。
杞優橙佳です。
こぴーらいたー作家@風倉さんがTwitterで面白いアンケートを実施されていたので、私も便乗してエントリーを書いてみます。
風倉さん、いつも面白い視点でツイートありがとうございます。楽しみに見ています。
小説家は商人か?そして、職人あるいは芸術家は、商人とは別であるか?
風倉さんが実施され、議論を巻き起こしたアンケートがこちら。
見事に意見が割れています。
小説家、サービス業、商人、職人
このあたりの言葉の定義が人によってまちまちだからでしょうね。
議論を呼ぶとても面白い質問だと思いました。
こういうアンケート結果を見ると、グループディスカッションするときも使う言葉は気をつけないといけないとわかりますね。みんな自分の解釈で言葉を使うので、定義がずれていると議論が噛み合わなくなっちゃうんです。
風倉さんはアンケートの後、議論の中で商人や職人の定義を明らかにされています。回答者とのイメージの相違もだいぶあったんじゃないでしょうか。
とはいえ、普段使っている小説家、サービス業、商人、職人という言葉を自分の中で再定義するのは大事なことだと思います。ですのでこのエントリーでは風倉さんのアンケートをきっかけに、私の考える定義を書いていきます。ひとつの解釈として参考にしてみてください。
小説家、サービス業、商人、職人の定義
・小説家とは
小説を書きあげた人
小説でお金を稼いでいる人、という考え方もいらっしゃるかもしれませんが、アマチュア小説家、プロの小説家といった言葉がありますので、お金を稼ぐことだけが小説家の定義ではないかと。
それこそ野球選手と同じような意味で使われているイメージです。野球選手もバッティング練習やピッチング練習しているだけでは選手と呼ばれることはなく、野手や投手として試合に出ることで選手となります。
同様に小説家も、ブログやTwitterで文字を書くだけでは小説家ではなく、小説を書き上げることによって小説家になるものと考えています。1話でも小説を書けば、エタったとしてもそれは小説家なのでは?って反論もあるかと思いますが、私的にはエタるというのは試合を途中で投げ出しているようなイメージです。それこそピッチング練習だけをして、試合の楽しさを知らない野球選手のような半端感があります。
ただ、エタるということは作品の出来が納得いかなかったり、読者の反応が想像どおりでないことに不満を感じているということですから、理想が高い人なのでしょう。野球選手で言うとイチローみたいなものかもしれません。ですがイチローも試合に出て初めて選手として認知されるわけですから、やはりどこかで作品は書き上げなければならないと考えます。
一方、小説を書いてお金を稼いでいる人というと、作家になると考えています。兼業作家という言葉はよく聞きますが、兼業小説家って言葉はあまり馴染みがない気がします。
・サービス業とは
人の欲望に奉仕する仕事
え?じゃあ食欲を満たす漁業や農業、いい家に住みたい欲を満たす建設業や、電気やガスもサービス業なの?と思われるかもしれません。
個人的にはYesだと思ってます。ようは物不足の時代では、生産者に商品を作ってやってるんだという驕りがあったように思います。ところが供給が増え、物があまるようになると、作っても全部は売れません。すると他のリンゴよりこっちのリンゴのほうが美味しいよという農家が出てきますよね。これってすでにサービス業に業態が変化したものと考えています。
では小説家はサービス業か?というとこれは別の概念だと考えます。
サービスに徹底した小説家と、そうでない小説家がいても良いと思います。ですがサービス精神のない小説家は読者があまりつかないでしょうね。すでに供給が大きく需要を越えている時代ですから。作家としてお金を稼いでいこうと思ったら、上から目線で小説書くのではなく、サービス業に業態を変化させなければいけないということですね。
・商人とは
三方良し(「 商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる」)を哲学とした近江商人の商売十訓を守る人
以下商売十訓
1 商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
2 店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何
3 売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる
4 資金の少なきを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし
5 無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ
6 良きものを売るは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり
7 紙一枚でも景品はお客を喜ばせばる つけてあげるもののないとき笑顔を景品にせよ
8 正札を守れ、値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ
9 今日の損益を常に考えよ 今日の損益を明らかにしないでは、寝につかぬ習慣にせよ
10 商売には好況、不況はない、いずれにしても儲けねばならぬ
私はどちらかというと起業家タイプの人間ですので、人のために働いてお金を儲けるということについて悪い印象は抱いていません。むしろお金を稼ぎお金を使うことで経済が回り世の中が豊かになっていくと考えています。大失敗しながらも投資をしてみたり、せどりを試したこともあります。
結局世間の考える悪い商人って、商売十訓の第五条を守れていない人ですよね。
5 無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ
ですので風倉さんも書いていた、一般的な商人の悪いイメージ「金の亡者」や「悪代官」「セールスマン」は全く持っていないです。
逆に5 無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れを守れていない「金の亡者」はなんて呼べば良いのか?というと、私は売人でいいんじゃないかなと思いますね。麻薬の売人と同じイメージです。
ただこう書くと、客の好むものも売るなというのはサービス業の否定じゃないか?と思われるかもしれません。ですがそこは、客の為になるという思いがあればアリだと考えます。
例えば松のやのトンカツありますよね。商売十訓はトンカツを好む人にトンカツを売るなと言っている!という人に対して、松のやの従業員は、いえいえ家で調理する手間なく美味しいとんかつを食べられるのはお客様のためになっています、と返せばいいんですね。ようはお客様のためを考えて、仕事が行われているかという点が重要なわけです。
じゃあ麻薬の密売は、家で美味しい麻薬を吸いたいお客様のためになっていますと返せばいいのか?というと、これはどうでしょう。反論も多いでしょう。
結局、何が『お客様のため』になるかという概念が時代によって変わってしまうという点は注意が必要です。
じゃあ作家は商人か?世のため人のために小説を書いてお金を得ている人であれば、皆商人と考えてよいのではないでしょうか。
世のためにも人のためにもならない小説を書いてお金を得ていますという人はまずいないでしょうが、そういう人がいたら小説の売人と名付けていいと思います(逆に流行りそうだな小説の売人)。
・職人とは
その仕事の真髄(物事の中心・精神ともいうべきもの)を理解した人
もくもくと作業に取り組む人という印象を持つ人もいるかもしれませんね。僕的には、何も考えずただ手を動かす人って、ただの作業員だよねって感じです。
作業員=職人というのは誤ったイメージです。むしろ職人をバカにしてる。
例えば寿司職人っているじゃないですか。師匠について何年も修行をして寿司の握り方だけじゃなく接客や身なりといった振る舞いも含めて真髄を理解した人を職人と呼ぶわけで。
まあ、ホリエモンが「寿司職人が何年も修行するのはバカ」発言 数か月で独り立ちの寿司でもうまいって言ってましたが。これは今の時代に職人の精神性を評価する方法がないからで、そこを評価できるシステムができれば変わると思いますよ。とはいえ目に見えるものじゃないし、資本主義社会では難しいですかねー。むしろその精神性を本にしたりして、本業以外の方法で追加収入得てくださいって感じですかね、今の時代は。
さて、定義が出揃いました。それでは本題に移っていきましょう。
小説家は職人か、商人か
先程まで論じてきた定義に沿って書きましょう。小説を書きあげた人は、その仕事の真髄(物事の中心・精神ともいうべきもの)を理解した人か、三方良し(「 商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる」)を哲学とした近江商人の商売十訓を守る人か?
さて、いまいち文章になっていない気がしますが、こういうことでしょう。
小説家は宮本武蔵か、坂本龍馬か(え?余計わかりにくい?w)
ようはまわりの人を気にせず、小説とは何かを突き詰めていくか。
まわりの人を喜ばせるために小説を書いて社会に提供していくか。
という価値観を問う質問だということですね。風倉さんのアンケート結果にも現れていましたが、これは答えのない質問です。職人派も商人派も、どっちも半々派もアリ。人それぞれの答えがあっていいんですね。素晴らしい質問です。
じゃあ杞優の答えは?
さて、ここまで読んでくださった方の中には、杞優はどっち派なの?と気にしてくださっている方もおられるかもしれません。
そういう希少な方のために、ここで杞優の答えを書いておきます。
杞優としては、小説家にとっての坂本龍馬でありたいという思いが強くあります。
どういうこと?というと小説家が私と一緒に創作を楽しんでくれて、それに報いれる仕組みを作れたら良いなということです。具体的には境界を超えろ!の創作に関わってくれた人と、面白いことをやりたいという気持ちです。
二次創作を書いてくれた人に挿絵をプレゼントしたり、そういうことをやりたいということですね。
じゃあ読者に対してはどうなんだい?(なかやまきんに君風)というと、これは風倉さんが別途アンケートしてくださっている、大多数の人間に受け入れられなかったこのアンケート結果がポイントとなります。
Q:小説は読者の成長を目的とするべき?
→結果、1:9で「なくてよい」が圧倒!
私は究極的にはこの9割の人間に望まれていない読者の人間的成長を目指す小説家になりたいと考えています。学びのある作品ということですね。
もちろん、読んでもらうためには読者に楽しんで頂くことが重要です。望まれていない作品を書いても誰も読んでくれませんからね。
なぜわざわざそこにいく?と言われれば、9割の人間に望まれていないからとしか言えません。イノベーションはいつの時代も世間の常識と離れたところから生まれます。
私のような起業家タイプの人間からすると、9割が望んでいないと言われれば、そこには誰も開拓していないブルーオーシャンが広がっているとしか思えません。
新しい商品は常に見えているニーズの外から生まれると言います。
経営の授業で学びました。
日本の商品がなぜ世界で受けないかというと、街頭アンケートなどで市民の要望を聞き、それを真に受けて商品を作ってしまうからです。アンケートを繁栄した商品ができあがるころにはユーザの興味は一歩先にいってしまい、結局受けなくなってしまうのですね。
常にユーザの一歩先を見なければ、新しいヒット作は生まれないということです。人間的成長なんていらないとユーザが言うからこそ、逆に教育ジャンルは受けると考え、チャレンジして成功したのが中田敦彦のYoutube大学でしょう。
そして、学びのある作品とは、結局作者の経験に基づいた物語だと思うのですよね。自分にしか書けない物語で、読者に何らかの学びを与えられたら、それは自分の人生が誰かの役に立ったということで嬉しいじゃないですか。
ですので私も、このブルーオーシャンのジャンルで人々を面白さで引き込みながら、読んでいたらうっかり視野が広がってしまう、そんな作品作りを目指したいですね。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません