小説のスケールアップを実現する、物語の3つの切り取り方
「公募作品は、一冊で物語を終わらせなければならないから、スケールの大きな歴史を書くのに適していない」「主人公の身の回りに起きた出来事、それも2ヶ月程度の出来事を書くのが王道」
そんな意見を自分の周囲で見聞きしました。
ですが私はこの意見に少し違和感を覚えます。いえ、正確には諦めたくないというのが真意でしょう。
公募作品のように本一冊の文量しかなくても、スケールの大きな歴史を感じさせることは可能なはず。実際、私はこれを目指して執筆を行い、本を出版しました。
このエントリーでは、小説のスケールアップを実現する、物語の3つの切り取り方をご紹介します。
スケールの大きな物語の定義と書き方
スケールの大きな物語のわかりやすい例として、戦国時代をとりあげます。
Wikipediaによれば戦国時代とは、
一般に1467年の応仁の乱または1493年の明応の政変に始まり、豊臣秀吉が関東・奥羽に惣無事令を発布した1587年、または豊臣秀吉が小田原征伐で後北条氏を滅亡させ全国統一の軍事活動が終了した1590年、もしくは奥州で発生した九戸政実の乱を鎮圧し奥州仕置を完成させた1591年までとされることが多い。
戦国時代 (日本) – Wikipedia
最短でもおよそ100年のスケールの大きな物語……これが戦国時代です。
ここでひとつ認識合わせをしておきましょう。
いま「スケール」という言葉を使いましたが、私としては一人の人生を歴史の長さが超えてしまったケース(つまり、人の一生<歴史の長さ)をスケールの大きな物語と呼びたいです。
通常、物語というのは人が主体で、一人の人生の中に物語が展開されていくわけですが、スケールの大きな物語の場合は物語が主体で、ひとつの物語の中で複数の人の人生が交差するものと考えます。これは一般に「スケールの大きい物語」といったときの印象と概ね合致しているのではないでしょうか。
では戦国時代のスケールの大きさを公募作品で表現することは可能でしょうか。答えは切り取り方によります。物語には3つの切り取り方があり、切り取り方次第では1冊の本にスケールの大きな物語を収めることが可能です。
物語の3つの切り取り方
①歴史的事件の発生から解決を描く物語
1467年の応仁の乱から、豊臣秀吉が全国統一の軍事活動が終了した1590年までの130年を1冊の本で書くのは、ほぼ不可能といっていいでしょう。これは小説という形態の特性でもあります。
小説にしかできない魅力的な表現方法が、一人称です。様々な制約はありながらも、それを上回る強みのある表現方法です。
大きなスケールの物語を書く場合、登場人物は100人をゆうに超えるでしょう。けれども一人称であれば意外と本筋を見失わず、本を読んでもらうことができます。登場人物が多くスケールの大きな物語であればあるほど、視点は固定したほうがいい、と私は考えます。そしてそうなると……一冊で一人の人生以上の物語を書くのは難しいと感じます。
司馬遼太郎の国盗り物語は、斎藤道三の国盗り物語から始まり、斎藤道三の巻いた種が、織田信長・明智光秀へ受け継がれ、その性格的特性からどちらも儚く散ってしまった物語です。これは途中で主人公が変わりましたが上手くまとまっていました。ですが1冊では難しいかもしれません。また、この本ですら「歴史的事件の発生から解決を描く物語」を書けているわけではありません。
※分類するならば「歴史的事件のなかで三人の主人公の人生を描く物語」
②歴史的事件のなかでひとりの主人公の人生を描く物語
これは実現性が高い切り取り方です。
①で司馬遼太郎の国盗り物語の話を書きました。これは「歴史的事件のなかで三人の主人公の人生を描く物語」でしたが、斎藤道三ひとりの人生に限っていえば全4冊中の2.5冊で完結しています。2.5冊分を1冊に収めるのは難しいかもしれませんが、エピソードを削っていけば実現可能でしょう。
これは小説という表現技法の柔軟さだと思いますが、2ヶ月くらいの出来事であればもちろん書けますし、10年20年かかる話でも、一冊の本にまとめることが可能です。※私はまとめました。
ただしここで注意が必要です。
戦国時代のように日本全国誰でも知っている歴史的事件を題材にするのであれば、どこを切り取っても作品になります。それこそ明智光秀の人生を描く作品は面白いですし(NHK 大河ドラマ『麒麟がくる』)、今川義元の人生を描いても面白くなるでしょう(センゴク外伝 桶狭間戦記)。
ですが作家オリジナルの作品であれば、歴史的事件の始まりか終わり……このどちらかに近い時間軸を書くようにしてください。ようは歴史的事件が起こってしまったあとから始まり、それを解決することを目的としないなら、物語の設定として無くても同じなのですね。余計な設定は削ぎ落としていかなければいけません。
オリジナル小説で書くべきは「歴史的事件の始まりか終わり」。これは鉄則です。
③歴史的事件のなかでひとりの主人公の短期間の変化を描く物語
機動戦士ガンダムは1年戦争末期をアムロ・レイの目線で描いたから、最後に戦争が終わるというカタルシスがありました。エヴァンゲリオンはサードインパクトという歴史的事件の始まりを碇シンジの目線で描いたから、終わった時に変わり果てた世界を見て放心しました。
これらは「歴史的事件のなかでひとりの主人公の短期間の変化を描く物語」です。
アムロ・レイの人生は一年戦争のあとも続いていきますが、一年戦争に絞って書くということですね。
戦争という歴史的事件の終末を描くとよいのは、戦争が終わったというカタルシスも与えられるし、次の戦争が起きたらまた戦う理由が発生することです。つまり物語を先々続けやすいということですね。
③の場合は1冊の本で十分表現可能でしょう(続編がなければ、一つの戦争を描いただけじゃないかということで、スケールの大きさを伝えられないかもしれませんが)。
人生は綺麗に終わらせ、事件は終わらなくてもOK
さきほど②のところで、オリジナル小説で書くべきは「歴史的事件の始まりか終わり」と書きましたが、これは広く解釈してもらっても大丈夫です。
つまり「歴史的事件の始まりか終わり」付近の話を書けばいいということです。
下記のように戦国時代の始まりから終わりまでを書くのは無理として。
下記のように戦国時代の終わり付近に登場する武将であれば、織田信長を切り取ろうと、明智光秀を切り取ろうと、豊臣秀吉を切り取ろうと、徳川家康を切り取ろうと小説になるということです。
こう考えれば少し縛りが緩まり、書きやすくなるのではないでしょうか。私は織田信長は野望が成就しなかったからこそ、のちの人々に愛されたと考えています。私の出版した物語も、ようは現代版 織田信長&明智光秀といっていい内容です。この、私が書いた史上最高の英雄についてはいずれ語ってみたいです。
余談:一冊で書くという縛りを外せば
今回は「一冊でスケールの大きな物語を書く」というテーマでエントリーを書きました。余談ですが一冊で書くという縛りを外したとしても、物語の切り取り方は変わりません。
一冊で書くという縛りを外すのであれば、「②歴史的事件のなかでひとりの主人公の人生を描く物語」が有効だと思います。
例えば徳川家康という戦国三英傑最後のひとりの人生を題材にして書き尽くした「徳川家康」という作品。一冊では終わらず26冊という大作です。
現代の商業小説では、人気が出なければここまで続けることは難しいかもしれませんね。
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みなさんがスケールの大きな物語を書くヒントになれば幸いです。
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