感情四元論(悔しいと気持ちいいと切ないと美しいを語る)

2020年4月15日

こんにちは。
杞優橙佳です。

 先日、切ない物語のポイントについて紹介させていただきました(切ない物語は3つのポイント(要素)でできている)。また、少し前ですが、あわせて美しい物語についても紹介させていただきました(美しい物語を書く2つのヒント)。これをうけて、今回のエントリーでは、感情についてさらに掘り下げて書いてみたいです。

 長いエントリーではありますが、読み終わった後には、必ずあなたの小説書きのレベルを向上させる手助けになるはずです。まずは『切ない物語』と『美しい物語』の位置づけからお話しましょう。

 

『切ない物語』と『美しい物語』の位置づけ

 私は、『切ない物語』と『美しい物語』は『ひとつながりの感情』だと考えています。
 一方は物語の着地点が見えている状態で、着地点にたどり着く(美しい物語)。もう一方は物語の着地点が見えている状態で、着地点にたどり着けず、終わる(切ない物語)。

 物語の着地点が見えている状態で、『着地点にたどり着くかどうか』が分かれ目になっています。これを表にすると下記のような形になりますね。

 私はこのグラフを見て、ある仮説が思い浮かびました。
 このグラフにもうひとつ軸を加えると、『悔しい』と『気持ちいい』のふたつの感情を表現できるのではだろうか?

「え? 悔しいと切ない、美しいと気持ちいいを関連付けて考えているんだろうけど、イメージつかない」と思われる方もいらっしゃるでしょうね。説明不足で申し訳ありません。このエントリーで詳しく説明していきますので、どうぞよろしくお願いします。

 まずは『悔しい』と『気持ちいい』の感情を詳しく見ていきたいと思います。

悔しいという感情

くやし・い【悔しい/口惜しい】 の解説 
[形][文]くや・し[シク]

 物事が思うとおりにならなかったり、はずかしめを受けたりして、あきらめがつかず、腹立たしい気持ちだ。残念でたまらない。「負けて―・い思いをする」「―・かったら見返してやれ」

 後悔される。くやまれる。

「わが心しぞいや愚 (をこ) にして今ぞ―・しき」〈・中・歌謡〉

出典:デジタル大辞泉(小学館)

 Goo国語辞書より引用です。
 大辞泉の記載を見る限り、寂しさは『物語の着地点が見えている状態で、着地点にたどり着けていない』ように見えませんか。辞書の例文をもとにして、具体的に考えてみます。

・「負けて悔しい思いをする」
勝つという着地点が見えている状態で、勝てなかった(着地点にたどり着けなかった)。

・「わが心しぞいや愚にして今ぞ悔しき」
(原文)水溜る 依網池(ヨサミノイケ)の 堰杙打ちが さしける知らに 蓴繰り 延へけく知らに 我が心しぞ いや愚にして 今ぞ悔しき
※このままだと分かりづらいので現代文訳を……

(現代文訳)水をせき止めるために杭を打っていたのも知らないで ヌナハを手繰り寄せる手が伸びているのも知らないで 私は愚かなことだ悔しいことだ
※このままでも分かりづらいので解説を……

(解説)この池に生える水草「ヌナハ」の若葉を摘んで食べるために、杭を打って流れを止めて、さぁ摘もうかとしているのに、何も知らずに邪魔をしてしまった。なんてバカなことをしてしまったんだろうか。
→つまり準備は万端で、水草「ヌナハ」の若葉がいまにも掴めるという着地点が見えている状態で、邪魔をしてしまった(着地点にたどり着けなかった)意。

 2つめの例は古い文章のためわかりにくいですが、これらの例を見ると『悔しい』は、『切ない』と同じように『物語の着地点が見えている状態で、着地点にたどり着けていない(不足)』ことが原因で発生する感情に見えないでしょうか。

 そして、『悔しい』と『切ない』の違いは何かと考えた時に、私は再起可能か……つまりリベンジできるかどうかだと考えています。以前のエントリーでも書いたとおり、切ない物語のポイントは『再起不能(二度と戻れない)』です。

例文も
・好きな人が、他の人とつきあってしまう
・思い出にしたくないことが思い出になってしまう
・変わらずにいたい自分や他の誰かの気持ちが、変わってしまう
といったものをあげさせていただきました。あとで見てください。

 それに比べれば『悔しい』の例で出てきた例文は、再起可能ではないでしょうか。負けたのであれば勝てるように努力し勝てるまでリベンジいいですし、邪魔をしてしまったときには次は邪魔をしないと決意し成功を導けばいいわけです。
※どちらもネガティブな事象ではありますが、ポジティブな行動の動機につながる良い感情ですよね、悔しいって。

 ただ、例えば同じ場面で「母親が死んで悔しい」と「母親が死んで切ない」というケースがあるじゃないかと反論されるかもしれません。確かにこちら2つともいう場面はあると思います。

 しかしながら「母親が死んで悔しい」は大切な人が死のうとしている時に、何もできなかった自分に対していう言葉であり、例えば配偶者や父、子どもが死の危険にさらされているときに、母親に対しては何もできなかったけれど、今度はとリベンジできるものだと思います。

 一方で「母親が死んだ切なさ」は二度と会えないこと、さらにいえば母親が思い出になって消えてしまうことに対していう言葉であり、その事実は変わらないものです。

 まとめると
  悔しいは、再起可能な感情
  切ないは、再起不能な事象

 この2つを覚えておいてください。

気持ちいいという感情

きもち‐よ・い【気持ち好い/気持ち良い】 の解説
[形]《「きもちいい」とも》

 心身の状態がよい。気分がよい。「―・さそうに眠っている」「晴れた朝は―・い」
 触れたときなどの感じがよい。「―・い手触りの布」
 物事がなめらかに進行して具合がよい。「―・く切れるはさみ」「船が―・く進む」
考え方や行動が好ましい。わだかまりがなく、さっぱりしている。「―・い若者」「―・く寄付に応じる」

出典:デジタル大辞泉(小学館)

 同じようにGoo国語辞書より引用して、『気持ちいい』についても考えてみます。 大辞泉の記載を見る限り、気持ちいいは『物語の着地点が見えている状態で、着地点にたどり着いている』ように見えませんか。辞書の例文をもとにして、具体的に考えてみます。

・「気持ちよさそうに眠っている」
→柔らかい布団でぐっすり寝られて疲れが取れるという理想の睡眠(着地点)を思い描いた上で、実際に疲れがまるでないくらいリラックスした表情で熟睡しているように見える(着地点に到達)。

・「気持ちよい手触りの布」
→なでたときにサラサラと、いっさい指先や爪先にひっかからない理想の布(着地点)を思い描いた上で、実際にサラサラと心地よい手触りの布に出会う(着地点に到達)。

・「気持ちよく切れるはさみ」
→紙を切るとき、何の抵抗感もなく、思い通りの軌跡で切れる理想のはさみ(着地点)を想像した上で、実際に切れ味抜群のはさみがあった(着地点に到達)。

・「気持ちよい若者」
→若者にこういう行動をしてほしいという理想(着地点)を描いた上で、実際にそういう行動をしてくれる若者がいた(着地点に到達)。

 これらの例を見ると、『気持ちいい』は、『美しい』と同じように『物語の着地点が見えている状態で、着地点にたどり着く(充足)』から抱くものに見えないでしょうか。

 そして、『気持ちいい』と『美しい』の違いは何かと考えた時に、私はこれも再起可能か(繰り返し感じられるか)どうかだと感じました。例えば朝日を見て美しいという場面と、気持ちいいという場面を考えてみましょう。

・美しい場面
 あなたは会社で同僚と競争させられるのに疲れて、気持ちを晴らしたくて(着地点)田舎に来ました。棚田が広がる、山の麓の田舎の風景です。ふと。朝方早く、寒さに目が覚めて外へ出ました。すると真っ赤な朝焼けが棚田の水面をも赤く染め上げ、朝方になって出現した霧も、赤く染め上げられています。これは秋の紅葉の時期でした。周囲の木々も真っ赤に染まり、一面がオレンジ色の世界に変わっていきます。黄金の海に、自分だけが立っていました(着地点に到達)。

→こんな風景は、今日このタイミングでしか出会えないのではないかと感じます。同僚と競争させられて、心身ともにつかれていた自分に、神様がこんな素敵な風景を見せてくれたという物語も付随しているからです。同じような場面に遭遇しても、それはこの風景とはまた違って見えるでしょう。

・気持ちいい場面
 あなたは快晴の朝(天気がいいという着地点は見えている)に、背伸びをしながら空を見上げました。雲ひとつない青空が広がっています(着地点に到達)。透き通るような空の下、自分だけが立っていました。

→美しい場面と比べて風景描写が粗末な点はご容赦ください。これには理由がありまして、風景描写を増やすと一回性(一回起こっただけで、再び起こることはないということ)が高まってしまうんですね。ですので気持ちいい場面はサラッとしてしまいます。
※つまり小説書きのみなさんは、風景描写にすることによってその場面を、美しさで味付けしているんですね。いま書いた気持ちいい場面でも、あなたは「気持ちいい朝だなー」というだろうけれど、次の瞬間には忘れてしまいますよね。でも次の日にまた同じ感覚を感じることもできます。これって再起可能な感情じゃないでしょうか。

 さて、美しい場面と気持ちいい場面の解説を→の後に書かせていただきました。こちらを読んでいただけると、おわかりになるかもしれません。私は、美しいと気持ちいいの違いも再起可能か(繰り返し感じられるか)にあると考えています。

 気持ちいいはこうなってくれたらいいな……が実現するときに感じる感情で、再現性があるもの。美しいは、こうなってくれたらいいな……が再現不能な出来事の中で実現するもの。

 まとめると
  気持ちいいは、再現可能な感情
  美しいは、再現不能な事象

 この2つも覚えていただけますと幸いです。

悔しいと気持ちいいと、切ないと美しい

 これまで長い文章をかけて、

  • 悔しいは、再起可能な感情
  • 切ないは、再起不能な事象
  • 気持ちいいは、再現可能な感情
  • 美しいは、再現不能な事象

 だと書いてきました。

 これを一枚の絵にまとめると下の図のようになります。

 なかなか覚えやすく、納得感がないですか?
 私はこれを感情四元論と呼びたいです。そして、当然、これを物語づくりに活かしていきたい……。
※ここまで読んでくださった皆さんも同じですよね。

 さあ、長い長い前書きが終わりました。いよいよ本題です。

感情四元論を物語に適用する

 見出しにも書きました。感情四元論を物語に適用する……その方法をお伝えします。私が感情四元論で伝えたいことはこの言葉です。それは

『物語は悔しいと気持ちいいで牽引し、切ないと美しいで終わる』

 例えば悔しいで牽引するとはこういうことです。
  ①主人公にある目的をもって行動させる(例えばライバルに勝ちたいなど)
  ②主人公が目標を達成できない(悔しい)
  ③けれど主人公はまたチャレンジをする
  ※①~③を繰り返す(悔しいを再現させる)

 気持ちいいで牽引するとはこういうことです。
  ①主人公にある目的をもって行動させる(例えば女の子と知り合いたいなど)
  ②主人公が目標を達成できる(気持ちいい)
  ③主人公は次のチャレンジをする(例えば女の子と付き合いたいなど)
  ※①~③を繰り返す(気持ちいいを再現させる)

 これはラブコメでも異世界ファンタジーでもつかえる構文ですよね。さらにいえば、悔しいと気持ちいいのサイクルは短いほどいいです。1話毎に『悔しい』や『気持ちいい』と思わせるのが理想です。

 そして最後に、『切ない(物語の着地点が見えている状態で、着地点にたどり着けず、終わる)』か『美しい(物語の着地点が見えている状態で、着地点にたどり着く)』で終わってください。

 ラブコメであれば、切ない終わり方は主人公とヒロインが別れて違う道をいくことだったり。美しい終わり方は、主人公が回り道をしながらも最初に好きだった女の子と付き合うだったりするわけです。

 ファンタジーであれば、切ない終わり方は主人公が魔王に負けて世界が滅ぶことだったり(単なるバッドエンドにならないよう、ハッピーエンドの抱合せをしてくださいね)。美しい終わり方は、主人公が魔王を倒して王になれと言われるが、一番最初の村娘と結婚するだったりするわけです。

 こうすると読者は、悔しいと気持ちいいで牽引されて最後まで読めますし、読後には切ない感情や美しい感情が残る……これって素晴らしいですよね。

 ポイントは、『物語は悔しいと気持ちいいで牽引し、切ないと美しいで終わる』こと。さらにアドバイスするならば、切ないと美しいで終わるため、読者に着地点を示しておくことです。

 最後に、ここまでの話を感情四元論のグラフにまとめました。
 この図ともに、この戦略を覚えてつかってみてくださいね。

 それでは、今日も素敵な物語ライフをお過ごしください。

ここまで読んで頂きありがとうございました。
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