【感覚派向け】強調の読点を打つポイント2点。これであなたも読点マスター

2020年1月13日

こんにちは。
杞優橙佳です。

先日は論理派向けの、読点の打ち方をご紹介しました。
本日は感覚派向けの、読点の打ち方をご紹介しましょう。

https://kosiboro.work/?p=663

《問題》以下の文章は原文から読点を除いたものである。必要だと思われるところすべてに読点を打ちなさい。


 いまはもう自分は罪人どころではなく狂人でした。いいえ断じて自分は狂ってなどいなかったのです。一瞬間といえども狂った事は無いんです。けれどもああ狂人はたいてい自分のことをそういうものだそうです。つまりこの病院にいれられた者は気違いいれられなかった者はノーマルという事になるようです。

 神に問う。無抵抗は罪なりや?

 堀木のあの不思議な美しい微笑みに自分は泣き判断も抵抗も忘れて自転車に乗りそうしてここに連れて来られて狂人という事になりました。いまにここから出ても自分はやっぱり狂人いや廃人という刻印を額に打たれる事でしょう。

 人間失格。

 もはや自分は完全に人間で無くなりました。 

(太宰治『人間失格』新潮文庫より)

 

 原文は、太宰治です。感覚派の代表とも言えましょう。

 こちらの文章に論理派向けの考え方で読点をつけたとすると、下記のようになるでしょう。

 いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。いいえ、断じて自分は狂ってなどいなかったのです。一瞬間といえども、狂った事は無いんです。けれども、ああ、狂人はたいてい自分のことをそういうものだそうです。つまりこの病院にいれられた者は気違い、いれられなかった者はノーマルという事になるようです。
 神に問う。無抵抗は罪なりや?
 堀木のあの不思議な美しい微笑みに自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自転車に乗り、そうしてここに連れて来られて、狂人という事になりました。いまにここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、廃人という刻印を額に打たれる事でしょう。
 人間失格。
 もはや自分は、完全に人間で無くなりました。

 私は下記のルールで読点を打ちました。

・主語のあとに読点を打つ。
・否定の言葉のあとに読点を打つ。
・感嘆のあとに読点を打つ。
・条件の表現のあとに(~出ても)読点を打つ。
・分かち書き(気違い、いれられなかった)で読点を打つ。
・短い間隔に連続して読点は打たない(けれども、ああ、狂人は【】たいてい自分のことをそういうものだそうです。)

 さて、原文との差異をみてみましょう。差異があった部分は下記となります。

 けれども、ああ、狂人は【、】たいてい自分のことをそういうものだそうです。
 つまり【、】この病院にいれられた者は気違い、いれられなかった者はノーマルという事になるようです。
 いまに【、】ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、廃人という刻印を額に打たれる事でしょう。
 人間【、】失格。
 もはや【、】自分は、完全に【、】人間で無くなりました。

 差分を見ると、太宰治の文章には、論理派が打つ読点と比べてとても読点が多いと感じました。

 これは何故なのか。

 それは、感覚派が読点を使う最大の理由に隠されています。

感覚派の読点は強調の読点

 感覚派にとっての読点とは、読点を打った前後(文全体で見て短い方)を強調するためにあるものです。

 「人間失格」という単語は、続いていても意味が理解できますが、「人間、失格」と書くことでどちらの単語もひときわ輝き、頭の中に印象として残ります。
 この場合は読点の前後が同じ長さですから、両方が強調されますが、
「もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。」であれば、もはや自分は完全にという箇所が強調されて見えてきます。

 これぞ読点の効用ですね。

 読点をつかって文章のどこを強調するか、ここに作家の独自性があるわけですね。

 ただ、読点を効果的に使うには2つのルールがあります。

 それは、誰もが不要と思うところに読点を打たないことと、強調したいところを際立たせたいなら他の部分で読点を打ちすぎないこと
 どういうことかと言うと、例えば下記の文章を見てください。

 私が、昨日、コンビニで、ポップコーンを買って、食べて、いたら、コーヒーを持った少年が、私の靴につまずいて、近くにいた、おじいさんの持っている、アイスクリームにかかって、チョコレートが、溶けてしまい、少年が、こっぴどく、怒られているのを、見て、私は、心から、すまぬと、天を、仰いだ。


 読点が多すぎて作者が強調したいのかさっぱりわかりません。

 また、「ポップコーンを買って、食べて、いたら、」の「食べて」と「いたら」の間にはまず読点はいらないでしょう。ここは誰もが同意していただけると思います。
(小学生が何人かで声を合わせてこの文章を読んでいるといった、特殊な状況であれば別かもしれません。その場合はもっと小刻みに読点が必要でしょうけれど)

 例えば下記のように当店の位置を変えることで、文章の中の「私が」心からすまぬと思ったことが強調されて見えてくるのではないでしょうか。

 私が昨日コンビニでポップコーンを買って食べていたら、コーヒーを持った少年が私の靴につまずいて、近くにいたおじいさんの持っているアイスクリームにかかってチョコレートが溶けてしまい、少年がこっぴどく怒られているのを見て、私は、心からすまぬと、天を仰いだ。

読点だけで印象が変わることを感じていただければと思います。

まとめ

感覚派にとっての読点とは、読点を打った前後(文全体で見て短い方)を強調するためにあるというご説明をさせていただきました。

そして読点を効果的に使うには2つのルールがあります。

・誰もが不要と思うところに読点を打たないこと
・強調したいところを際立たせたいなら他の部分で読点を打ちすぎないこと

この2点に気をつけて、みなさんも読点を打ってみてくださいね。