【読ませる文章の書き方】演繹法で物語を牽引する

2019年10月19日

こんにちは。
杞優橙佳です。

ここ最近、物語の疾走感や、話の牽引力についてずっと考えていました。

きっかけは馬路まんじ先生の『底辺領主の勘違い英雄譚 ~平民に優しくしてたら、いつの間にか国と戦争になっていた件~』を読んだことです。

作家の馬路まんじ先生は様々な話題を提供してくださるエンターテイナーなのですが、書かれる作品もすごく面白いんですね。それでこの物語はどうしてこんなに読ませる力があるのだろうと強く考えていました。

まだ第1話しか読み込めておらず、馬路まんじ先生の凄さを解析しきれていないのですが、物語の疾走感や、話の牽引力についてひとつ気づいたことがありましたのでご紹介しますね。

どちらが読めますか?

まずはこの文章を読んでいただきたいです。
改稿前よりも改稿後のほうが、読める文章になっているのではないでしょうか。

改稿前

「あなたは両親とは違うわね」

 腰の曲がった老婆が少年の頭を撫でた。
 頭を撫でられた15歳の少年は、無邪気な笑顔を浮かべている。

 老婆は少年が自分のコントロール下にあると理解したのだろう。歪に崩れた顔で頷くと、少年にお小遣いを渡してその場を去った。

 お小遣いの銀貨を受け取ったこの少年こそが、物語の主人公アイン・スタンスラインだ。少年は先ほどまで浮かべていた無邪気な笑顔を引っ込め、銀貨をポケットに入れると、《神の山》に続く森へと駆けた。


 ここはエルゴルの片田舎。
 深い緑に覆われた山の麓にある小さな村だ。

「ここにも関所ができたのか」

 アインはまだ木の香りがする関所の横を通り過ぎた。この村は、至るところに関所が置かれ、看守が村人の入出履歴を管理している。

 目的は唯一つ。
 村に住む人間を土地へ縛り付けることだ。

「点呼会で村人の管理はできるのに、ご苦労なことだよ」

 点呼会とは村議会が主導する行事で、毎晩定刻に中央公園で開催されていた。点呼を容易にするため、村民は名前が重複せぬよう名付けねばならない決まりさえある。そして点呼に応答しなかった人間を、村民全員で排斥することが推奨されている。

 村人は、故郷の土地を捨てたものと、その家族に、山ノ神の祟りがあるという言い伝えを信じていた。だから村の秩序を乱す人間を許しておけないのだ。

「何もかもが息苦しい村だ」

 この管理された村で少年アインは育った。
 だが、彼の心は誰にも支配できない。彼の心をコントロールできるのは、彼だけだった。

改稿後

「あなたは両親とは違うわね」

 腰の曲がった老婆が少年の頭を撫でた。
 頭を撫でられた15歳の少年は、無邪気な笑顔を浮かべている。

 老婆は少年が自分のコントロール下にあると理解したのだろう。歪に崩れた顔で頷くと、少年にお小遣いを渡してその場を去った。

 お小遣いの銀貨を受け取ったこの少年こそが、物語の主人公アイン・スタンスラインだ。少年は先ほどまで浮かべていた無邪気な笑顔を引っ込め、銀貨をポケットに入れると、《神の山》に続く森へと駆けた。

「何もかもが息苦しい村だ」

 アインは吐き捨てる。
 ここはエルゴルの片田舎。
 深い緑に覆われた山の麓にある小さな村だ。

 ふと見れば至るところに関所が置かれ、看守が村人の入出履歴を管理している。
 目的は唯一つ。
 村に住む人間を土地へ縛り付けるためだ。

 逢魔時になると、村名物の点呼会が行われた。村人が全員村にいることを確認するためだ。

 村議会は、点呼に応答しなかった人間を村民全員で排斥することを推奨している。彼らは故郷の土地を捨てたものと、その家族に、山ノ神の祟りがあるという言い伝えを信じていた。だから村の秩序を乱す人間を許しておけないのだ。

〈逢魔時の意味を知っているか? 魔物はお前らだって話だ〉

 この管理された村で少年アインは育った。
 だが、彼の心は誰にも支配できない。彼の心をコントロールできるのは、彼だけだった。

これは私の作品の第1話冒頭の記載です。いろんなWeb小説を読み、良いと思った部分を取り入れるべく改稿を続けています。
※2019/11/21追記。今は演繹法はそのままに、表現を少し変えています。点呼会、逢魔時という専門用語が連続して出てくるのを避ける表現としました。ぜひ読んでみてください。

結論から述べる

改稿前後で変えたのは、中盤エピソードの順番です。
具体的には

改稿前
関所の説明→点呼会の説明→村の言い伝えの説明→『息苦しいという結論』→それでも縛られない男

改稿後
『息苦しいという結論』→関所の説明→点呼会の説明→村の言い伝えの説明→それでも縛られない男

という風に変えています。

これはどういうことかというと、帰納法から演繹法に書き方を変えたということです。

帰納法と演繹法

私がやりがちなのが、ひとつひとつ物事を積み重ねて、最後に結論を出す書き方です。これを帰納法といいます。中学や高校数学の証明問題をイメージしてください。

例をあげますね。

「東京都民の平均年収は高い」・・・観察事項1
「神奈川県民の平均年収は高い」・・・観察事項2
「大阪府民の平均年収は高い」・・・観察事項3
→「大都市圏の住民の平均年収は高い」・・・ルール(一般論)

帰納法例

ポイントは、帰納法は『観察されるいくつかの事象の共通点に注目して、ルールまたは無理なく言えそうな結論を導き出す』という点で、自動的に結論が導き出されることはなく、結論を導くための想像力が求められます。

つまり、読者に頭を働かせることを強要します。

これが読みにくさの原因ではないかと気づいたのです。

帰納法には、読者は登場人物の気持ちを想像することで物語に主体的に入り込めるという強みがあると思っています。

ですが読者が頭を使わなければならないという弱点があり、物語の流れ次第では主人公の感情と読者の感情が乖離する恐れもあります。

例えば一人称視点の物語は、感情移入してもらいやすいのが一番の強みだと考えています。

https://kosiboro.work/?p=308

それにも関わらず、主人公の感情と読者の感情が乖離したら、これは強みを自ら捨てるようなものですよね。

もちろん一人称と三人称は違いますが、三人称にしても主人公の動きに共感してもらうためには、最初に感情を言わせたり行為として見せてから書き進めたほうが良いのではないかと考え始めたんです。

そこで登場するのが演繹法です。
例をあげますね。

「メリットがデメリットを上回るときにプロジェクトを実施する」・・・ルール
「投資案件Aは投入する費用や資源を圧倒的に上回る収益となっている」・・観察事項
→「投資案件Aを実行すべきだ」・・・・導き出される結論

演繹法例

演繹法は、『観察事項(=新しく知った情報)をルールや一般論(=すでに知っている情報)に照らし合わせて、その観察事項がルールに合っているかどうかで結論を出す』という考え方です。

ルールを提示して、実態を見せて、ほらルール通りでしょ?
もしくはルールに則ってない、気に入らない。

と書き進めることで主人公の感情に共感しやすくなるのではないかと考えました。そこで私は冒頭の改稿後の文章で、「何もかもが息苦しい村だ」という結論を主人公に言わせました。

ここまで読んでくださった方は、前に戻って再び改稿前後の文章を見てみてください。確かに開講前より読みやすいなと思って頂けたら幸いです。

ぜひあなたが文章を書く際にも取り入れてみてくださいね。
(意外と演繹法を続けるのって体力いります。論理的に話を組み立てていくタイプの人ほど苦手かもしれません。説明文と読ませる文章とは違うんだなと感じますね)

ここまで読んで頂きありがとうございました。
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