美しいものには色がない、面白いものには色がある | 美しい物語シリーズ 

2023年1月31日

  このエントリーではある映画を題材にして美しいものと面白いものを比較し、語ります。

 映画『犬王』(湯浅政明監督)を見ました。現代のミュージカル、舞台、バレエ、ダンス、ロックやラップなどの文化を室町時代にぶち込んで、そこに呪いから解き放たれる「犬王」という超科学的なものを混ぜることで、単なる現代文化のタイムスリップものに止まらない面白さ・熱狂を作り上げた作品です。

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※現代人に馴染みのない猿楽能という芸を、日本人ならこれくらい無茶苦茶で荒唐無稽で、面白さに特化した魅せ方をするだろう?琵琶だって無茶苦茶な弾き方するだろう?という、日本人の感性を信じつつも挑戦的な姿勢で描き、あらゆる手を使ってエンターテイメントにしてやろうという気概に魅了されました。

 映画のアカデミー賞の前哨戦としての注目度も高い、ゴールデン・グローブ賞のアニメ映画賞にもノミネートされた作品となります。

 私はこの作品のエンディングを見て、とてつもなく美しい作品だなと感じました。

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美しかった箇所とは?

 私は以下のエントリーで「美しい物語」とは、再現不能な事象であり、物語の着地点が見えている状態で、着地点にたどり着く物語である、と定義しています。

 そして以下のエントリーで美しさには2種類があると書きました。しかし私が「犬王」で感じたのは長期的な美しさです。つまり「物語の目的Aを最初に提示する。目的Aに向かっていく中で目的Bを見つけ、Bの達成に向けて努力する。最終的にBは志半ばで達成できなかったが、目的Aは達成できた。」ということです。

 

「犬王」で描かれた美しさ

 「犬王」で描かれた美しさは以下のとおりです。

物語の目的A:歴史の舞台から消されたものを、語り継ぐことによって救う。

目的Aに向かう中で目的Bを見つける:能楽師の「犬王」は、琵琶法師「友魚」と出会い、2人で新しい魅せ方の「平家物語」により狂騒のステージを作り上げる。

最終的に目的Bは達成できない:能楽師の「犬王」は、時の将軍に寵愛されたが、「友魚」と作り上げた新しい能楽「平家物語」を捨てることを強要されます。捨てなければ琵琶法師を殺すと言われ、「犬王」は新しい能楽を捨てます。しかし琵琶法師「友魚」は新しい能楽を捨てることに納得できず、犬王と作り上げた能楽を貫こうとして殺される。

目的Aは達成される:「犬王」自分の能楽を諦めて将軍に付き従ったことで、犬王の名は600年語り継がれ、600年経って、湯浅監督はじめとするスタッフによりこの映画が作られた。それによって、「犬王」と「友魚」が再会できるラストを描くことができた。つまり、この映画を作ることに歴史的な意味があると感じられた。

 作中で「歴史の舞台から消されたものを、語り継ぐことによって救う」というテーマは一貫されていました。そして創作物が作中の人を救うというメタな発想は今までなかったものだと感じるので、斬新で、非常に美しいと感じました。

 

美しいものには色がない、面白いものには色がある

 ここで1つ、新しい理論を考えたいです。それが表題の「美しいものには色がない、面白いものには色がある」です。

 「犬王」において、新しい能楽「平家物語」を捨てたあとの「犬王」は美しかったと感じます。ここでいう美しさは、もしかしたら日本古来の「わび・さび」に通じるものです

わび・さび:
 
人の世の儚(はか)なさ、無常であることを美しいと感じる美意識であり、悟りの概念に近い、日本文化の中心思想であると云われている。
 わびは「侘び」と書き、もともと「思うことがかなわず悲しみ、思いわずらうこと」という意味でした。一方のさびは「寂び」と書き「日本の古典芸術の代表的な美のひとつ」であり、現象としての渋さと、それにまつわる寂しさとの複合美であり、「古さや静けさ、枯れたものから趣が感じられること」です。

 つまり「思うことがかなわず悲しみ、思いわずらいながら、枯れていることにまつわる寂しさ」とでも言えましょうか。これが美しさとどう絡んでくるかという話ですが、私は冒頭で美しさを以下のように定義しました。

「物語の着地点が見えている状態で、着地点にたどり着く物語」

 

 私はこの着地点にたどり着いたあとで、生き残ってしまった人間の姿を、わび・さびと定義したいです。「犬王」は劇中で狂騒の新しい能楽を確かに見つけ、手に入れましたが、それを最終的に捨て去りました。そしておそらく、何一つ新しいことをしない、オチのわかりきった、台本通りの、教科書的な能を踊るだけの能楽師になったのではないでしょうか。

 結果として「犬王」の名は残ったが、代表作は一切残っていない謎の能楽師として現代に伝えられていきます。能楽師の色である作品は残りませんでした。例えば、自然は美しいとよく言われます。けれど面白くないから、一般人は自然の美しさを見過ごしてしまいます。私は「犬王」は自然のような存在になったのだと想像します。(これは私の持論ですが、伝統芸能の多くは自然のようなものと考えています。わかるひとが見ないとつまらないからです)

 しかし自分の色を出さなかったから、室町時代、戦国時代、江戸時代と時代を経ても、消されなかったのだと感じます。当時、自分の色を出すということは、幕府側につくか、幕府に皮肉的な能をやるという二極だったはずです。しかしどちらの側に立っても、次の幕府が成立した時点で、扱いが180度変わるはずです(完全に消されるか、称賛されるか)。ですが幕府が何度も変わっていく中で、色を持っている作品は、どこかであわないと判断され、淘汰されていくはずです。

 けれど自分の色を出さなかった「犬王」という存在は、幕府側でも反幕府側でもない中間の存在として残り続けました。

 

 そして、そのままでは色がなくつまらない「犬王」という題材を狂騒のミュージカルにより色をつけることで、面白くしたのが映画「犬王」だったと感じます。つまり反体制的で、心を動かされるエンターテイメントで、流行りとともに消えてしまいそうな映画として描いたということです。
 ですが、美しいものを面白く描いた……そこにこの映画の意味があったのだろうと想像します。

 

まとめ

 美しいものと面白いものを比較すると以下のとおりです。

  • 美しいもの:色がない。つまらない。中庸。枯れながら残り続ける。
  • 面白いもの:色がある。心を動かされる。どこかに寄る。流行りとともに消えていく

 日本においては美しい物語の果てにある「わび・さび」が重要視されたからこそ、水墨画や書道のような白黒の色のない文化が育っていったのではないでしょうか。そう考えると、様々なことがつながっていく気がして(世界3大美女は伝わってきたが、世界3大面白れー女は残ってないとか。伝統芸能が全部現代の目線で見てつまらない理由とか)、私は美しいと、面白いの関係は興味深いと感じています。

ここまで読んで頂きありがとうございました。
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