作家の2極の考え方。主張したいものがあるから書く人と、主張したいものがなくても書く人

2022年12月3日

小説とは物語の世界や登場人物になぞらえ、作者が己の価値観や思想信条嗜好要するに腹の中に抱えているものをぶちまける媒体である、とかいう時代遅れもいいところの噴飯ものの考えを持っているので、小説には正直な自分をぶつけてほしい。自分はぶつけるようにしている。正直な叫びほど熱いものはない

 Twitterで非常に共感するつぶやきを見つけたのでシェアします。

 

 私は作家には2極の考え方があると思います。つまり主張したいものがあるから書く人と、主張したいものがなくても書く人です。

 A.主張したいものがあるから書く(評論屋)……というのは、一番わかり易いのは評論家です。例えば白饅頭先生をあげるとわかりやすいでしょうか。現代の問題や課題に対して、意見をズバリ書かれています。

 B.主張したいものがなくても書く(物語屋)……というのは、一番わかり易いのは「小説家になろう」のテンプレに従い作品を量産できる人を考えてみてください。流行りの型を分析して、人気作品の要素を分解・流用しながらキャラクターやストーリーを配置していけて、当初立てたプロットのとおりに物語を進めていくことができる人です。

 多くの人はこのA.B.2極の間に位置すると感じます。

 冒頭のつぶやきに従い、「小説とは物語の世界や登場人物になぞらえ、作者が己の価値観や思想信条嗜好要するに腹の中に抱えているものをぶちまける媒体である」とするならば、真ん中よりA寄りの人となるでしょう。私もこのタイプです。例えば2021/8/23に発売した氷の国の英雄は、己の価値観をぶちまける極地だったと感じます。ブラエサル・グリードリッヒという英雄を主人公として、あの当時、腹の中に抱えていたものをぶちまけた本です。最後の結論は、あのコロナ時代の最中だっただからこそたどり着けた到達点になっています。この「価値観や思想信条」を描いている作品は未だ見たことがないので、ご興味があれば読んでみてください。

現代で容易に成功するためには特化することが重要

 さて、A.B.2極の話に戻ります。現代で容易に成功するためには特化することが重要です。成功とは注目を集め、お金を集めることとイコールで考えてください。

 Youtuberでもそうですよね。例えば英語のお役立ち情報を配信するチャンネルについて考えてみます。

 TOEIC500点のYoutuberとTOEIC990点のYoutuberがいたとき、どちらを見たいでしょうか?TOEIC990点の人ですよね。

 TOEIC500点は凡庸すぎて、対して役立つ情報も発信できないように思えます。

 一方で真面目に受験して回答も全て埋めたけど、TOEICの最低点10点を叩き出した人のチャンネルだったらどうでしょうか。この人が役立ち情報として発信している動画は、逆に見たくなりませんか? どんな情報をお役立ちとして配信するのでしょうね笑

 このように現代で容易に成功するためには特化することが重要です。

・主張したいものがあるなら(絶対にこれを伝えたいというのがあるなら)、小説に混ぜるのではなく評論を書けばいい。

・主張したいものがないなら(それほどないなら)、主張なんて全て捨てたほうがいい。

 極端な話、そういうことです。もし小説を書いていて、ちっとも成功できないと感じた際には、上記の2極の選択肢を考えてみてください。成功したいならどちらかに特化するほうが楽です。そして小説を書きたいならB.に特化するしかない、ということです。

腹の中に抱えているものをぶちまけたい

 ですが、B.に特化して楽しいか?という話があります。小説を書き進めているうちに、作者のなかに主張したいものがフツフツと湧き上がってくるかもしれません。

 例えば女の子2人のバディものを書いていくうちに、「どちらかが欠けて完成する物語こそ美しい」という思想が作者に芽生えたとしましょう。読者としては女の子2人に幸せに生き続けてほしいが、作者はどちらかを殺したいという食い違いが発生しています。

 この場合どうなるというと、結局のところ、作者はどちらかを殺すでしょう。一度「腹の中に抱えているものをぶちまけたい」と感じたら、ぶちまけないと楽しくないはずだからです。

 そしてその展開により読者は減少します。作者が主張するとき=読者が減るとき です。PVが減り売上も減るかもしれません。作者が主張を増やすごとに、読者は減り、最終的には作者と同じ感性の読者だけが残ります。作者100%の作品……つまりそれは独りよがりの作品ということです。作者100%を受け入れられるのは、作者だけです。

 そして主張だけに特化した評論と比べて、A.B.の中間で独りよがりの作品となった小説は中途半端です。

作者100%にならないために

 作者100%の独りよがりの作品になることを避けたければ、アドバイザーを増やすことです。編集者はそのためにいます。

 ですがこれは編集者でなくても構いません。あなたの友達のアドバイスを受け入れるだけでも、主張の濃さが薄まり、作者100%になることを避けられます。

 私は下記のエントリーで「小説はトータルのクオリティでアニメには絶対に勝てない、まずこれは認めたほうが楽です。」と書きました。

 小説がアニメに勝てない理由は、アニメがチーム戦だからとも書いています。

 結局のところ本エントリーと同じことを書いていて、つまりアニメは作者100%になることを避けられる、ということです。視聴者を減らさないよう、主張を抑える制御が働くんですね。

 このアニメの手法(主張を抑える制御)は、多くのお客さんに作品を届ける強い武器です。チーム戦の醍醐味です。

たとえ作者100%になったとしても、いい

 しかし最後に私が主張したいのは、たとえ作者100%になったとしても、いいということです。

 行き着く先は結局、冒頭の「小説とは物語の世界や登場人物になぞらえ、作者が己の価値観や思想信条嗜好要するに腹の中に抱えているものをぶちまける媒体である」こと。もし万が一、作者100%の独りよがりの作品になったとして、作者自身が100%楽しめるなら良いんじゃないでしょうか? 作者100%の作品を発表することで、同じ主張の人たちとつながり、チーム戦ができるようになるかもしれないです。小説はそのための名刺代わりにしても良いんじゃないでしょうか。

 似た趣向の人々とチーム戦ができるようになったら、大きな成功を収めるチャンスです。小説家が集まるコミュニティでつながりを探すのも良いかもしれませんね。

まとめ

 このエントリーでは、下記のことを書きました。

・文章で容易に成功するために、A.主張したいものがあるから書く人(評論屋)、B.主張したいものがなくても書く人(物語屋)を極めるのがいい。

・A.B.の中間で作者100%の独りよがりの作品になることは避けたい。

・けれど作者100%の作品になったとしても、それによって似た趣向の人々と出会えてチーム戦ができるなら、成功に近づける。

ここまで読んで頂きありがとうございました。
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