「テンプレート」は命。「邪道」は王道を極めた者だけに許される?!

 小説を書いてると、どうしても人からウケたくて、時には「珍しいことしてみようか」なんて気もおきますよね。でもその発想、遠回りかもしれません。今回の話は、小説に限らず全ての芸術に通じる話です。今の自分に納得がいかず、迷いのただ中にいる作家の皆さん。

この記事を読んで、ぜひ遠回りしない道を選んでください。

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テンプレを嫌うのはなぜ?

 「テンプレには従いたくありません」と言う人がこの世には一定数います。なぜその人たちはテンプレを嫌うのでしょうか。なんとなくみんな同じ感じがして面白味を感じない、一歩抜きん出るためには型にはまる必要はない、そんな理由でしょうか。

 でも小説家でいえば、いわゆる「なろうテンプレ」みたいなものを指してテンプレというもの自体の批判をするのは実にもったいないかもしれません。物語と一口でいっても、さまざまなテンプレがあるわけです。

 歌舞伎界きっての人気俳優だった中村勘三郎丈の言葉にこんな言葉があります。

 「型がある人が型を破ると『型破り』。基本ができていない人が変化をつけようとするとみんな失敗する、それを『形無し』と呼ぶ。」

 あなたはこの、400年続く伝統を受け継ぎ、次世代に引き継ごうとまい進していた人の言葉をどう受け取りますか?

それでも好まれるのは、やっぱり「王道」

 テンプレートについて、こんなネットの意見がありました。

「テンプレートを使わないのは、砂糖とバターを使わずにケーキを作るようなもの」

 まさに言い得て妙です。人間が美味しいと感じるのは、いわば砂糖と油脂だということ。面白いと感じるものも同じで、人間はいわば「王道」の展開を好むということを指しています。いくら健康に悪いとわかっていたとしても、砂糖とバターがたっぷりと使われたスイーツが巷にあふれているのは、それが「売れるから」です。

 しかし砂糖と油脂を使わないスイーツももちろん存在します。でもお客様受けを良くするには、かなりの技術や斬新なアイデアが必要となります。それがテンプレートを使わないということ。さて、今のあなたにはその技術がありますか?

 例えば前述した「なろうテンプレ」は、「主人公が悪い敵をやっつけて、周りが賞賛する」といったものと想像できますが、これも人間が「面白い」と感じる要素を凝縮したものなのです。この確実な「面白み」を全て置き去りにして進むのは、あまりに勿体ないことではないでしょうか。

「邪道」は王道を極めた者だけに許される

 「邪道」とは、始めから道を外れることではありません。テンプレートという「王道」に従いつつも、いかに他の要素を組み合わせるかが腕の見せどころなわけです。少しだけずらすという感覚です。

 そのためにはまずは「王道」が何かを知らなければ、「王道」から少しずらすということもできません。よって「邪道」は、「王道」を究め知り尽くした人にしか許されない道といっても過言ではありません。まずは、ありきたりでもいい。とにかくそのありきたりの世界を知り尽くすことから始めましょう。かならずその先には「邪道」を歩む権利が待っています。

まとめ

 誰でも、自分の作品に反応がないとなると、ウケを狙って「道を外そうか」と思ってしまうものです。でもそれは遠回りでしかありません。スイーツも芸術作品も皆同じ。人間が好むものにはある程度の型があるものです。

 その「王道」を知り尽くし、まずはそれに従うこと。そして「王道」を極めた者だけが見える「邪道」という道を目指してひたすら進む。それが一番の近道ではないでしょうか。ぜひ参考にしてみてくださいね。

ここまで読んで頂きありがとうございました。
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