天才と秀才と凡人の違いは何?物語作家が紹介します。

2020年10月31日




 物語を描く時、天才と秀才と凡人をどう書き分けていますか? 攻撃にも防御にも秀でた存在、それが天才……なのでしょうか。誰にも身につけられない技を身に着け、伝承させていった存在、それが天才なのでしょうか。

 私たち作家としては、天才と秀才と凡人の特徴を理解し、3者のありがちな関係性を理解し、キャラクターづくりにも役立てていきたいですね。

 そう考えた時、私は北野唯我さんの『天才を殺す凡人』と出会いました。この本には、天才と秀才と凡人の違いを紹介されています。本エントリーでは、『天才を殺す凡人』から、中盤部分くらいまでのエッセンスを紹介させていただきます。

 まずは、天才と秀才と凡人の定義から始めます。

天才と秀才と凡人の定義

天才とは

「創造性」で評価される存在。
 口癖の主語を、世界や真理など、超越したなにかで語るケースが多い。

秀才とは

「再現性」で評価される。
 口癖の主語を、組織やルールなどの、善悪で語るケースが多い。

凡人とは

「共感性」で評価される
 口癖の主語を、人メイン(僕は、私は、あの人は)で語るケースが多い。
※人メインの中にも、自分が主語の人、相手が主語の人、仲間が主語の人がいる。

  

凡人が天才を殺す

 天才と秀才がディベートしたら、絶対に秀才が勝つ(秀才の持つ『再現性』という才能は、3者の才能の中で一番説明能力が高いから)。

 凡人の共感性は、多数決の世界でしか働かない。皆がいいと言っているものがよく、悪いと言っているものは悪いと判断することしかできない。

 結果として天才と秀才がディベートした際、凡人は秀才に賛成することになる。

 例えば企業の施策で「なぜこれをやるんですか?」と聞いてしまったら、ディベートが始まってしまい、秀才が力を発揮して、天才の意見は埋もれてしまう。それをみた凡人は秀才の意見に賛成する。

 これが凡人が天才を殺すということ。

  

秀才も天才を殺す

 秀才の武器である『再現性』の本質は、サイエンスにある。

 そしてサイエンスの良さは、失敗できることにある。1つの正解の後ろには1000もの失敗が隠れている。それらの失敗から真実を見つけ出すのがサイエンスの良さ。

 

 つまり、失敗を許すことができなければ、サイエンスをつかいこなせない。

 天才を殺す秀才はサイエンスによって得られた正解だけを学び、失敗することを学ばない。だから天才が失敗することを許せず、天才を殺す。

  

共感性の暴力

 例えばジャンケンは、誰に教えられるでもなく1000万人以上が知っている。人々がルールを共感して共有しているから、日本人の共通言語となった。

 しかし天才や、特に秀才はこれが気に食わない。なぜグーがチョキに勝ち、チョキがパーに勝ち、パーがグーに勝つのか、ロジックがないように見えるから。※石やハサミや紙の例えは秀才が何とかロジックをつけるために考えたものかもしれない。

 この『空気感』は組織や国を殺すことさえある。何となく内閣の支持率が下がり、内閣が交代することは往々にしてある。

※学校などでは、『空気感』が人を消す場合もありますね。
《小説感想》青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない 2014年当時の『空気』が閉じ込められている

  

共感性の危うさ

 凡人の反対は秀才の反発と違って根拠が弱いため、評価がひっくりやすい。

 例えば映画アラジンで、冒頭でアラジンはパン屋でパンを盗むが、その後お腹をすかせた子どもたちに出会い、可哀想だと思い、パンを与える。これだけを聞くと、アラジンがいい人に聞こえるかもしれないが、パンを盗んだ盗人という事実は変わらない。

 パンを盗んだところで物語が終わっていれば、アラジンは単なる悪人で終わっていた。

切り取り方によって善悪を簡単にひっくり返すことができてしまう。これが共感性の危うさ。

 

天才の創造性を評価するのは、浅くて広い反発

 少なくとも天才の創造するものを、天才は理解できる。
 ゆえに天才だけが支持するような新しいものが、破壊的イノベーションとなる。一方で全員が反発するものはだいたい悪いもの。全員がよいと思うものはだいたい良いもの。

 浅くて広い反発:狭くて深い支持=10:0 悪いサービス
 浅くて広い反発:狭くて深い支持=8:2 破壊的イノベーション
 浅くて広い反発:狭くて深い支持=6:4 多くの人に使われるサービス
 浅くて広い反発:狭くて深い支持=3:7 既存プロダクトの改善
→意見の割れるところに、大きな成功がある。

  

3者の関係性

 これは天才と秀才と凡人の関係図をあらわした相関図です。

・天才→秀才
「興味がない(人工的な存在に興奮しない)」
・天才→凡人
理解してほしい(商業的な成功は凡人が握っている)」
なぜなら天才の役割は世界を前進させることであり、それは凡人の協力なしには成り立たないから。

・秀才→天才
「妬みと憧れ(天才の凄さがより正確に「分かってしまう」ゆえの、相反する感情(アンビバレントな感情)」
右腕になるか、強敵になるかのどちらかであることが多い。コンプレックスを乗り越えた秀才は、天才の右腕として偉大な何かを成し遂げる参謀になりうる。
・秀才→凡人
「心の中で見下している」
※ロジックのないものを信じている凡人を叩きたい感情を持っている。なぜなら、直接的にいうと、アホが騙されているように見えるため。

・凡人→天才
「凄い」か「理解できないから排斥する」
※天才の見ている景色が見てみたいと思うが、凡人には決してみることができない。幽霊が見えない人が、幽霊が見えると言っている人を排除するように、凡人は天才を排斥する。
・凡人→秀才
「天才だと勘違いしている」

 

飽きがイノベーションを起こす

 『イノベーション』の厳選は、『組織の飽き』をモチベーションにした『世の中の余白(改善できる場所)』に対する天才の指摘によって生まれる。

 天才は、誰かが作ったレールの上で生きていくのが、『朝飯前すぎて』面白くない。だから天才は新しいレールを自ら敷いて、新しい価値を作りにいく。天才の飽きと、新しい価値の提示を注意するのが、『先生』という存在。良かれと思って天才を指導するのだが、結果としてそれが天才の好奇心を潰してしまう。

 また、飽きは天才にも秀才にも凡人にも等しく訪れる。多くの人が消費し尽くした時点で、消滅するかコモディティ化する。流行語大賞をとった芸能人が消滅したり、スマホが必須アイテムになるようなもの。

 問題は、天才はこの3者で誰よりも早く飽きてしまうこと。そして、天才は『飽きの中では生きていけない生物』。自分なりの勝ちパターンを確立し、それを再現できるものに落とし込んだ時点で、天才は凡人に成り下がる(創造性を捨てることになるため)。

 

自分に与えられた才能で戦うしかない

 天才になりたい、秀才になりたいと考えるだけでは、自分が持っている才能を飼い殺してしまう。いつまでも自分のカードで勝負をしなければ、俺には才能があると言い訳ができる。しかしそれは嘘でしかない。

 自分に与えられたカードで勝負をし続ける。そうすれば自分の能力は磨かれていく。これだけは約束できる。

 そして『誰の中にも少なからず天才はいる。才能を活かせないのは、才能があるかないかよりも自分の中に『ストッパーとなる存在』がいるから。

 才能を発揮するために、あなたの『ストッパーとなる存在』を取り除こう。

  

 続きは本編を買って読んでみてください。共感性の神や、最強の実行者、スーパーエリートといった存在について紹介されています。凡人がどう生きていくべきかも示唆してくれました。大変、智慮に富んだ本でした。

 私自身は、この本の分類ですと、秀才だったけれど会社の仲間から叱責をうけて共感性を身につけて『最強の実行者』に近づけた人、だと思います。高い共感性を持つ凡人であることを、長らく受け入れられなかったのでしょう。凡人だと割り切ってようやく、『最強の実行者』になれました。

 天才。秀才。凡人という人々を理解できるだけでなく、いまの居場所に悶々としている人に、ヒントとなる本です。

ここまで読んで頂きありがとうございました。
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