【ダブル主人公はNGという常識に負けない】ダブル主人公の書き方、注意点2点
Web小説の界隈で「ダブル主人公はNG」という常識があります。本エントリーでは、ダブル主人公の書き方について、映画を事例に注意点2点を紹介します。
鍵泥棒のメソッドから学んだ事例
私自身は常識は崩していい、と考えるタイプなので、ダブル主人公でもいいじゃないかという立場なのですが、本日見た映画が、このやり方だと「ダブル主人公はNG」という代表的な事例でしたのでシェアします。
特に映画自体が面白くないといったレビューでは有りませんのであしからず。あくまでダブル主人公を描くならこの手法は止めたほうがいいという紹介です。
問題を感じた映画は鍵泥棒のメソッドです。
正確にはダブル主人公(山崎信一郎と桜井武史)+ヒロイン(水嶋香苗)のトリプル主人公です。
物語のあらすじ
何事も計画を立ててからでないと行動出来ない水嶋香苗が新たに立てた計画は、目標の期日までに相手を見つけ結婚するというものだった。また、法外な報酬で仕事を請け負う凄腕の殺し屋『コンドウ』こと山崎信一郎は、仕事を遂行した際に僅かな返り血を受け、手近な浴場へと車(クライスラー・300)を走らせる。そして、計画性皆無の三文役者桜井武史は人生に行き詰まって自殺を図るが失敗し、おもむろに開けた財布に銭湯のタダ券を発見する。
鍵泥棒のメソッド – Wikipedia
桜井は出掛けた銭湯で、分厚い財布を持つ羽振りのいい山崎をチラ見する。その後、風呂場で山崎が足を滑らせ失神すると、桜井はそれに乗じてロッカーの鍵をすり替える。山崎は意識不明で病院に搬送されるが、頭を打ったショックで記憶を無くしており、所持品から自分を『桜井武史』だと思い込んでいた。桜井は山崎の車を乗り回し、思い付く事に財布の金を使い、山崎の家にまで上がり込む。家を物色すると、偽造免許や拳銃など山崎の仕事道具が続々と出てくる。
退院の日、記憶喪失に困惑する山崎は香苗と出会う。良心的な香苗はその日以降、山崎の世話を焼くようになる。成り行きで『コンドウ』を演じる桜井は、報酬受け取りのため依頼人と会い、更なる依頼を受け負わされるのだった。自分を売れない俳優だと思い込んでいる山崎は、真剣に芝居に取り組みだす。
桜井は依頼を受けて以降、標的となる人物に関する調査を積極的に行うようになるのだが、その行動は全く別の目的のために行われていたのだった。香苗は山崎と接するにつれ、共通点の多さや真面目な性格、向上心や努力する人柄に触れ、遂には山崎に結婚を申し込む。そんな日々の中、とうとう山崎に記憶の戻る時が訪れる。
問題と感じた点
この映画で一番おもしろいキャラクターは、法外な報酬で仕事を請け負う凄腕の殺し屋『コンドウ』こと山崎信一郎です。彼が記憶喪失になりつつも、本来持っている向上心や緻密さは失わず、計画性皆無の三文役者と立場が入れ替わり、お金のない生活に苦しみながらも役者として勉強を重ねていく姿は、見ていて面白いです。
ヒロイン(水嶋香苗)が惹かれていくのも、山崎信一郎です。不遇な環境にあり記憶をなくしていても一生懸命な山崎信一郎にヒロインは惹かれていきます。
こうなると、ダブル主人公の片割れである桜井武史は……山崎信一郎に人生に行き詰まった三文役者という立場を提供するだけの、いうなれば単なる舞台装置のように感じてしまいます。
※もちろん最後には役者を目指した経験を生かして見せ場があるのですが、それすら山崎信一郎の活躍の前フリのように見えました。
私が問題だと感じた点のひとつはここです。
ダブル主人公にするときは、どちらかの主人公がどちらかの犠牲、引き立て役になってはいけない。
桜井武史はダメ男ですから、ロジカルに考えると活躍なんて出来っこない(活躍しようとして失敗するべきピエロ的な)キャラクターなのですが、ダブル主人公を謳うのであれば、何か活躍の場が必要だったと感じます。
※ちなみに映画のジャケットは桜井武史が真ん中に配置されています。
この映画を最後まで見られた理由
私が個人的に問題だと感じた点を書いてきましたが、では、なぜ私はこの映画を最後まで見られたのか?それは
桜井武史が堺雅人
山崎信一郎が香川照之
水嶋香苗が広末涼子
という配役がポイントと考えます。
本音を言いますと、ドラマのキャラクター以前に俳優が立っているということです。俳優という一次創作に人気があれば、その俳優を物語に当てはめてどんな行動をさせても(いうなれば二次創作をしても)、顛末が気になって最後まで見てしまいます。
実のところ私は、半沢直樹2に感化されて、堺雅人の演技がもっとみたいと思い立ち、この映画を視聴しました。問題を感じつつも、堺雅人(桜井武史)が殺し屋と入れ替わって失敗ばかりする様子に、新しい一面だな、面白いと思って満足してしまいました。
※鍵泥棒のメソッドが公開されたのは2012年9月15日公開でして、半沢直樹シリーズが開始される直前です。つまり堺雅人&香川照之コンビの脂が乗ってきていた時期。香川照之さんは龍馬伝の活躍があり名前が売れ始めていたころでもあります。広末涼子はいわずもがなで、お、広末涼子がヒロインなんだと興味を惹かれる存在です。おそらく当時からこの三人は知名度も実力も認められた強力な配役だったでしょう。堺雅人ファン香川照之ファン広末涼子ファンが、新たな解釈を求めて映画を見て満足したケースもあったと思います。
しかし逆にいうと、俳優という一次創作に人気がなければどうなったでしょう。
問題その2 キャラクターに魅力がなければ、視点移動したときに見る気を失う
先ほど、桜井武史が堺雅人、山崎信一郎が香川照之、水嶋香苗が広末涼子という俳優に魅力があるから、この映画を最後まで見てしまったと書きました。
では、俳優という一次創作に人気がなければどうなったでしょう。
私であれば、桜井武史から山崎信一郎に視点が変わった時点で、「お、山崎のストーリー面白いな」と感じるでしょう。そして桜井武史に視点が戻ると、「桜井はいらないから早く山崎を出せ」と思うでしょう。
つまり、キャラクターに魅力がない場合、一度視点を移動させてしまうと「もう視点を戻さなくていいよ」と読者から思われる可能性があるのです。恐ろしいですが、私も読者として経験があります。
織田信長を主人公とした物語があるとします。ここで足利義昭へ視点移動したとすると、私なんかは「早く織田信長に視点戻して!」と思います。
ですが、名のない落ち武者を主人公とした物語があるとします。ここで織田信長に視点移動したとすると、よほど落ち武者のキャラクターを魅力的に書いていないと、「もう落ち武者の話いらない」となる可能性があります。
視点移動をする前に、「早く視点戻して!」と思われるようなキャラクターを立てること……これ無しでの視点移動は危険です。
まとめ:ダブル主人公を描く際の注意点2点
さて、ここまで鍵泥棒のメソッドから感じたことを書いてきました。ここではまとめとして、鍵泥棒のメソッドから学んだ、ダブル主人公を描く際の注意点2点をまとめます。
①ダブル主人公の片割れを舞台装置のようにつかってはいけない。
ダブル主人公を描くなら、それぞれの主人公に見せ場があり活躍をしてほしい。特に表紙やジャケットの真ん中に描かれているような主要人物が舞台装置になっては、読者を落胆させる。主人公の活躍を見たい。
②視点移動するならキャラクターを立ててから。
キャラクターに魅力がない場合、一度視点を移動させてしまうと「もう視点を戻さなくていいよ」と読者に思われる可能性がある。
なので視点移動をする前にキャラクターを立てる。読者の気になるキャラクターとして表現することができれば、読者は視点移動があっても最後まで物語を見て評価してくれる。
物語の中で複数の主人公を立てて動かしてみたい人は、これら2点をぜひ参考にしてみてください。
私の作品境界を超えろ!1: 世界の誕生日 LinkAuter Chronicle Xceedも、最初はアイン・スタンスラインとケルト・シェイネンというダブル主人公を均等に描く作品でした。ですが、ケルトが舞台装置のように思えてしまうことがあり、アイン・スタンスラインだけを主人公として描きなおしました。ケルトについては外伝できちんと主人公の座を与えて、丁寧に描きました。視点移動はほぼ失くしました。
結果としてアインという一次創作のキャラクターが立ち、外伝の中でチラリと見せるだけでも存在感を出してくれる、貴重なキャラクターに育ちました。
ダブル主人公はNG……という常識に縛られる必要はないですが、「ダブル主人公を描く際の注意点2点」は意識してみてください。群像劇は思ったよりも難しいですよ。
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