「読んだなら感想ぐらい書くべき」こう言われて困っている素直な人へ
「読んだなら感想ぐらい書くべき」
という作家の嘆きが話題になっていました。
私も物語を書いている人間ですから、
「レビュー書いてほしいな」
「感想書いてほしいな」
と思うことは、もちろんあります。
けれどもそれを強要してはいけないと感じます。
感想やレビューを強要する、ということ
小中学校のころ、夏休みの宿題に読書感想文がありました。課題図書を読んで感想文を書く……という宿題です。
当時の私には、課題図書が肌にあわなさすぎて、読書の感動も、読書の楽しさや素晴らしさも体験することはできませんでした。
※今にして思えば、面白くない理由、カンにさわる理由を書き綴って提出すればよかったかもしれませんね。そうすれば私の文章のほうが面白いことに気づかせることが出来たはずです。
さて、この読書感想文の宿題からわかることは、人に特定の文章をあたえて「感想やレビューを強要する」と、「読書の感動も、読書の楽しさや素晴らしさも体験することはできない」ということ。そして仮に感想やレビューを書かなければいけないなら、いっそのこと作家を言葉で殴り殺そうと思いかねないということです。
小説には読者の心を揺さぶる力があります……それゆえに感動も憎悪も何倍も膨れ上がってしまうのですね。
冒頭で「読んだなら感想ぐらい書くべき」と言い放った作家さんの言葉を紹介しましたが、本心は感想を書いてくれれば「面白かった」という肯定の言葉が並ぶものと想像したかもしれません。ですが人に意見を強要すると、自分も刺される可能性があると想像できていたでしょうか。
感想やレビューを強要したとしても、お互いを傷つけることになるのがオチです。
「べき」……という言葉の影響力を考えよう
人は変わらないものです。それを理解した上で変えようと考えると、相手の立場、心境をキチンと考える必要があります。
冒頭の言葉は、感想をほしいという自分の都合だけで、読者に感想を強要したように見えました。
こう書くと、「読者が全員感想を書いてくれれば、他の作家にもメリットがあるよ。だから作家は一緒になって応援してよ、同類でしょう?」と反論されるかもしれません。
だとしても私は同意の手を払いたいです。
「読んだなら感想ぐらい書くべき」の「べき」という言葉には、強要の意味があります。
私たちは、どんなに突拍子のない意見でも、「べき」といわれたら、やらなければいけないのかな?と思う心優しい人がいることを忘れてはいけません。また、もしくは積極的にWeb小説界隈のルールを身に着けようとしている初心者のことをわすれてはいけません。
素直な彼らは、ベテランからの「べき」という言葉へ素直に従ってしまう可能性があります。
「書籍化を目指すなら、SFは書くな(書かないべき)」
「書籍化を目指すなら、投稿は1日2回以上すべき」
「書籍化を目指すなら、1日1万文字書くべき」
これらは突拍子のない意見でしかありません。
Web小説界隈にどっぷり浸かっていれば、あーまたその話題ねと笑って済ませられるのですが、初心者は信じてしまう可能性があります。ベテランのおふざけが、初心者の悲劇を生む……。これは社会でもよくあることなんですけれども、そんな被害を減らしたいというのが私の願いです。
こう考えたらいい
私が心優しい素直な人たちや、Web小説に興味のある初心者へお伝えしたいことは、ひとつです。
自分に作業を強要するのは
「自分の夢につながるときと、お金をもらえるときだけ」
でいいんだよ。
冒頭の作家へ感想を書いてあげる必要はありません。自分の心へ素直に従えばいいんです。
こうしなければならないとか、こうするべきだっていうのは、不条理な思い込みなんだ。人生はね、『こうしたい』から始まっていい。『こうしたい』を見つけたら、上手くいけば良いくらいの軽い気持ちで、挑戦してみることが大事なんだよ
アイン・スタンスライン
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