のび太と出木杉にバディもののお手本を見る(破滅の萌芽も)
こんにちは。
杞優橙佳です。
最近ずっとのび太と出木杉論を読んでいました。
ドラえもんという身近な物語の
キャラクターを再発見できて、
やはり国民的アニメになる作品はすごいのだなと
感動しました。
読んでいたToggetterまとめから気になった発言をピックアップしてみます。
https://togetter.com/li/1415020
https://togetter.com/li/1414416
そもそものび太って出来杉くんを頼ることはしてもあてにはしてないんですよ。のび太が出来杉くんに声をかける時はいつも真剣な時。
ドラえもんをあてにしたり甘えることはあっても、勉強や運動で出来杉には甘えないんです。そりゃ出来杉からしたら「一番の親友はのび太くん」ってなるでしょう?
スネ夫の悪癖のように出来杉は誰かに利用されたりしてるはずなんです。それなのに素直で優しく人を信じられるのは、のび太の存在が大きいとボクは思います。
のび太は偏見をもたない。
色眼鏡で相手を見ない。
それは劇場版のゲストキャラクターを見れば分かります。
そこに出来杉も救われてるかと。
ドラえもんという作品において出木杉くんは、先生よりものび太を理解してる教師なんです。出木杉は自分と違う特別な存在ではなく、もっと理解すれは届く存在であるというのび太の確信でもあるのかなと。
皆が出木杉だからと思考停止して期待する中で、のび太だけはどうやったらいいんだろうともがくんです。
なまじ頭の回転がいい出木杉には諦めるという答えが出そうな場面でも、のび太は必死にもがくんです。
劇場版のように例え相手が大人でも戦おうとするんです。
それは出木杉が持ってないもの。
そんな彼だから「絶対絶命の状況で奇跡を掴む精神力と心の強さ」が身近にある出木杉にどれだけ強い光に見えることでしょうか。
これが、彼が性格が良い理由ではないかとボクは思います。
運動も勉強でも負けてるのび太は出木杉が眩しいし、子供ながらの好奇心がある出木杉にのび太は眩しいだろうなと。
出木杉にとってののび太は「自分が自分でいられるための照明」であり「のび太にとっての出木杉は常に先を行く掴みたい光」なのです。
ドラえもんですら「のび太くんはまるでダメなやつ」ってレッテルの上から見てる。周りの皆もそう。
なのに出来杉だけはそう見てない。
のび太が本当に認められたいのは、出来杉…彼に凄いと思わせたいという部分なんだと思います。
だからこそ子供を預け合うほどの仲になるのかと。
どのエントリーをよんでも共通認識としてあるのは、この2人の相性が抜群によいということ。
その理由はのび太にないもの(賢さ、真面目さ、運動神経、見た目のよさ)を全て出木杉が持っているから。
逆も言えて、出木杉にないもの(閃き、ずるさ、失敗し続けても諦めない心、弱いものの心を知ること)を全てのび太が持っていて。
しかもお互い、相手を対等に見ていることが大事で。
のび太は出木杉をすごいと称賛して終わるのではなく、気に入らないと妬みをいい、しずかちゃん関係では出木杉に絶対負けないと張り合います。
のび太の失敗し続けても諦めない心があるから(さらに手を変え品を変え、試行錯誤する閃きもあり、型に捉われないずるさもある)、最終的にはしずかちゃんを奥さんにすることができました。
それに対して出木杉は後に、「昔からしずかちゃんのことで、野比くんに勝てる人はいない」とのび太を認める発言をしています。
しずかちゃん関係の恋沙汰でもめる時代を乗り切れば、のび太の柔軟な発想と異端なひらめき、出木杉の深い洞察力と膨大な知識が、お互いの弱点を補い敢って最強コンビになるだろう(実際にドラえもんがいなくなった後、のび太の結婚前夜で郷田商店で酒を飲み交わす仲になっています)という論でした。
この論を読んでいて、のび太と出木杉は本当に理想的なバディなんだなと感じました。
のび太と出木杉はバディものの基本設計
メインキャラクターを2人用意する、いわゆるバディものと呼ばれる物語では、のび太と出木杉のような関係性を構築するとうまくいきます。
つまり、下記の要素を満たすことです。
・正反対の内面
・互いを認めている
・2人合わさると完全になる(能力じゃなくて内面でいいです)
よく小説書きの教本で、バディもののキャラクターは2人合わせて完全になることと書かれていることがあります。
私もバディものに興味をもったことがあります。
能力バトルを書きたかったのですが、教本の文言を真面目に受けとって、
「2人合わせて完全って何だろう。能力バトルものを書きたいんだけど、2つ合わせて完全な能力って何?全然思いつかない」
となって筆が止まったことがあります。
ですがのび太と出木杉を見ていて、能力自体は別に同じものでもいいと思いました。のび太と出木杉みたいに内面が違えば、道具の使い方は変わるはずですから。
完璧すぎるので引き離しておくとハラハラドキドキの物語を展開できる
大長編ドラえもんでは、出木杉は基本お留守番で、のび太とドラえもん、ジャイアン、スネ夫、しずかちゃんのいつものメンバーでの大冒険が描かれます。
のび太とドラえもん、ジャイアン、スネ夫、しずかちゃんだと、全員どこか不足しているところがあって、あわせても完全にはならないんですよね。だからこそ、のび太の勇気や機転が輝く物語になります。
バディものを書く際にも、常にバディとのダッグで物事を解決するのではなく、他のメンバーで試行錯誤しながら物語を進めると、話に奥行きができるかも知れません。やっぱりバディで組んでスカッと話を解決してほしいな〜と思わせたら勝ちなわけですね。
どちらかがネガティブに振れるとバッドエンドになる
のび太と出木杉の場合はどちらも相手の話を聞くおおらかさをもっていました。
下記のコマでは、コアな話をスラスラできるシーンが描かれています。
お互いがお互いを尊重して、
真摯に話を聞く姿勢があるからですね。
ですがどちらかがネガティブに振れきって、相手の話をきけなくなったら関係は崩壊するでしょう。
出木杉がのび太を馬鹿だと切り捨てることでも関係は終わりますし、のび太が出木杉は自分を馬鹿にしていると卑屈な感情をいだいても関係性は終わってしまうと思います。
正反対のキャラクターは協力すると最強の味方であるがゆえに、お互いが聞く耳を持てなくなった時最悪の敵にもなるわけですね。
とここまで書いてわかったのですが。
よく考えたら、私のこの作品、出木杉とのび太の世界征服物語でした。
主人公は弱い人の気持ちまで感じられる完璧な出木杉。
それに対して嫉妬を抱く卑屈なのび太がいて。
物語の終末は、いま思えば必然の出来事だったのかも知れません。
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