「オッカムの剃刀(かみそり)」とは?小説にぜい肉はいらない?!
小説を書き続けていくと、賞を意識したり、売れ筋を意識する日が必ずやってきます。その時に小説の運命を左右するのが「いかに無駄がないか」ということ。なぜ無駄がない方がよいのかを説明するにあたり、哲学の概念「オッカムの剃刀」を用いて説明していきます。
オッカムの剃刀(かみそり)
「オッカムの剃刀」とは、11世紀以降にイギリスのオッカム村出身のスコラ哲学の神学者ウィリアムが多用した哲学です。「剃刀(カミソリ)」は、不要な存在を切り落とすという意味であり、近年では「最もシンプルな解決法が大体正しい」という意味で知られています。
小説でいうと「不要なぜい肉を削り最もシンプルにすることで、伝えたいことだけが残る」ことを意味します。
なぜ小説にぜい肉はいらないのか?
では、なぜ小説のぜい肉を削る必要があると思いますか?
例えば、「息子はあまり眠れなかったようで、今日は朝から眠そうだ。」という一文。この文の「あまり眠れなかったようで、今日は朝から」の部分を削ります。
「息子は、眠そうだ。」
要はこれが一番伝えたいことです。筋を通そうとすると細かく説明したくなるところですが、読み手に伝えたいことは何だろう?という強い気持ちで削り落としていくと、伝えたいことが明確に見えてきます。
作者が書きたい表現や言葉の全てを入れ込んでいては、本質がかすんで見えなくなってしまいます。
作者の表現を削るという行為の真価は別として、作品自体の真意を伝えるためには、時には作者の独自表現さえも抑える必要があるということです。
これはいわゆる新人賞などにおいても、とても重要なポイントです。多少クオリティが低くても無駄な部分を最大限に省いた作品が勝ち残りやすいのです。また賞に限らず、売上という観点で見てもわりとシンプルな構造のものが売れる傾向にあります。
「オッカムの剃刀」で気をつけたいこと
ただし、気をつけなければいけないことがあります。ただ削っただけでは、やせ細ってガリガリの作品になるだけで終わってしまいます。無駄な部分を削り、濃密になった文の価値がさらに上がるだけの文章を補うようにしましょう。
「息子は、眠そうだ。」
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「息子は、眠そうだ。試験当日だというのに」
「試験当日だというのに」の文を足すことで、「息子は、眠そうだ。」という文で伝えたい意味(「そんな状態で試験を受けて大丈夫なの?」という母親の不安)がより明確になっています。
明確な部分が増えると、この物語自体の方向性も感じることができるというように、必要最低限の状態から少しずつ文をプラスしていきます。これを繰り返していけば、あなたの作品は文学という道に確実に足を踏み入れることができるようになるでしょう。
まとめ
小説でも物語でも、文を作るにあたってぜい肉はいりません。ぜい肉のために骨子がかすみ、いいたいことが明確に伝わらなければ元も子もないからです。
「オッカムの剃刀」という言葉を心に据え、まずはとことん無駄を省き、物語の方向性に必要な文を少しずつ足していく。この心がけ一つであなたの作品は文学へと格上げされます。ぜひ参考にしてみてください。
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