「トラブルメーカー」「足を引っ張る味方役」は現代に不要か?【ライバルが作戦を邪魔したり、頭の悪い奴が足を引っ張る展開がストレスで苦手という声に共感や異論】
現代の創作においては、「トラブルメーカー」「足を引っ張る味方役」がヘイトを溜めやすくなっています。
はるか昔、庵野秀明監督がシン・ゴジラの設定集のインタビューで語った言葉が、より顕著になってていると考えています。つまり表題の「物語中にライバルが作戦を邪魔したり、頭の悪い奴が足を引っ張る展開がストレスで苦手」という話です。
実際には、庵野監督は以下のようなことを述べていました。
「物語中にライバルが作戦を邪魔したり、頭の悪い奴が足を引っ張る展開(敵や味方が足を引っ張りストレス源となる展開)」は、シナリオの定石であり、そういうのが無いと物語が進まない。人間関係に主軸を置く物語ならば必要である。
ただ、シンゴジラは人間ドラマを描くのではなく、ゴジラに立ち向かう人々(仕事をこなして、立場を超え淡々と目的を遂行する、ある意味理想の状況)を描いている。
なので足を引っ張るライバルや仲間を排除してストレスをなくし、皆が一つの目的に向かって協力する気持ちの良い物語を作りたかった。
「ライバルが作戦を邪魔したり、頭の悪い奴が足を引っ張る展開がストレスで苦手」とは曲解のように思いますが、ようは物語における「トラブルメーカー」とか「足を引っ張る味方役」が、好きか嫌いかという話です。
「トラブルメーカー」とか「足を引っ張る味方役」が、好きか嫌いか
私個人は、ドジっ子や無能キャラが味方の足を引っ張りピンチを作る展開は嫌いです。
それどころか吃りキャラクターも苦手です。会話がスムーズに進まない=ストレスがたまるから、です。おそらく仕事と私生活がストレスフルなので、物語の中くらいはストレスレスなストーリーをみたいという願望の現れでしょう。笑
私の物語は基本的に「トラブルメーカー」とか「足を引っ張る味方役」が出てきません。ストレスを感じない展開が好みの方は読んでみてください。
ただ、製作者側にたったとき「トラブルメーカー」とか「足を引っ張る味方役」がいると「展開に緩急をつけたり、ピンチを演出するのに便利」とは言えると思います。
物語における『カタルシス』とは「抑圧からの開放」
というのも、物語における『カタルシス』とは「抑圧からの開放」だからです。カタルシスについては以下のエントリーも参考にしてみてください。
抑圧を演出するため、まずは「味方を下げる」ないし「敵を上げる」必要があります。それから逆転すると、抑圧からの開放だよねという話です。この敵味方の上げ下げ/抑圧の管理は、作者さんの腕の見せ所です。
例えば「頭脳戦で敵を上げている展開なのに、敵の頭が悪く見えて、敵の立ち位置が上がりきらない」「味方がドジすぎてストレスがたまる。味方の下げ方が気に入らない」なんてのは、抑圧の管理に失敗した例です。
そして「トラブルメーカー」「足を引っ張る味方役」は「味方を下げる」ために利用されます。先ほどあげたように「味方がドジすぎてストレスがたまる。味方の下げ方が気に入らない」となったら、最悪読者は離れます。
特にWeb小説なんかだと一瞬で読者が去っていきます。ストレスのない、ストレスレスな物語が好まれますからね。
現代では、作中の登場人物における、知的能力の水準が上がっている
浅井ラボさんが上記に関連することをおっしゃっていました。現代では、作中の登場人物における、知的能力の水準が上がっているという話です。大きめの読み間違いがうっかりミス、ど忘れや無知などで危機に陥るとヘイトが溜まる……。
ここまで書いてきた「トラブルメーカー」や「足を引っ張る味方役」がいるとストレスが溜まる話と同じですね。現代人の特徴かもしれません。
「トラブルメーカー」「足を引っ張る味方役」は現代に不要か?
では、「トラブルメーカー」や「足を引っ張る味方役」は現代の物語に不要なのでしょうか?
もし不要だとしたら、物語づくりの難易度は上がります。「味方を下げる」展開が使えないわけですから……。作家としては悩みどころです。
しかしはっきり言います。「トラブルメーカー」「足を引っ張る味方役」は絶対的悪ではありません。むしろまさにそういったキャラクターを主人公にしたアニメが大ヒットしていました。「ぼっち・ざ・ろっく」です。
とにかく手間のかかるキャラ
「ぼっち・ざ・ろっく」の主人公・後藤ひとりは、「文化祭のステージに立つことを決断できない、人の目を見て話そうとすると震える、挙動不審になる、スライムみたいに動けなくなる、気絶する、突飛な行動をしてカタルシスをぶち壊す」ととにかく手間のかかるキャラです。視聴者にストレスを与えるキャラクターです。
けれども後藤ひとりがいても「ぼっち・ざ・ろっく」は2022年最高の人気アニメでした。後藤ひとりは許されました。思いつく限り、その理由を列挙します。
・作中で誰よりも実力があり、才能がある
・手間のかかる子だが、それを認めてくれる、許してくれる、心配してくれる喜多ちゃんがいる
・関わってくれる仲間がいる、世話を焼いてくれる仲間がいる、面白いと言ってくれる仲間がいる
・大事にしてくれる家族がいる
・作中で成長する。友達が1人もいなかった子が、友達を作って、接客業のはバイトをして、ステージで演奏できるまでになる
「ぼっち・ざ・ろっく」で秀逸だったのは、後藤ひとりを主人公にしたことです。つまり「トラブルメーカー」「足を引っ張る味方役」を主人公にしたことで、失敗に対する周囲の優しさ、あたたかさを一層際立たせてくれました。
私は、脇役にこのキャラクターがいたらストレスフルで耐えられなかったと思います。主人公だからこそ、耐えられました。
まとめ
小説家になろう等で、ストレスフルな展開が嫌われるのを見ると「トラブルメーカー」「足を引っ張る味方役」は、現実がストレスフルな現代においては、嫌われがちでしょう。
けれどそんなキャラクターをあえて主人公に抜擢し、成長を描いたことで、「ぼっち・ざ・ろっく」は多くの共感を得て、大ヒットしました。
誰もが優秀な人材になれるわけじゃない……現代だからこそ、後藤ひとりのようなキャラクターに自分を重ねる人も多いはずです。
あなたの小説には、「トラブルメーカー」とか「足を引っ張る味方役」はでてきますか? もしいるのならばストレスフルな展開になっていないか。もしいないのならば「トラブルメーカー」「足を引っ張る味方役」は不要……という常識にとらわれず、試行錯誤をすることが大事ですね。
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