「斜に構える」とは?|斜に構えるオタクの心理と、そこから抜け出すヒント
「斜に構える」は、剣道の用語です。
「剣術で相手(敵)に対して刀を下げて斜めに身構えること」から「改まった態度をとる」「おつに気取る・身構える」「物事に正面から対処しないで、皮肉な態度で臨む」ことをいいます。
日常的な表現としては、「斜に構えるオタク」のように使われます。何故「オタク」が引き合いに出されるのかというと、「物事に正面から対処しないで、皮肉やからかうような態度で臨む」イメージがあるからではないでしょうか。
そんなオタクばかりではないのですが、知識が身につくと、それをやっても無駄だよと否定できてしまいます。
また、私もオタクでしたが「斜に構える」人はかっこよく見えるんですよね……。本エントリーではエレファントカシマシ宮本浩次さんの事例をもとに、「斜に構える」かっこよさに憧れる原因を考えてみます。
「斜に構える」の本来の意味
まず言葉の由来を確認しておきましょう。「斜に構える」はもともと剣道の用語です。
剣術で相手に対して刀を下げて斜めに身構えること
ここから転じて、「改まった態度をとる」「おつに気取る・身構える」「物事に正面から対処しないで、皮肉な態度で臨む」といった意味で使われるようになりました。
注目したいのは、 本来は「身構える」という防御的な姿勢 だという点です。つまり、斜に構えている人は攻撃しているのではなく、実は 自分を守っている のです。この視点は、後で改めて掘り下げます。
エレファントカシマシ・宮本浩次が「斜に構える」を横に置いた日
エレファントカシマシが好きです。宮本浩次(みやもと ひろじ)の音楽への取り組み方に共感しますし、音楽番組で見せる純粋な音楽愛に惹かれます。「俺たちの明日」の歌詞に心打たれ、「今宵の月のように」を何度もリピートしてきました。
その宮本浩次について、こんな記事がありました。結成は1981年、中学の同級生を中心にバンドを組み、1988年にメジャーデビュー。鳴り物入りだったにもかかわらず、何度もレコード会社との契約終了を経験しています。
転機は、親類から告げられたこの一言でした。
「あんたも、もうちょっと分かりやすい曲作れば良かったのにね」
この言葉をきっかけに、宮本浩次は 斜に構えるかっこよさを横に置いた のです。ヒットを飛ばす歌手たちの曲を聴きあさり、研究し、「悲しみの果て」で多くの人の心をつかみました。
ここにあるのは、 「自分の美学」への執着を手放し、「聴く人に届くもの」に舵を切った という決断です。斜に構えていた自分を変えるには、相当な勇気が必要だったはずです。
若い頃は斜に構えるかっこよさに憧れがち
正直に告白すると、私も中学校から大学生にかけて、斜に構えるかっこよさに憧れていました。
身だしなみを崩したり、教師に従順に従わなかったり——真面目な子たちの行動をパロディすることで、「自分は違う」と演出していたのです。
パロディ・オマージュ・パクリの違い|創作者が知っておくべき境界線と活用法の記事で、パロディを「ゼロから創るという才能のない凡人の表現」と書きました。他人の創造力を活用することで、凡人でも天才の表現に近づくことができる有益な手段である、と。
ですが、「身だしなみを崩すこと」が当たり前の社会だったら、おそらく私は逆に身だしなみを整えていたでしょう。斜に構える行動の本質は、 「周囲と反対のことをする」ことそのもの にあったのです。
斜に構えてしまう原因——「特別になりたい」という欲求
では、なぜ斜に構えてしまうのか。
答えはシンプルです。 自分に自信がなかった からです。
他人と同じ行動をして突出するのは難しい。実力で勝負するのは怖い。でも「特別な存在でいたい」という欲求はある。このギャップを埋める一番簡単な方法が、 「他人と違う行動をすること」 ——つまり斜に構えることだったのです。
他人と違う行動は、 「自分を特別だと演出する最も簡単な方法」 です。同じ土俵で正面から勝負して勝つよりも、はるかに簡単に「天才のフリ」ができてしまう。特別になりたかった私は、正攻法で突出することを諦め、斜に構えて得られるかっこよさに逃げていたのです。
ここで重要なのは、斜に構えている本人には 「逃げている」という自覚がない ことです。むしろ「自分には独自の視点がある」「まわりの凡人とは違う」と本気で信じている。しかし客観的に見れば、正面突破する勇気がないだけなのです。
「斜に構えるオタク」の心理構造
「斜に構える オタク」で検索してこの記事にたどり着いた方もいるかもしれません。斜に構えるオタクが生まれるメカニズムは、ここまで書いてきたことで説明がつきます。
斜に構えるオタクの心理は、「特別になりたい」に尽きます。
オタクは知識が豊富です。豊富な知識は、物事の粗を見つけ出す力を与えてくれます。そして「粗を見つけて指摘する」ことは、「自分はこの作品を超えた視点を持っている」という演出になる。つまり、 知識が「斜に構える」ための武器になってしまう のです。
たとえば、話題の新作アニメに対して「ここの作画が甘い」「このキャラの動機が不自然」と指摘するオタクがいます。その指摘自体は正しいかもしれません。しかし、 作品を楽しむことよりも指摘する自分に酔っている のだとしたら、それは斜に構えている状態です。
創作者としてこれが厄介なのは、 斜に構えるクセが自分の作品にも向いてしまう ことです。「こんな展開はありきたりだ」「こんな設定は見飽きた」——そう自分の作品を否定し続けて、結局何も完成しない。評論家にはなれるけれど、創作者にはなれない。これが「斜に構えるオタク」の最大のリスクです。
自分の小説がつまらなく見える日|ダニング=クルーガー効果と「絶望の谷」の正体でも触れましたが、自分の作品を客観的に見る力は必要です。しかし、それが 「斜に構える」方向に歪んでしまう と、成長ではなく停滞を招きます。
世に出すには「わかりやすい形」にする勇気がいる
エレファントカシマシの話に戻ります。宮本浩次が斜に構えるかっこよさを横に置き、「悲しみの果て」でブレイクを果たしたのは、 他人と同じ土俵に立って突出した からです。
ここでの学びは明確です。 世間に認められるためには、わかりやすい形にして届けなければならない ということ。
若い頃は左右に独自の道が見えます。「みんなと同じことをするのは嫌だ」「自分だけの表現があるはずだ」と信じたくなる気持ちはわかります。しかし現実には、新しい感性をそのまま受け止めてくれる人は少ないのです。
これは小説でも同じです。どれだけ独創的な設定でも、読者が理解できる形で届けなければ伝わりません。「わかりやすさ」は妥協ではなく、 読者への誠意 です。
「コツだけ教えて」で上手くなれない理由|読まない創作者が見落としているものでも書きましたが、結局のところコツコツ積み重ねることが最強です。斜に構えて近道を探すよりも、正面から取り組んだほうが長い目で見ればコストパフォーマンスに優れるのです。
斜に構えてしまうとき、自分に問いかけてほしいこと
もしあなたが、誰かのやっていることや自分のやろうとしていることを見て、「それをやっても無駄だよ」と否定する気持ちになったとき。皮肉やからかいの態度で臨んでしまったとき。
こう自問してみてください。
「自分は今、楽な道に逃げようとしていないか?」
斜に構えるのは「自分を特別だと演出する一番簡単な方法」です。しかし世間に認められるためには、他人と同じ土俵で勝負し、正面から突出することを目指さなければなりません。
冒頭で書いた「斜に構える」の語源を思い出してください。 刀を斜めに構えるのは「防御の姿勢」 です。つまり斜に構えている自分は、何かから身を守ろうとしている。では、何から守ろうとしているのか。
おそらくそれは、 「正面から挑戦して失敗する恐怖」 です。
失敗を恐れないことは難しい。でも、斜に構え続ける限り、一生「正面から取り組んでいたらどうなっていただろう」という後悔を抱え続けることになります。
スランプの正体|「書けない」が長引く本当の理由と、抜け出せる人の共通点でも解説しましたが、書けない原因の多くは技術ではなくマインドにあります。斜に構えてしまうクセも、その一つです。
長い目で見ると、コツコツ正面から取り組むことが一番コストパフォーマンスにもタイムパフォーマンスにも優れます。宮本浩次が証明してくれたように、斜に構えるかっこよさを横に置く勇気が、道を切り拓いてくれるのではないでしょうか。
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