作家の2極の考え方——主張で書く人と、物語で書く人

2022年12月3日

ある作家さんのツイートに、非常に共感するものがありました。

小説とは物語の世界や登場人物になぞらえ、作者が己の価値観や思想信条嗜好要するに腹の中に抱えているものをぶちまける媒体である

この「時代遅れもいいところの噴飯ものの考え」と自嘲しながらも、「正直な自分をぶつけてほしい。自分はぶつけるようにしている。正直な叫びほど熱いものはない」と断言している姿勢に心を打たれました。

この言葉をきっかけに、作家には2つの極があると考えるようになりました。

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2つの極——評論屋と物語屋

A. 主張したいものがあるから書く人(評論屋)

一番わかりやすいのは評論家です。現代の問題や課題に対して、意見をズバリ書く。「これは正しい」「これはおかしい」と明確に主張を持ち、その主張を届けるために文章を書いています。

B. 主張したいものがなくても書く人(物語屋)

こちらは「小説家になろう」のテンプレに従い作品を量産できる人をイメージしてください。流行りの型を分析し、人気作品の要素を分解・流用しながらキャラクターやストーリーを配置し、プロットの通りに物語を進めていける人です。

多くの人はこのA・Bの2極のあいだのどこかに位置します。

A. 評論屋タイプB. 物語屋タイプ
原動力「これを伝えたい」という衝動「この物語を動かしたい」という技術欲
強み熱量、独自性、読者の共感安定した品質、マーケット適応力
弱み独りよがりになりやすい主張がないため差別化が難しい
代表例白饅頭先生、小林秀雄テンプレ系ラノベ作家、量産型Web小説家

成功したいなら「特化」せよ

現代で容易に成功するためには、特化することが重要です。成功とは、注目を集め、お金を集めることだと思ってください。

YouTuberで考えてみましょう。英語のお役立ち情報を配信するチャンネルがあったとします。TOEIC500点のYouTuberとTOEIC990点のYouTuber、どちらを見たいでしょうか。当然、990点のほうですよね。500点は凡庸すぎて、大して役立つ情報も発信できないように思えます。

一方で、真面目に受験して回答も全て埋めたけど最低点10点を叩き出した人のチャンネルだったらどうでしょうか。逆に見たくなりませんか。どんな情報をお役立ちとして配信するのでしょうね。

このように、どちらかの極に振り切った人のほうが注目を集めやすいのです。

小説に当てはめれば——

• 主張したいものがあるなら(「絶対にこれを伝えたい」があるなら)、小説に混ぜるのではなく評論を書けばいい

• 主張したいものがないなら(それほどないなら)、主張は全て捨てたほうがいい

極端な話、そういうことです。もし小説を書いていて成功できないと感じるなら、この2極のどちらに特化するかを考えてみてください。小説を書きたいならB(物語屋)に特化するしかない、ということになります。

ただし、これは「主張を持つな」という話ではありません。主張を持つこと自体は素晴らしいことです。 問題になるのは、主張の強さと物語の求心力のバランスです。テーマが前面に出すぎると読者は「説教されている」と感じ、テーマが薄すぎると「何が言いたいの?」と感じる。どちらに特化するかを意識するだけで、このバランス問題から解放されます。

「腹の中に抱えているもの」が溢れ出す瞬間

ですが、B(物語屋)に特化して本当に楽しいのか? という問題があります。

小説を書き進めているうちに、作者の中から主張したいものがフツフツと湧き上がってくることがあるからです。

例えば女の子2人のバディものを書いていくうちに、「どちらかが欠けて完成する物語こそ美しい」という思想が芽生えたとしましょう。読者としては2人に幸せに生き続けてほしいのに、作者はどちらかを殺したいという食い違いが発生しています。

この場合どうなるかというと、結局のところ、作者はどちらかを殺すでしょう。一度「腹の中に抱えているものをぶちまけたい」と感じたら、ぶちまけないと楽しくないからです。

そしてその展開により読者は減少します。作者が主張するとき=読者が減るときです。PVが減り、売上も減るかもしれません。作者が主張を増やすごとに読者は減り、最終的には作者と同じ感性の読者だけが残ります。

作者100%の作品——つまりそれは独りよがりの作品です。作者100%を受け入れられるのは、作者だけです。

そしてA(評論)に特化した評論と比べて、A・Bの中間で独りよがりになった小説は中途半端です。

作者100%にならないための方法

作者100%の独りよがりを避けたければ、アドバイザーを増やすことです。編集者はそのためにいます。

ただ、編集者でなくても構いません。友達のアドバイスを受け入れるだけでも、主張の濃さが薄まり、作者100%になることを避けられます。

別の記事で「小説はトータルのクオリティでアニメには絶対に勝てない、まずこれは認めたほうが楽です」と書きました。小説がアニメに勝てない理由は、アニメがチーム戦だからです。

結局のところ同じことを言っていて、つまりアニメは作者100%になることを避けられるのです。監督が暴走しようとしても、プロデューサーやスポンサーが「視聴者を減らさないように」と主張を抑える制御が働く。このチーム戦の醍醐味は、多くのお客さんに作品を届ける強い武器です。

個人戦の小説家が同じ効果を得るには、意図的にチームを作るしかありません。信頼できる読者、友人、編集者——自分の主張を客観視してくれる存在を持つことが、作者100%から身を守る最大の防御策です。

たとえ作者100%になったとしても、いい

しかし、最後に主張したいことがあります。

たとえ作者100%になったとしても、いい。

行き着く先は結局、冒頭の言葉に戻ります。「小説とは物語の世界や登場人物になぞらえ、作者が己の価値観や思想信条嗜好要するに腹の中に抱えているものをぶちまける媒体である」——もし作者100%の独りよがりの作品になったとしても、作者自身が100%楽しめるなら、それでいいのではないでしょうか。

作者100%の作品を発表することで、同じ主張の人たちとつながり、チーム戦ができるようになるかもしれません。小説はそのための名刺代わりにしてもいいのではないでしょうか。

似た感性の人々とチーム戦ができるようになったら、大きな成功を収めるチャンスです。小説家が集まるコミュニティでつながりを探すのもいいかもしれませんね。

歴史を振り返れば、太宰治も、ドストエフスキーも、作者100%に近い作品を書いた作家です。彼らの作品は発表当時、万人受けしたわけではありません。しかし、その「独りよがり」の純度が高かったからこそ、特定の読者の心に深く突き刺さり、時代を超えて読み継がれています。独りよがりにも、品質があるのです。

2極の使い分け——作品ごとに変えてもいい

ここまで「どちらかに特化すべき」と書きましたが、補足があります。1人の作家が複数の極を使い分けること自体は問題ありません。

例えばある作品ではB寄りのエンターテイメント小説を書き、別の作品ではA寄りのエッセイや評論を書く。この使い分けは、むしろ読者にとって多面的な魅力になります。問題になるのは、1つの作品の中でA・Bが中途半端に混在することです。

プロの作家でも、エンターテイメント作品と私小説的作品を書き分けている人は多くいます。東野圭吾は計算し尽くされたミステリーと、より主張の強い社会派作品を書き分けています。村上春樹はフィクションとエッセイで明確にモードを切り替えています。

1つの作品で決断すること。それが2極の考え方の実践です。

まとめ——あなたはどこに立っているか

この記事では以下のことを書きました。

• 文章で容易に成功するために、A(主張で書く人)かB(物語で書く人)のどちらかに特化するのがいい

• A・Bの中間で作者100%の独りよがりの作品になることは避けたい

• それでも作者100%の作品になったとしても、それによって同じ感性の人々と出会えてチーム戦ができるなら、成功に近づける

大事なのは、自分が今この2極のどこに立っているかを認識することです。主張したいものがあるのに無理に抑えて物語屋になろうとしていないか。逆に、特に伝えたいこともないのに無理に深いテーマを載せようとしていないか。

自分の立ち位置がわかれば、取るべき戦略も見えてきます。


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