「1日1万字」の呪い|執筆速度で作家の価値は測れない

2019年10月22日

「1日1万字を半年書き続ければプロになれる」

この手のツイートが定期的にバズります。わかりやすい目標設定。具体的な数字。努力すれば誰でも到達できるという希望。受けがいいのは理解できます。

でも、この言説には構造的な問題があります。

まず、1日1万字を半年で約180万字。文庫本1冊が10万字だとすると、18冊分。半年で文庫18冊分の文字列を生産すれば、その中身のクオリティに関わらずプロになれるのか? そんなわけがない。

量をこなすこと自体には意味があります。でも「1日1万字」という数字だけが一人歩きして、書けない人を追い詰める道具になっているのが現状です。


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「速い=すごい」という暗黙の前提

執筆速度の話が盛り上がると、必ず登場するのが「西尾維新は1日3万字」という伝説です。事実かどうかはさておき、この話が引用されるたびに、こう思う人がいるはずです。

「自分は1日2,000字がやっとなのに……」

この感覚、覚えはないでしょうか。

ここで冷静に考えてほしいのですが、執筆速度という単一の指標で作家の優劣を測ることに意味があるでしょうか。

たとえばプロ野球選手の評価を「走る速さ」だけで決めたらどうなるか。足の速い選手が最も価値があり、イチローより速く走れない選手は全員有象無象ということになる。馬鹿馬鹿しいですよね。打率、長打力、守備範囲、リーダーシップ──選手の価値を構成する要素は無数にあります。

作家も同じです。執筆速度、構成力、描写の精度、キャラクター造形、テーマの深さ、持続力、リサーチ力──。1日500字しか書けなくても、その500字が読者の心臓を貫くなら、その作家には価値があります。


自分のリアルな執筆速度を計測する

「1日1万字」に振り回されないための方法は、自分の数字を正確に把握することです。漠然とした不安を、具体的なデータに変換する。これだけで、精神的な負荷が劇的に減ります。

方法は単純です。ストップウォッチを5分に設定して、5分間で何文字書けるかを計測してください。消した文字はカウントせず、最終的に残った文字だけを数えます。

以下の3パターンで測ると、面白い結果が出ます。

パターンA:プロットなしで5分
「こういう物語が書きたい」という漠然としたイメージだけで書き始める。

パターンB:プロットありで5分
展開が明確に決まっている場面を書く。

パターンC:書き写しで5分
好きな小説の一節や歌詞をそのまま写す。

私の計測結果を公開します。

パターン5分の文字数1万字到達に必要な時間
A:プロットなし91字約9時間10分
B:プロットあり150字約5時間35分
C:書き写し500字約1時間40分

この数字を見ると、いくつかのことがわかります。

まず、プロットの有無で速度が1.6倍違う。プロットを練る工程は「速度を落とす無駄な作業」ではなく、「執筆速度を倍近くに引き上げる投資」です。

次に、書き写しなら1時間40分で1万字に到達する。つまりタイピング速度そのものがボトルネックではない。ボトルネックは「何を書くか考える時間」──つまり思考の速度です。

そして最も重要なこと。プロットなしの状態(これが多くの人の「日常的な執筆状態」に近い)では、1日1万字は約9時間かかる。フルタイムで働いている人には物理的に不可能な数字です。


数字から戦略を逆算する

計測したら、そこから戦略を逆算します。

たとえば、月に10万字(文庫1冊分)書きたいとする。プロットありの状態で1時間あたり1,800字書けるなら、約56時間。月に20日書くとして、1日あたり2.8時間。可処分創作時間が2時間の人には、やや厳しいですがギリギリ射程圏内です。

逆に、プロットなしの状態を前提にすると、同じ10万字に約110時間。月に20日で1日5.5時間。フルタイム勤務の上にこれをこなすのは非現実的です。

つまり「自分は遅いからダメだ」ではなく、「プロットを事前に作り込んでおけば月10万字は現実的だ」という建設的な結論が導き出せます。

速度を上げたいなら、タイピング練習より先にやるべきことがあります。

1. プロットの精度を上げる:何を書くか迷う時間を減らす
2. 表現のストックを増やす:「この感情をどう書くか」で止まる頻度を下げる
3. 書く前にシーンを脳内再生する:キーボードに向かう前に、頭の中で場面を映像化しておく

いずれも「速く打つ」ではなく「考える時間を減らす」アプローチです。


執筆速度マウントの正体

SNSで「1日○万字書いた」と報告する行為について、もう少し踏み込みます。

別に報告すること自体は自由です。自分の達成を記録したい気持ちは理解できる。ただ、その数字が他者を萎縮させる道具になっている場合──そしてそれが意図的なら──それはマウントです。

1日1万字書ける人がいたとして、その人より書けない人を見下す権利があるのか? 書き写しだったら1日5万字書ける人もいます。その瞬間、上下関係はひっくり返るのでしょうか? ひっくり返るとしたら、最初のランク付け自体が無意味だったということです。

ある作家が、こう書いていました。

「具体的なことを書くのは、そこそこ考えたり調べたりしないと難しいので時間も手間もかかるはず。書く文字数の速度を重視してたら挑戦しにくい。でも、具体的な設定・描写・台詞で作品を固めた方が読者には刺さる」

この言葉がすべてを語っています。

速度を追うと、描写が雑になる。調べ物を端折る。「なんとなく」で場面を埋める。結果として文字数は増えるが、読者の心に残る場面は減る。速さと質を両立できるのは、長年の訓練を積んだ一握りの人だけです。


「今の自分」で最大値を出す

最終的に言いたいのは、「1日1万字」をゴールにするのをやめましょう、ということです。

代わりに、こうしてください。

1. 自分のリアルな速度を計測する(5分間テスト)
2. その数字から、月に何文字書けるか計算する
3. 書きたい作品の文字数と照らし合わせて、完成までの日数を逆算する
4. プロットの精度を上げることで、速度を1.5〜2倍に引き上げる

この4ステップを踏めば、「自分は遅い」という漠然とした不安は「今のペースなら3ヶ月で長編1本」という具体的な見通しに変わります。

他人の数字と比較しても、自分の速度は1文字も増えません。

自分の数字を把握して、その数字の中で最大限の成果を出す。それが兼業作家にとって最も合理的な戦い方です。そして忘れないでほしい──作家の価値は速度ではなく、書いた言葉が読者の中に何を残すかで決まります。


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