可処分創作時間の設計|兼業作家が「書く人間」でいるための時間戦略

まず数字の話をさせてください。

「可処分創作時間」という言葉は私の造語ですが、内容は単純です。1日の中で、実際に創作に使える時間のこと。

24時間から、睡眠(7時間)、通勤(往復2時間)、勤務(8時間+残業1時間)、生活維持(食事・入浴・家事で3時間)を引くと、残りは3時間。これが「可処分時間」です。

ただし、3時間すべてを創作に使える人はいません。仕事で精神的に消耗した日は、帰宅後に30分くらいぼんやりする回復時間が必要でしょう。実質的な可処分創作時間は、2時間前後。

ここから条件を変えてみます。

残業が月40時間の環境なら、1日の残業は約2時間。可処分時間は3時間から2時間引いて1時間。回復時間を差し引くと、実質ゼロに近い日が出てきます。リモートワークなら通勤の2時間が消滅して、一気に5時間になる。

月に換算すると、残業多めの環境は月10〜20時間。リモートワーク環境は月60〜80時間。年間600時間以上の差。文庫本の長編が2〜3冊書ける時間の差です。

年収を200万円下げてでも可処分創作時間を増やすべきか──この天秤の答えは、人それぞれです。でもこの天秤が存在すること自体を認識していない兼業作家が多いように感じています。


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帰れない日々のこと

数字の話をしたところで、自分の体験を書きます。

最初に就職した会社は、残業時間が月80時間を超えることもある環境でした。終電を逃してネットカフェで仮眠を取り、朝そのまま出社する日もありました。可処分創作時間で言えば、限りなくゼロに近い生活です。

学生時代から趣味で小説を書いていたので、社会人になっても続けるつもりでした。でも入社して3ヶ月が経ったとき、エディタの最終更新日を見て愕然としました。3ヶ月間、1行も書いていなかった。

帰宅が23時を過ぎる。たまに21時に帰れた日も、疲労で頭が動かない。ベッドに倒れ込むと5秒で意識が落ちる。週末は睡眠負債の返済だけで終わる。「書けない」のではなく、「書く人間でいられない」状態でした。


でも、嫌だったかと聞かれると

ここで正直に書かなければならないことがあります。

あの日々を否定する気はないのです。

確かに可処分創作時間はゼロでした。小説は書けなかった。でもあの環境で根を詰めてやる習慣がついたのは事実です。追い込まれた状態で手を動かし続ける持久力。短い時間で成果を出さなければならない時の集中力。予定外のトラブルに対応し続ける瞬発力。これらは、あの密度のある日々の中で鍛えられたと思っています。

最初からのんびり働いていたら、今のようにいろいろなことを同時に動かそうとは思わなかったかもしれません。ブログを書き、AIの活用を考え、創作の仕組みを設計し直し、複数のプロジェクトを並行する。この「何でも手を出す」体力は、忙しかった時代の遺産です。

だからこの記事は、「ブラック企業は悪だ」という単純な結論には向かいません。「あの経験があったことは認めるけれど、あの環境では書けなかった」──両方が同時に成り立つという話です。


少ない時間のほうが集中できるという逆説

面白いもので、可処分時間が少ない時のほうが密度高く動けることがあります。もちろんゼロは論外ですが。

残業の多い時期に、奇跡的に1時間だけ確保できた夜。「この1時間しかない」と思うと、ものすごい集中力で2,000字書けたりする。逆に、丸一日休みで「今日はたっぷり書ける」と思った日に限って、1,000字も進まなかったりする。

時間の「量」と創作の「質」は、必ずしも比例しません。制約があるからこそ生まれる密度がある。

ただし──これが重要ですが──「奇跡の集中」は長続きしません。1回や2回は可能でも、半年、1年と維持するのは身体が持たない。連載を抱えている場合、「今日は集中できるかどうかわからない」では計画が立てられない。

単発の集中力と、持続可能な執筆習慣は、まったく別のスキルです。前者は短距離走、後者はマラソン。マラソンを走るには、マラソンの準備が必要です。


時間が増えて、初めてできたこと

転職して可処分時間が増えてから、大きく変わったことが2つあります。

ひとつは「じっくり向き合う」ことが可能になったこと。

たとえば今、こうしてブログの設計を一から考え直す作業をしています。これは30分の隙間時間では絶対にできない。腰を据えて、ひとつのテーマについて何時間も思考を重ねる。そういう「深い作業」は、まとまった可処分時間がないと発生しません。

小説も同じで、プロットの全体像を俯瞰しながら細部を詰める作業は、断片的な時間では難しい。忙しかった時代は「目の前の1シーン」を書くのが精一杯で、物語全体の構造を見渡す余裕がなかった。

もうひとつは「実験ができるようになった」こと。

新しい文体を試す。普段書かないジャンルに手を出す。失敗しても構わない気持ちで書く。こういった実験的な執筆は、「1時間しかない、失敗できない」という状態では生まれにくい。時間の余白があることで、創作の幅が広がりました。


精神的可処分時間という見えないコスト

ここまで物理的な時間の話をしてきましたが、もうひとつ「精神的な可処分時間」という概念を提案します。

これは、脳が仕事から解放されて、創作のための思考に切り替えられる状態になるまでの時間のことです。求人票には載っていませんが、兼業作家にとっては年収と同じくらい大事な指標です。

四半期レビューのプレッシャーが続く職場では、帰宅後も頭が仕事モードのまま。物理的に2時間の可処分時間があっても、物語の世界に入っていけない。上司の顔がちらつく。明日の会議の段取りが頭を離れない。

逆に、ルーティン寄りの仕事は「帰宅した瞬間に仕事を忘れられる」というメリットがあります。年収が低くても、頭のスイッチをすぐに切り替えられるなら、創作にとっては高価値な職場かもしれません。

可処分創作時間を計算する時は、物理的な時間だけでなく、精神的な切り替えコストも含めて考えてください。


フェーズごとに最適解は変わる

ここまで書いてきたことを整理します。

忙しい時期には、密度と耐久力が鍛えられた。でも可処分創作時間はゼロだった。時間が増えた今は、深い作業と実験が可能になった。でも忙しい時代に培った体力がなければ、今の活動量は維持できていない。

どちらが「良い」ではなく、どちらにも意味があったということです。

20代で独身なら、あえて負荷の高い環境で体力をつけるのも一つの戦略。30代で家庭を持ったら、可処分時間を確保できる環境にシフトするのが現実的。40代になると身体が言うことを聞かなくなってきて──私の場合ですが──時間の「質」を上げる方向に考えざるを得なくなります。

可処分創作時間の最適値は、人生のフェーズによって変わります。


1週間の計測をしてほしい

最後にひとつだけ、具体的なアクションを提案します。

今の生活で、実際に何時間書けているかを1週間記録してください。スマホのメモ帳でいい。帰宅した時刻、創作を始めた時刻、やめた時刻。それだけ。

1週間後に合計を出すと、自分の可処分創作時間の実態がわかります。「月に20時間書いているつもりだった」のに実際は10時間だった、ということは珍しくありません。

その数字と、自分が望む執筆量の差。その差を埋める手段として、転職がどこまで有効か。生活習慣の見直しで何時間稼げるか。数字を把握しているだけで、判断の精度はまるで違ってきます。

面接で「前職を辞めた理由は」と聞かれたら、「スキルを磨ける環境で働きたいと考えたからです」と答えます。心の中の本当の理由は──もう少し時間がほしかった、書きたかった──ということです。面接官に言う必要はありません。でも自分自身には、正直でいたいと思っています。


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