大きな物語のはじまりか、小さな物語のひとつにすぎないのか

2022年7月9日

 2022年7月8日、安倍元首相が、奈良市の近鉄大和西大寺駅周辺で街頭演説中に銃撃され、亡くなりました。治療をされた奈良医大は日本最高の緊急医療技術のある病院だそうです。最善は尽くされたのだと感じます。犯人は3Dプリンタを使って作成した手製の銃を使ったそうです。将来教科書に載るような事件が起こってしまいました。

 痛ましい事件ですが、心を痛めている場合ではないかもしれません。この事件をターニングポイントとして歴史が動く可能性があるからです。強力で偉大なリーダーが失われたあとにはスキができます。

 例えば物語の中で、国王が暗殺されたタイミングで他国に侵略戦争を起こされれば、有事の備えができていない国はなすすべなく支配されてしまうかもしれません。偉大なリーダーのおかげでまとまっていた組織や、抑えられていた権力者が動き出し、国が2つに割れるかもしれません。

 小説家を目指す私達であれば、感情に流されるだけではなく、大局を見てこの事件が世界にどんな影響を及ぼしていくのか、を見ることは有意義でしょう。ここで他の人と同じように喪に服すだけなんて、小説家じゃないですよね。
 例えば自分たちが不幸な未来を回避するために考えてみましょう。安倍元総理とともに金融政策を牽引していた黒田総裁の後ろ盾がなくなり、黒田総裁が任期を待たずに辞任して、後任がゼロ金利政策を否定。金利が上昇し、変動金利で借りている住宅ローンの支払い額が多くなるかもしれません。その場合は住宅ローンを固定金利にすることで自分の身を守ることができます。

 このように大局を見て行動することで自分の身を守ることができます。戦争のように最悪のケースが怒らない限りは。

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五一五事件や二二六事件との違い

 さて、このエントリーでは上記のような大局観で今回の事件を捉えてみます。今回のように有力な政治家が襲撃される事件で有名なのは、五一五事件と二二六事件です。教科書にも載っていますね。

 これらの起きた時代は次のとおりでした。

 1929年の世界恐慌に端を発した大不況により企業倒産が相次ぎ、失業者は増加、農村は貧困に喘ぎ疲弊する一方で、大財閥などの富裕層は富を蓄積して格差が広がり社会不安が増大しました。そういった貧困な若者が職を求めて軍に入り、いつ暴発するかわからない状態でした。

・1932.5.15 五一五事件
 犯人は海軍急進派の海軍青年将校。海軍内で既存の政党政治に対する不満が高まり、政治家襲撃が計画されました。襲撃後は東郷平八郎元帥による戒厳令政府を設立し、軍閥内閣を樹立して国家改造を行うというクーデター計画。犬養毅首相が殺害されました。

・1936.2.26 二二六事件 
 犯人は皇道派青年将校約1,500名。陸軍内で『問題だらけの国家を改革して日本を良くしよう!』という動きがあり、天皇のもとで国を作り直そうと考える人々が政治家である高橋是清・斎藤実 等を殺害した事件でした。

 そして、およそ90年経って似たような事件が起きてしまいました。軍部の暴走、戦争の恐ろしさを知っている世代がほとんどいなくなった時代です。私たちは同じように戦争へと進んでいくのでしょうか? 実は私はそう思いません。理由は2022.7.8に発生した事件と以前の事件の違いからです。

・2022.7.8 七・八事件?
 安倍元首相が演説中に銃撃された。犯人の男(41)は「ある特定の宗教団体に家庭を崩壊させられた恨みがあり、安倍元総理大臣はその宗教団体と関係があると思って狙った」という趣旨の供述をしている。

 令和に起きた事件には思想がありません。今わかっている範囲では単独犯であり、国をよくしてやろうという思いが見られません。90年前は国を良くしようという考えがあったから、同じ境遇の人々を惹きつけ、大きな事件に発展していきました。

 また、犯人の年齢が高いです。90年前は20代から30代が事件の主役でした。夢だけでどこまでも行動できる若者は、同じ若者が大人を襲撃する姿に興奮したかもしれません。しかし2022年の事件は違います。40歳の犯人と同じ世代の人々は落ち着いていて、家族もあり、犯人のように向こう見ずな行動はしないでしょう。20代や30代は、思想もなく人を殺してしまうこの幼い41歳を哀れにこそ思えど、憧れるような人はいないのではないでしょうか。ダサいんです。

 戦争は起きません。ですが1つだけ例外があります。

 つまり、もし氷河期世代が犯人と同じ境遇にいて、犯人に共感し徒党を組まない限りは。

大きな物語を語るとダサくなる

 90年前、犯人は『問題だらけの国家を改革して日本を良くしよう!』と意気込んでいました。このように「社会を自分が変えられる、自分の行動によって社会が変わっている」と考えて生きることを私は大きな物語と呼んでいます。一方、「自分の手の届くところが幸せであればいい、家族や友人と不安なく過ごしたい」と考えて生きることを小さな物語と呼んでいます。

 もちろん大きいほうがいい、というわけではないです。

 時代が進むにつれて、大きな物語ではなく小さな物語が好まれるようになっていきます。「欲しがりません勝つまでは」という国民決意が称賛される時代は終わりました。

 時代は

 国優先→社会(地域コミュニティ)優先→恋人優先→個人優先

 へとミニマイズされていきました。

 この流れは不可逆だと思います(逆転させる方法が思いつかないです。人類滅亡の危機に瀕したら人類優先に変わるくらいでしょうか)。ですので物語を書く上でも注意が必要です。

 例えば国を良くしたい政治家を主人公にしたら、綺麗事ぐさく、嘘くさくなってしまう(私は女性総理を主人公にした小説を執筆していますが、奇麗事を書くのが辛いです)。もし国優先のキャラクターを登場させるなら、最終的には消すしかありません。そのキャラクターが目的を達した世界は嘘くさいからです。

 私の書いた世界優先の最高のリーダーはどうでしょうか。もし可能ならあなたの目で読んでみてください。

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 個人優先の時代では、クーデターを物語の題材にするのは難しいです。書けるなら力があります。特にクーデターに他のキャラクターをどう共感させるか、腕の見せ所でしょう。気がついたらクーデターになってた!が今の時代のトレンドだと感じます。

 また、神様を強く信じている信仰者を主人公にするのもダサい気がします。個人の感情以外のものにとらわれているキャラクターは、幼く見えてしまいますし、読者が共感しづらいです。

 つまり何がいいたいかというと、国を転覆させようなどという大きな物語は令和に起きないはずだということです。これは私が自分を安心させたいだけかもしれませんが、ウクライナで起きたような大きな物語が日本で起きないことを祈ります。

ここまで読んで頂きありがとうございました。
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