朝井リョウ『正欲』感想

第19回 本屋大賞ノミネート! 
【第34回柴田錬三郎賞受賞作】

あってはならない感情なんて、この世にない。
それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ。

息子が不登校になった検事・啓喜。
初めての恋に気づいた女子大生・八重子。
ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。
ある人物の事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり合う。

しかしその繋がりは、"多様性を尊重する時代"にとって、
ひどく不都合なものだった――。

「自分が想像できる"多様性"だけ礼賛して、秩序整えた気になって、
そりゃ気持ちいいよな」

これは共感を呼ぶ傑作か? 
目を背けたくなる問題作か? 

作家生活10周年記念作品・黒版。
あなたの想像力の外側を行く、気迫の書下ろし長篇。

正欲

 

Contents

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感想

 ふと死にたくなった。
 理由は明確だ、満たされてしまったからだ。私はこの数ヶ月の間に、仕事、お金、人間関係、体調の悩みから解放されてしまった。

 会社に抑圧されているとき、私はその抑圧から解放されたいと願い、自分の能力を高めて他の会社に転職するか副業として本業と同じくらいの稼ぎを得ようと努力した。借金返済に追われていたとき、私は借金を返すために馬車馬のように働いて会社をクビにならぬよう努力した。人間関係の悩みがあるとき、私は嫌な上司や同僚を見返すために自己研鑽や投資に努力した。体調の悩みがあるとき、私はおおむねお金が心配になった。

 上に書いた4つの悩みの解決策は結局のところひとつだ。自分の実力を伸ばして会社を渡り歩ける力を得て、投資を行い不労所得を得ること。これをするだけで4つの悩みから完全に解放される。

 私はこの8年ほど、悩みから自由になるため努力してきた。そしてようやく、自由を得て、あとは好きなことをすればいい人生が残った。

 けれども冒頭に書いたような、ふと死にたくなる感情に襲われた。なぜか?

 まず1点目、自由を失うことを恐れている。例えばお金があるなら豪華な遊びをすればいいと思うかもしれないが、お金を減らしたくない(損失を課題に評価する)プロスペクト理論に囚われている。とはいえ10年ほど前にお金を使って遊んでいた経験から、今の自由とお金を使った遊びの楽しさを比較することができ、自由を選ぶのが正解であると理解している。仕事にしてもそうで、やめてしまう選択肢もあるがそれをしないのは、お金を失うのが怖いからだ。職業選択の自由は得たが、働くことに縛られるところは変わらない。

 次に2点目、同世代の世間一般と考えがあまりに離れている。働くことをやめない理由のひとつに、人と出会えることがある。同じ組織に属していることで、どこか安心する。私は凡人だから、たった1人で生きていこうと思わないし、組織の中で繰り広げられる人々の交流を見るのが楽しい(創作のネタにもなる)。しかし組織の中で人と交流するには、考えが違いすぎてなじめない。仕事に対する愚痴や将来への不安、給料への不満、そういったものが一切ないので相手に心から共感できない(見かけの同感はできても自分の経験を話すと関係が崩れるので、しない)。

 そして3点目、勝てる試合しかしない。4つの悩みを解決できたのは、様々な負けパターンを経験して最終的に残った勝ちパターンだけをひたすら続けているからだ。うまい投資話やギャンブルのような投資で大損したことも多々あり、それらは実感を持ってダメと言える。最終的には自分で判断できる一部ジャンルに特化して勝てる試合だけをするようになった。こうなると試合は勝てるのだがつまらない。20代にあったチャレンジ精神はどこへ行ったのか…リスクをとって30代で新しいことを始めることの難しさがよくわかる。

 以上3点、まとめると自由を失わないために世間と異なる価値観を得て、勝ち試合をひたすら繰り返す。これができた途端にふと死にたくなったのだった。

 例えば30歳で結婚して住宅と車のローン返済に追われながら、会社の偉い人とゴルフをして、家族と世間一般のイベントをこなしながら生きている方がよほど幸せだったかもしれない。チャンスは実際あった、けれどそれを捨てたから今の自由がある。

 じゃあ結婚すればいいじゃないか、そう、それはそう。だから30代の今婚活をする。すると相手も30代でまことに様々な人の人生が見られてとても面白い。多くの人は自分の価値観を言葉にする、人々にとって価値観とは今までの人生を総括したものであり、成功体験であり、レッテルである。自分が自分を、他人が自分を理解するためにわかりやすく言葉にしたものと言い換えることもできる。誰もがみな、自分の過去を誇り、過去の延長線上に未来の自分を置きたがっている。

 一方、私はこれだという価値観がない。自分は常に間違っているという批判的思考で、どんな価値観からも自由であることを大切にしている(法を守るといった基本ルールはもちろん守る)。

 さて、どんな価値観からも自由であることの魅力を他人に伝えるのはなかなか難しい。人を嫌いになることがないとか、何にでも染まれると言ったところで、自分が無いとかサイコパス、八方美人といわれる。わかってもらえるのは自由を得るための方法くらいで、これは話すことができるけれど、それはあくまで手段であり価値はない。

 すると結婚相手に求めるものNo.1「価値観があう人」というキーワードが思い出される。自分の価値観が世間一般とずれている場合、価値観をあわせる努力をしなくてはならない。大抵、世間とずれている人はそういった努力をしているが無闇やたらに辛い。

 もうひとつの選択として、結婚相手にお金を求める人とお付き合いする方法がある。お金を消費すると自由を失うため、私はお金があるのにケチだが、自由を失わない範囲での気前は良いので選択肢に入る。結婚相手にお金を求める人は、お金という手段の使い先つまり目的も大抵残念な人々であるが、私自身の目的(自由を目指すという崇高な目的)も「ふと死にたくなる」という残念な結果に終わっているので似たようなものだ。ただ、私のケチさでは相手の浪費欲を満せないので最終的には切られてしまう。お金を求めている人のお眼鏡にかなっても、結局その先にある目的、つまり価値観が違えば続かないのだ。

 やはり価値観をあわせていくことが大事だ。朝井リョウの正欲に言わせれば、世間は「明日死なないこと」を目指しているらしい。確かに不安を解消しようとするあらゆる広告も、異性との交流も、エンターテイメントも明日を楽しく生きるためのスパイスだ。来週のワンピースを読むまで死なないという人は、立派に世間の価値観とマッチしている。私、ふと死にたくなっている場合じゃない。

 朝井リョウの正欲が教えてくれるのは、どうやら自分以外の誰かと共生することで、この「明日を死にたくない」領域に到達できることだ。作中では世間一般と異なる価値観を持つ男女が、明日を生きるために手を結ばないかと告げて、共に暮らすことを選ぶ。そこに愛はない。けれど最後のシーン、相手を信じて待つことは「明日を死にたくない」想いとどこが違うだろう。

 私は思う。ベトナム戦争時にもてはやされたラブアンドピースは、いま役割を終えようとしている。愛は手段でしかなく目的ではないのだ。複雑で悩みの多い現代社会において、最も尊いのは生きていること、Liveだ(そしてウクライナ戦争の後に世界が渇望しているのは平和。つまりLive and Peaceの時代だ)。ならばそうさ、もう少し生きてみよう。

 ふと死にたくなったとき、そんなことを教えてくれた本である。

 本屋大賞にならなかったのは、まだほんの少しだけ未来の価値観で世の中を鋭く描きすぎたからでしょうか。はたまた気づかれて不都合でもあるのでしょうか。賞を取れなかったからといって歴史の影に埋もれてはいけない超傑作です。人間観察を趣味にしている人は最先端の観察眼を得られるのでぜひ読んでみてください。 

ここまで読んで頂きありがとうございました。
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