あなたにとって本の魅力ってなんですか?
唐突ですが、みなさんにとって本の魅力ってなんですか? ここでいう本は、文字で表現された文芸作品のことだと思ってください。
私にとっての本の魅力は、日常で語ることが難しい真面目な話やデリケートな話に触れられることでした。子供向けのアニメやエンターテイメント全振りの映画では触れられることのない話——それを読めるのが本の魅力だったと感じています。
ところが、この「本にしかできないこと」が変わり始めています。
「本にしか書けなかった話」が声になる時代
誰でも動画配信ができるようになったことで、これまで本にしか書かれてこなかった話が、YouTubeで語られるようになりました。
社会問題の深掘り、犯罪者側の思想への言及、芸能界の裏事情。一昔前は書籍でしか触れられなかった情報が、声と映像で直接届けられるようになっています。
動画配信には校正チェックがありません。だからこそ、より直接的で過激なものが生まれやすい。壱百満天原サロメ嬢が生理痛の話を配信でされていたのも記憶に新しいです。「今日は生理痛がきついのでお休みします」と公言すること自体、一昔前はなかなかできませんでした。
つまり、動画のジャンルがどんどん拡張された結果、「本でしか読めない情報」が減ってきているのです。この現状認識は、小説を書く側にとって重要だと思います。
それでも本にしかできないこと——「世界を中心に物語を書く」
では、今現在、本でしか書けないこととは何でしょうか。
私の考えは、世界を中心に物語を書くことです。
わかりやすく言えば、主人公が途中で変わっても物語が続くこと。これは本ならではの強みです。
例えば『みずほ、迷走の20年』という本は、みずほ銀行という「世界」を中心に据え、社長(主人公)が交代しても物語が続きます。みずほ銀行のITシステムを物語の中心に添えたバージョンもあり、技術者的にはこちらの方が面白いです。ドラマやアニメでこれをやるのは極めて困難です。主人公に俳優や声優のファンがつくため、主人公を途中ですげ替えて視聴率を維持することはほぼ不可能だからです。
YouTubeの動画配信も同様です。配信者(主人公)が変わればチャンネルは終わります。朝ドラでは『カムカムエヴリバディ』という朝ドラ史上初の3人のヒロインが織りなす100年のファミリーストーリーがありましたが、これは連続テレビ「小説」なので、むしろ本の強みを映像に持ち込んだ例外と言えます。
| メディア | 主人公交代 | 世界中心の物語 |
|---|---|---|
| アニメ・ドラマ | 困難(声優・俳優にファンがつく) | 難しい |
| YouTube | 不可能(配信者=チャンネル) | 不可能 |
| 本(小説) | 可能(文字は俳優に依存しない) | 得意 |
小説で代表的な成功例は『十二国記』です。第1巻では陽子を中心にした濃厚な自己探求ファンタジーでした。しかし物語が進むにつれて、主人公と世界が分離し、尚隆、延麒(六太)、泰麒と主人公が入れ替わりながら、「十二国」という世界そのものが独り歩きを始めた。どちらも——世界も、その中に生きるキャラクターも——魅力的な小説になったのです。
世界を中心に物語を書くためのたった1つのコツ
世界を中心に物語を書くコツは、驚くほどシンプルです。
最初に「この世界には国が◯つあります」と宣言し、世界地図を作ること。
これだけです。国という単位で世界を区切ると、それぞれの国に歴史、政治、文化、紛争の種が自然と生まれます。ストーリーを膨らませるのが格段に楽になります。
各巻の主人公を異なる国の出身にすれば、同じ世界を異なる角度から描くことができます。第1部の主人公の存在感が絶大であればあるほど、第2部で新たな視点——称賛するのか、敵対するのか——で物語を書く余地が広がります。
十二国記が12の国を最初に宣言したように、世界の枠組みを先に定めることで、物語は主人公から解放され、世界そのものが主人公になるのです。
Web小説で主人公を変えられるか?
ここで現実的な疑問が湧くかもしれません。Web小説で主人公を変えるのは難しいのでは?
率直に言えば、難しいです。Web小説で人気を博す一人称視点の作品は、読者が主人公と一体化して楽しむ構造になっています。主人公が好きだから読んでいる——そういう読者が多い以上、主人公を交代させれば離脱が起きます。
ただし、これはWeb小説が「本でしかできないこと」を追求しなくていいということでもあります。Web小説はエンターテイメントの中心をめがけていい。だからこそ漫画やアニメとの親和性が高く、メディアミックスしやすいのです。
「小説じゃなくてもいいじゃん、漫画みればいいじゃん」という批判にも怯む必要はありません。結局は同じところを目指しているわけですから。Web小説を書くときには、本だけで完結することを考えず、大きく夢を描くのが吉です。メディアミックスを見据えて「解釈の余地」と「想像の余地」を意識すると、さらに良いですね。
一方で、もしあなたが「Web小説のフォーマットに収まらない物語」を書きたいと感じているなら、それは本の領域に足を踏み入れるチャンスです。主人公が変わっても読者がついてくる物語。時代が移り変わり、価値観が衝突する長大な物語。それは本でしか実現できない表現であり、動画にもアニメにもWeb小説にも真似できない、本だけの特権です。
「読者の想像力に委ねる」という行為も「本の魅力」
また、本の魅力の本質は「読者の想像力に委ねる」という行為そのものにあると考えています。
映像には映像の強さがあります。声には声の温度があります。しかし、それらは全て送り手が完成品を届けるメディアです。受け手は完成品を受け取るだけでいい。
本は違います。文字だけの情報から、風景を、表情を、声のトーンを、読者自身が組み立てなければなりません。本は、読者が半分だけ作品を創る共犯関係のメディアです。
同じ小説を10人が読めば、10通りの風景が生まれます。主人公の顔は読者ごとに違い、舞台となる街の色彩も声のトーンも、全て読者の頭の中で再構築されています。映画を10人が観ても、映像は1つです。この差は、本というメディアが持つ決定的な特性です。
この「余白」こそが本の最大の武器であり、動画やアニメには真似できない領域です。情報を届ける機能では映像に負けるかもしれない。しかし、読者の頭の中に、読者だけの世界を生み出す力は、未だに文字に勝るメディアはありません。
あなたがもし小説を書いていて、映像やアニメのクオリティに圧倒されることがあるとしたら、思い出してみてください。映像が届けているのは「完成品」です。あなたの文章が届けているのは「設計図」です。読者はその設計図から、自分だけの世界を建てている。その共犯関係の美しさこそが、本の魅力ではないでしょうか。
まとめ——小説家が持っている、たった1つの特権
この記事は、本が好きな小説家の戯言だと思っていただいて構いません。ただ、小説家を目指している方の中には、「本でしかできないことって何だろう」と考えている人もいるかと思い、私なりの答えを書いてみました。
冒頭で「本の魅力はデリケートな話題に触れられることだった」と書きました。その魅力は動画に取って代わられつつあります。しかし、本が失ったのは「情報の独占」という地位であって、「物語を創る装置」としての本質ではありません。
動画が本の領域を侵食する時代において、本が持つ最後の砦は2つです。
1つは「世界を中心に物語を書くこと」—— 主人公が変わっても物語が続く、長大な時間を描ける唯一のメディアであること。十二国記のように国を定義し、世界地図を描き、100年を超える物語を紡げるのは本だけです。
もう1つは「読者の想像力に委ねること」—— 完成品ではなく設計図を渡し、読者との共犯関係で作品を完成させること。同じ文章から10人が10通りの映像を立ち上げる。この「余白の魔法」は、映像メディアには決して真似できません。
この2つは、映像では代替できません。AIが文章を書く時代になっても、読者の想像力に火をつける「余白の設計」は、小説家だけが持つ特権です。


