叙述トリックとは?|読者の先入観を利用して物語の格を上げる技法
小説家は嘘つきです。ただし、上手な嘘つき。物語を作るという行為自体が「いかに読者を楽しませながらだますか」という挑戦であり、その究極形のひとつが 叙述トリック です。
叙述トリックは、読者の先入観を逆手に取って「嘘はつかずに、でもしっかりだます」技法です。使いこなせれば、あなたの物語に強烈などんでん返しをもたらせます。この記事では、叙述トリックの仕組み・書き方の3つのコツ・実践上の注意点を解説します。
叙述トリックとは何か
叙述トリックとは 読者をだまして、登場人物はだまさない トリックです。
物語の中ではすべてが真実として描かれています。登場人物たちは事実を知っている。しかし読者だけがその事実を誤認している——この構造が叙述トリックの核心です。
先入観を利用する
次の一文を読んでみてください。
> 夜道を歩く女性を狙い、背後から犯行に及ぼうとしていた金谷は、俺に気づくと何事もなかったように踵を返して戻っていった。
この「金谷」は男性と女性、どちらだと思いましたか?
おそらく多くの方が「男性」と判断したのではないでしょうか。「女性を狙う」「犯行に及ぼうとする」——これらの語句が「犯罪者=男性」という先入観を刺激するからです。
もし、このまま物語を読み進めたあとに「金谷は女性だった」と明かされたらどうでしょう。「してやられた」と感じるはずです。
これが叙述トリックの威力です。文章上は嘘を一つも書いていません。「金谷は男性だ」とは一言も書いていない。しかし読者の先入観が自動的に「男性」と補完してしまう。この 自動補完を利用する のが叙述トリックの本質です。
叙述トリックの3つのコツ
コツ1:真実を忠実に描きつつ、だます
叙述トリックは「嘘をつかない」ことが大前提です。金谷が実際に女性なら、物語の中のすべてのシーンで「金谷(女性)」として一点の曇りもなく描かなければなりません。
登場人物たちは金谷が女性であることを知っています。彼女について語るときの代名詞や描写が不自然にならないよう、注意深く書く必要があります。無理に性別を隠そうとして不自然な文章になるくらいなら、自然に書いて読者の先入観に任せるほうが効果的です。
コツ2:言い訳は一切しない
叙述トリックの難所は、どんでん返しの後の処理です。
ここで絶対にやってはいけないのが、「あの時のあのシーンを覚えていますか?あれは実は……」と解説してしまうこと。読者は自分で過去のシーンを振り返り、ひとつずつ答え合わせをする楽しみを味わいたいのです。その楽しみを作者が奪ってはいけません。
どんでん返しを迎えたら、あっさりと終わる。読者が「もう一回最初から読みたい!」と思う状態で本を閉じさせるのが理想です。
コツ3:先入観のリストを作って設計する
叙述トリックを成功させるには、「読者がどんな先入観を持っているか」を事前にリストアップすることが有効です。
| カテゴリ | 先入観の例 |
|---|---|
| 性別 | 「暴力的な行動=男性」「看護師=女性」 |
| 年齢 | 「知恵のある語り手=年配者」「いたずら好き=子ども」 |
| 時系列 | 「物語は時系列順に進んでいる」 |
| 人称 | 「語り手と主人公は同一人物」 |
| 生死 | 「語り手は生きている」 |
| 立場 | 「探偵役が真実を語っている」 |
どの先入観を利用するかを最初に決めてから物語を設計すると、トリックの精度が格段に上がります。先入観が強ければ強いほど、裏切られたときの衝撃は大きくなります。
代表作に学ぶ叙述トリックの技術
イニシエーション・ラブ(乾くるみ)
叙述トリックの代表作として必ず名前が挙がる作品です。この作品の凄さは、最後の最後でどんでん返しが来る ため、物語の途中でトリックに気づく余地がほとんどないことです。そして「言い訳を一切しない」の完璧な実践です。最後の1行を読んだ瞬間に、読者は自発的にすべてのシーンを遡って答え合わせを始めます。
推しの子の叙述トリック的構造
『推しの子』は厳密な意味での叙述トリック作品ではありませんが、「読者が当然そうだと思い込んでいた前提が覆される」構造を何度も用いています。序盤で提示された「アクアの目的」が、物語の進行とともに読者の理解と乖離していく——この構造はまさに叙述トリックの応用です。読者の先入観が覆された瞬間の衝撃と、それまでの描写をすべて読み返したくなる感覚は、叙述トリックのそれと同じです。
叙述トリックを使うときの注意点
注意1:トリックのためだけの物語にしない
叙述トリックは「だますこと」が目的ではありません。だました結果、物語のテーマがより深く伝わることが目的です。トリックが明かされることで主人公の動機や世界の構造に新しい光が当たる——そういう設計ができて初めて叙述トリックは物語の格を上げます。
注意2:フェアであること
ミステリーの世界には「読者に対してフェアであれ」という原則があります。叙述トリックは嘘をつかないトリックですから、本来フェアです。しかし「性別がわからないように無理やり代名詞を隠した」とか「読者を混乱させるために意味のない情報を大量に入れた」りすると、トリックではなく単なる卑怯な隠蔽になってしまいます。
フェアな叙述トリックとは、真相が明かされたあとに読み返すと「ああ、確かにここに書いてあった」と読者が感じるものです。隠しているのではなく、読者が自分の先入観で見落としているだけ——この構造を維持してください。
注意3:二度読みに耐える精度を持たせる
叙述トリック作品は、読者がどんでん返しの後に必ず最初から読み返します。この二度目の読書に耐えられるかどうかが、作品の評価を決めます。二度目に読んで「あ、ここで嘘ついてるじゃないか」と感じさせたら失敗。「全部本当のことが書いてある。自分が勝手に誤解していただけだ」と感じさせれば成功です。
あなたの作品に叙述トリックを取り入れる実践ステップ
1. どんな先入観を利用するか決める — 先入観リストから1つ選ぶ
2. 真相を先に決める — 「実は○○だった」を確定させてから逆算で物語を構築する
3. 先入観を強化する描写を自然に入れる — 嘘は書かないが、先入観を刺激する描写は意図的に入れる
4. 全シーンを真相ベースで書き直す — すべての描写が「実は○○だった」と矛盾しないか確認
5. 二度読みテストを実施する — 真相を知った状態で最初から読み返し、不自然な箇所がないかチェック
ステップ2の「真相を先に決める」が最も重要です。叙述トリックは逆算で設計する技法であり、書きながら思いつくものではありません。
まとめ
叙述トリックは、読者の先入観を利用して「嘘をつかずにだます」技法です。コツは3つ。真実を忠実に描くこと、言い訳をしないこと、そして先入観を事前に設計すること。
使いこなすのは簡単ではありませんが、成功すれば物語の格が一段上がります。まずは短編で1つ、先入観リストから選んで試してみてください。「してやられた!」と読者に言わせる快感は、作家冥利に尽きますよ。
読者を別方向に誘導する「燻製ニシンの虚偽(レッドヘリング)」もあわせてどうぞ。
→ 燻製ニシンの虚偽とは?
ミステリーのトリック設計を体系的に学びたい方はこちら。
→ ミステリーのトリックと暗号の作り方




