明日くたばるかもしれない。だからこそ生き急がなければならない
明日くたばるかもしれない。だからこそ生き急がなければならない。
最近染みた言葉です。
私は不器用な人間で、マルチタスクが苦手でした。中学生や高校生の時に勉強をするか遊ぶかのどちらかしかできませんでした。放課後の3時間があったとして、多くの人は1時間勉強して2時間遊ぶことができるでしょう。しかし私は3時間勉強するか、3時間遊ぶかの二択しかなかった。
それどころか、授業を受けた後で部活をすることにも耐えられなくなり、やめました。最終的に私の中学・高校生活は、義務であった授業と遊びだけで終わりました。恋愛や習い事の入る隙間はなく、大学時代も似たような状態でした。
社会人になってからもこの傾向は変わりませんでした。仕事に集中すると創作ができない。創作に没入すると仕事が疎かになる。人生はマルチタスクを要求されるのに、自分はシングルタスクでしか機能しない。このジレンマが、長年の悩みでした。
人生が要求するマルチタスクの残酷さ
現代人の人生は、マルチタスクの連続です。仕事、家事、育児、人間関係、健康管理、資産形成、趣味、そして創作。これらを「バランスよくこなす」ことが、社会的に正しい大人の在り方とされています。
しかし、創作で大成した人物を見ると、多くの場合「バランスを崩した人」ばかりです。村上春樹は小説を書くために生活のほぼすべてをルーティン化しました。スティーブン・キングは薬物依存になるほど書き続けました。尾田栄一郎は週刊連載のために睡眠時間を極限まで削りました。
つまり、「バランスの良い人生」と「創作での大成」は、構造的に矛盾する可能性がある。シングルタスクで一つのことに没入できる人間が、創作の世界では成果を出しやすい。しかし人生はマルチタスクを要求する。この矛盾に、多くの兼業作家は苦しんでいるのではないでしょうか。
シングルタスク型の人間は「欠陥品」なのか
シングルタスクしかできない自分を「欠陥品」だと感じることがありました。器用に人生のすべてをこなす同級生たちを見て、なぜ自分はこうなのかと。
しかし最近、考え方が変わりました。シングルタスク型の人間は、欠陥品ではなく「専用機」なのです。
汎用性のある多目的工具と、一つの機能に特化した専用工具。どちらが優れているかではなく、用途が違うだけです。マルチタスクが得意な人は「スイスアーミーナイフ」のような汎用性を持ち、シングルタスク型の人間は「日本刀」のような一点突破の切れ味を持つ。
創作という行為は、まさに「一点突破」が求められる領域です。物語の世界に深く没入し、キャラクターの息遣いまで感じ取れるほどの集中力は、シングルタスク型の人間に有利に働きます。
兼業小説家の現実——時間は有限、集中力はもっと有限
とはいえ、現実の生活では「日本刀」では生きていけません。仕事があり、家族がいり、生活がある。兼業小説家にとって、シングルタスクの没入時間を確保することは最大の課題です。
私が実践しているのは「時間のスロット化」です。1日の中に30分から1時間の「執筆専用スロット」を確保し、その時間だけは執筆以外のすべてを遮断する。スマートフォンは機内モードに。メールは見ない。家族には「この時間だけは声をかけないでほしい」と伝える。
この「小さなシングルタスクの島」を毎日作ることで、マルチタスクの海の中でも創作を継続できます。重要なのは「長時間書く」ことではなく、「短時間でも確実に没入する」ことです。
フロー状態(没入状態)に入るまでには通常15分から20分かかると言われています。つまり30分のスロットなら、実質的に書けるのは10分から15分。しかし、この10分間の没入が、ダラダラと3時間机に向かうよりも生産的だったりします。
没入状態を作る具体的な技術
兼業小説家が限られた時間で没入するための、実践的なテクニックを整理します。
前日のうちに「明日書く一文目」を決めておく。 ゼロから始めるのが最も時間を食います。前日の終わりに、次の日に書く最初の一文を決めておく(できればメモしておく)ことで、スロットが始まった瞬間に書き始められます。
儀式を作る。 特定の音楽をかける、特定の飲み物を用意する、特定のソフトを開くなど、「これから書く」というトリガーを脳に学習させます。条件反射を利用した集中の誘導です。
進捗を数字で管理する。 「今日は800字書いた」「この1週間で5000字進んだ」という数字の蓄積が、モチベーションを維持します。スプレッドシートでもメモ帳でも、書いた文字数を記録する習慣は手軽で効果が大きい。私自身、每日の執筆文字数を記録するようになってから、「今日も書いた」という小さな達成感が継続の原動力になっています。
完璧主義を意識的に捨てる。 限られた時間で「完璧な一文」を書こうとすると何も進みません。「とりあえず書く。推敲は後でやる」というルールを自分に課すことで、没入のスピードが上がります。初稿は粗削りでいい。磨くのは後からでもできますが、書かなかったら磨くものすらありません。
「不完全でいい」という覚悟——バランスを捨てる勇気
多くの自己啓発書は「ワークライフバランスを整えましょう」と説きます。しかし兼業小説家にとって、完璧なバランスは幻想です。仕事を頑張れば執筆時間が減り、執筆に没頭すれば睡眠が削られ、健康を優先すれば仕事も創作も中途半端になる。
どこかで「不完全でいい」という覚悟を決める必要があります。すべてを80点にするのではなく、創作だけ100点を目指し、他は60点で妥協する。この意識的な「偏り」が、長期的には大きな差になると感じています。
完璧なバランスを追求する人は、どの分野でも平均的な成果に留まりがちです。一方、意識的に偏った人は、偏った分野で突き抜ける可能性がある。もちろん、生活が破綻するほどの偏りは問題ですが、「少し不健康でも、今夜はこの章を書き切りたい」という瞬間は、創作者なら誰しもあるはずです。その衝動を否定しないことが、シングルタスク型の人間の生き方なのではないかと思います。
なぜシングルタスク型の人間は自分を責めるのか
シングルタスク型の人間が自分を責める最大の理由は、「社会の評価基準がマルチタスクを前提としている」からです。学校では「文武両道」が称賛され、就職活動では「幅広い経験」がアピールポイントになり、社会人になれば「マルチタスクが得意です」が自己紹介の定番フレーズになる。
しかし創作史を振り返ると、圧倒的な作品を残した人間の多くは「何かを犠牲にした人」です。宮沢賢治は人間関係を犠牲にし、カフカは昼間の保険会社勤務に精神を削られながら夜に書き、太宰治は社会生活そのものを犠牲にしました。彼らは「バランスの良い人生」を送れなかった人たちですが、その不均衡こそが、文学史に残る作品を生み出す原動力になった。
自分がシングルタスク型であることを呪うのではなく、「この特性があるからこそ深い作品が書ける」と認識を反転させること。それは単なるポジティブシンキングではなく、創作史が証明している事実です。
マルチタスクの世界でシングルタスクの価値を信じる
2026年の現在、AIの台頭によって「効率よくマルチタスクをこなす能力」はますます重視されています。しかし創作の領域において、一つの作品世界に深く没入し、そこでしか生まれない表現を紡ぎ出す能力は、AIには代替しにくい人間固有の強みです。
マルチタスクが苦手な自分を責めるのではなく、シングルタスクで深く潜れる自分の特性を武器として認識する。人生のすべてをバランスよくこなすことを諦め、「不器用でも一つのことに没頭できる時間」を守り抜く。
それが兼業小説家の、そしてシングルタスク型の人間の、生存戦略ではないかと思います。
まとめ
人生はマルチタスクを要求するのに、創作はシングルタスクの没入を求める。この矛盾は、兼業小説家にとって永遠の課題です。
しかし、シングルタスク型の人間は「欠陥品」ではなく「専用機」です。時間をスロット化し、短時間でも確実に没入する技術を磨けば、マルチタスクの海の中でも創作を続けることは可能です。不器用でも、やめなければいい。明日くたばるかもしれないからこそ、今日書く。この感覚を大事にしたいと思います。
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