20代で「書く習慣」を身につけた人間が、腰を壊した後も生き残れる話
こんにちは。腰ボロSEです。
私はバリバリの理系です。学生時代の国語の成績は2か3。読書感想文は何を書けばいいかわからず、原稿用紙の前で固まっていた記憶しかありません。
そんな人間が今、ブログで創作論を書き、小説を書き、毎日なにかしらの文章を生み出しています。不思議な話です。
なぜここまで来られたのか。振り返ると、20代のうちに「書く習慣」を身につけたからでした。
書き始めたきっかけは、書く以外に手段がなかったから
最初に言っておくと、私に文章の才能はありません。今でも大した文章を書いているとは思っていません。
むしろ、才能がなかったからこそ「書く練習」をせざるを得なかった。
20代の頃、ITエンジニアとして働きながら、趣味で小説を書き始めました。投稿サイトに投稿しても、最初は本当にひどかった。
1話書くのに何時間もかかる。書いても誰にも読まれない。読まれてもブックマークがつかない。
心が折れそうになりながら、それでも書き続けました。
なぜか。自分の頭の中にある物語を外に出す方法が、書く以外になかったからです。絵は描けない。映像も作れない。音楽もできない。文章だけが、自分に残された表現手段でした。
だから、必死に書きました。
書けないは訓練で克服できる
2年くらい書き続けて、あるとき気づきました。「あれ、前より楽に書けるようになっている」。
1話に何時間もかかっていたのが、1〜2時間で書けるようになっていた。「次の展開どうしよう」と悩んでいたのが、構成が頭の中で自然に組み立てられるようになっていた。
国語の成績が2だった自分でも、書けるようになった。
これは才能ではなく、単純に量の問題でした。
文章は筋トレと同じです。最初は腕立て10回でキツいけれど、毎日やっていれば100回できるようになる。書くことも同じで、最初は1,000文字書くのに3時間かかっても、続けていれば30分で書けるようになる。
「書けない」は、生まれつきの能力の問題ではありません。単に書いた量が足りていないだけ。これに気づいたのは大きかったです。
30代で腰が壊れて、書く力に救われた
20代で書く習慣を身につけたことで、30代以降の人生が変わりました。
ただし、予想とはまったく違う形で。
30代で腰を壊しました。長時間のデスクワークが祟って、椎間板がやられた。立ち仕事も力仕事もできない。ITエンジニアとしてのキャリアにも制限がかかる。
しかし、キーボードは打てました。
腰が壊れても、指は動く。頭の中の物語は消えていない。書く習慣が身についていたおかげで、身体が制限されても「できること」が残っていたのです。
これは偶然ではありません。20代で鍛えた書く力が、30代の危機を支えてくれた。もし書く習慣がなかったら、腰を壊した時点で「自分にできること」がもっと少なかったはずです。
書く力がもたらした4つの変化
腰を壊した後も書き続けたことで、具体的に4つの変化がありました。
思考が整理されるようになった。 書くことは、考えることです。頭の中でモヤモヤしていることを文章にすると、自分が何を考えているのかがクリアになる。創作だけでなく、本業の判断も速くなりました。
自分の経験に価値が生まれた。 ITエンジニアとして15年働いた経験、腰を壊した経験、それでも書き続けた経験。どれも文章にしなければただの個人的な出来事です。しかし書いて公開すれば、同じ悩みを持つ誰かの助けになる。書く力は、経験を資産に変える力です。
蓄積が複利で効いてきた。 書いた文章は消えません。3年前に書いた記事が、今でも読まれている。書けば書くほど蓄積が増え、蓄積が増えるほど新しい読者が見つけてくれる。これは書ける人だけが得られる構造です。
身体が動かなくても創れるものがある、と知った。 これが一番大きい。腰が壊れてできなくなったことは山ほどあります。しかし書くことだけは、椅子に座れる限り続けられる。この事実が、どれだけ支えになったかわかりません。
なぜ20代なのか
30代でも40代でも、書く力は身につけられます。しかし20代のうちにやっておいた方がいい理由があります。
時間の複利が効くからです。
20代で書けるようになれば、30代、40代、50代と、ずっとその力を使い続けられる。私は20代後半から書き始めて、30代で腰を壊したときに救われた。もし20代前半から始めていたら、腰を壊す前にもっと蓄積があったはずです。
逆に、30代後半から始めていたら、腰を壊したときに「書く」という選択肢が残っていなかったかもしれない。
もしあなたが20代ではなくても、今日が複利を効かせる一番若いタイミングです。それは変わりません。
理系でも、国語が苦手でも関係ない
国語の成績2。読書感想文が書けなかった。卒業論文以外の文章を書いたことがなかった。
そんな人間でも、書く力は身につきます。
大事なのは才能ではなく、書いた量。そして、書き続ける理由があるかどうか。
私の場合は「頭の中の物語を外に出したい」という理由がありました。腰を壊した後は「これしかできない」という理由が加わった。目的があれば、人は続けられます。
AI時代だからこそ、書ける人間が残る
これからの時代、AIが文章を書けるようになったから人間が書く必要はなくなるのか。
逆です。
AIは情報をまとめられます。しかし、腰を壊した痛み、それでも書き続ける執念、15年のエンジニア経験から滲み出る比喩——こういった文章は、その人間にしか書けません。
AI時代に「この人の文章が読みたい」と思われる書き手は、むしろ希少になります。希少になるということは、価値が上がるということです。
私はAIを相棒として毎日使っています。しかしAIに書かせた文章と、自分で書いた文章では、読んだ人の反応がまったく違う。人間が書く文章には、書き手の体温がある。その体温は、書いた量でしか育ちません。
20代の自分に言いたいこと
もし20代の自分に何か言えるなら、こう言います。
「今すぐ書け。何でもいいから書け」
上手く書こうとしなくていい。読まれなくてもいい。最初から結果を求めなくていい。ただ書く量を積み上げろ。
その積み上げが、腰を壊した後の自分を救う。身体が動かなくなっても、指が動く限り戦える。書く力は、人生で最後まで残る武器になる。
そのことを、腰を壊してから知りました。できれば壊す前に知りたかった。だからこそ、今これを読んでいるあなたに伝えておきます。
さて、今日も物語を書きましょう。腰は壊しても、筆は折らない。
腰ボロ作家




