体験を経験に変える方法|フロイトの三層構造から考える作家の武器
「作家は経験したことしか書けない」──前回の記事でそう書いたところ、さまざまなご意見をいただきました。
賛成の声もあれば、「いや、経験していないことも書けるでしょう」という反論もありました。ありがたいことです。書いた者として一番嬉しいのは、読んでくれた人がそれぞれの考えをぶつけてきてくれることですから。
ただ、やり取りを見ていて気づいたことがあります。意見が異なる以前に、「体験」と「経験」の定義がそれぞれ違っていて、議論が噛み合っていないケースが多いのです。就職活動のグループディスカッションでもよくある光景ですが、何気なく使っている言葉の定義が人によってズレていると、いくら話し合っても平行線をたどります。
だから今回は、私が考える「体験」と「経験」の違いを改めて書きます。ここを揃えた上で、「作家は経験したことしか書けない」が何を意味しているのか、もう少し精確にお伝えしたいと思います。
体験と経験の定義
まず、私がこの議論で使っている定義を共有します。
• 経験とは:体験を通して自分で気づき、知識・知恵として得たもの
• 体験とは:その場限りで、後に残すことを考えないもの
つまり、体験したことを意識的に振り返り、自分の知識として残すと、それが経験に変わります。ここが出発点です。
日本大百科全書はこう言っている
「いやいや、体験と経験って同じ意味でしょう?」と感じる方もいると思います。普通の辞書には「体験=経験すること」「経験=体験すること」と書いてあったりしますから、無理もありません。
そこで、もう少し掘り下げた辞書を引きます。日本大百科全書(ニッポニカ)の解説です。
体験の定義(冒頭部分):
「個々人に直接的に与えられる、知的な諸操作が加えられる以前の非反省的な意識内容をさす」
経験の定義(冒頭部分):
「生物体、とくに人間が感覚や内省を通じて得るもの、およびその獲得の過程をいう」
……なんだこれは。難しすぎますね。
でも、体験の方の説明にこんな一文があります。「経験が外界の知的認識という客観的な意味をもつのに対し、体験はより主観的、個人的な色彩が濃い」。
ここが重要なポイントです。経験とは「客観的に捉えられるもの」なのです。
客観的に物事を見ようと思ったら、ただ行為を行っているだけではダメで、YouTuberさながらにその時の気持ちを実況したり、あとから振り返って「ああいうことがあった」と物事を整理しなければいけません。
つまり──意識しないと経験は積めないんですね。
ここまで読んで頭が痛くなってきた方は、一度休んでいただいて、窓の外の景色でも眺めて一息入れてから続きを読んでいただけると嬉しいです。
なぜなら、ここからさらに難しい人と言葉が出てくるからです。
フロイトの三層構造
精神分析学の創始者ジークムント・フロイト。彼は人間の心とは何かを考え、「意識・前意識・無意識」の三層構造を定義しました。
意識(顕在意識)
今まさに自覚していること。自分が何を見ているか、何を考えているか、何を感じているかを把握している状態です。
パソコンの前に座って「今から小説を書こう」と思っている──その思考は意識にあります。
前意識
普段は意識に上がってこないけれど、努力すれば意識化できる記憶が貯蔵されている領域です。意識から無意識に脱落する「狭間の場所」とも言えます。
10年前の仕事の内容、1年前に誰と話したか、中学校の担任の先生の名前。能動的に思い出そうとすれば出てくるけれど、普段は忘れている。これが前意識です。
無意識(潜在意識)
意識から最も遠い層。一人称的主観として体験されない事態のことです。
いつも行っている定食屋で、特に何も考えず食事をする。1週間後、何を食べたか全く思い出せません。特に何も考えず排泄をしていると、昨日何回トイレに行ったか全く思い出せません。子供の頃に両親や他の人がかけてくれた言葉も、全く思い出せません。
意識することなく行動していることや、意識ができあがる前に見たり聞いたり行ったりしたこと。これらが無意識の領域に沈んでいきます。
作家が使えるのは「意識」と「前意識」だけ
この三層構造を見ると、見たり聞いたり行ったりしたこと──つまり体験と経験の結果には、「意識に残るもの」「前意識に残るもの」「無意識に残るもの」の3種類があると分かります。
そして、人が自由に使いこなせるのは、意識に残るものと、せいぜい前意識に残るものだけです。
つまり「作家は経験したことしか書けない」を精確に翻訳すると──
「作家は、意識および前意識に残っている体験の蓄積からしか書けない」
──ということになります。
では、何が体験を「意識・前意識」に留めるか。答えは「意識的に注目したかどうか」です。
同じ通勤電車に乗る体験でも:
• ぼんやりスマホを見ていただけ → 無意識に沈む → 二度と引き出せない
• 「向かいの席の女性が本を読みながら泣いていた」と意識的に観察した → 前意識に残る → 後日、キャラの描写に使える
同じ「電車に乗った」という体験なのに、意識の向け方ひとつで、経験になるかゴミ箱行きかが分かれるんです。
体験・経験には疑似体験も含む
ここでもうひとつ、大事な補足があります。
私が言う「体験・経験」には、現実世界で見たり聞いたり行ったりしたことだけでなく、疑似体験も含んでいます。疑似体験とは、現実に起きたわけではないものの、本物に近い感覚を体験すること。物語の登場人物に自分を重ねることで起こるものです。
作家を目指す方であれば、多くの人はこの疑似体験ができるタイプだと思います。小説を読んで主人公と一緒に泣いたり怒ったりできる人は、その時点で体験・経験の蓄積ができている。
もちろん、疑似体験が苦手でも問題ありません。実体験から意識的に「意識・前意識」の蓄積を作り上げることができれば、物語は書けます。
私の考える「作家は経験したことしか書けない」
ここまでの情報をまとめます。
私が提唱しているのは、「経験=意識・前意識に残った体験(疑似体験含む)の蓄積」であり、作家はその蓄積からしか書けない、という考え方です。
前回の記事で意見が合わなかった方は、おそらく「経験=現実に自分の身体で行ったことだけ」というイメージで読んでいたのではないかと感じます。その定義なら「異世界なんて経験していないのに異世界ものが書けるじゃないか」という反論は当然成り立ちます。
どちらが正しいとは言い切れません。ただ、私は前者──疑似体験も含めた意識的蓄積としての経験──の立場で「作家は経験したことしか書けない」と考えました。以下の図で言うところの①が私の考え方です。
意識して経験を積む
長い定義の話にお付き合いいただきありがとうございました。
ここまでの話を総括すると、「意識しないと経験にならない」そして「作家は経験したことしか書けない」──この2つが重なります。
作家がするべきことは1つです。
そう、意識して経験を積むこと。
体験と経験の違いが最もよく分かるのは、模写だと思います。模写はイラストの練習方法のひとつで、プロの作品を書き写す作業ですね。
これを何も考えず、漫然とやってみてください。本当に時間の無駄ですから。
私も昔、小説の挿絵を描けるようになりたくて絵の練習をしていました。トレース台に漫画の1ページを置いて、それを模写するのです。ですが一切うまくなりませんでした。なぜなら「うまくなぞる」以外に、何も考えていなかったからです。
本当にやるべきだった模写は──「この構図は、A4の紙を縦に3等分した一番右の線に顔の中心が来ている」「目と目の間隔は、間にもう一つ目が置けるくらい」──こういう、イラストの骨格となる設計部分を意識しながらの模写です。そうでなければ、「なぞる」という経験以外に何も自分の中に蓄積されません。
作家が経験すべき内容も同じです。漫然と物語を読むのではなく、この物語がなぜ面白いのか、どうすればこの物語を発想できるのかという骨格の設計を理解しながら読む。
作家同士のコミュニティに所属して、答え合わせができたりするとさらにいいですね。
2つの車輪を回す
まとめましょう。作家が経験を積む方法は、2つの車輪を同時に回すことです。
車輪1:現実の体験を意識的に行う
日常の出来事を、ただ流すのではなく、「なぜ自分はあのとき怒ったのか」「あの場面で感じた違和感は何だったのか」と振り返る。通勤電車の中でも、職場でも、食卓でも、意識を向けた瞬間に、体験は経験に変わり始めます。
車輪2:物語の疑似体験を意識的に行う
小説、漫画、映画、アニメを「面白かった」で終わらせない。「なぜ面白かったのか」「この感情はどの技法によって生み出されたのか」を分析する。分析した瞬間に、その作品はあなたの経験値ライブラリに登録されます。
この2つの車輪が噛み合ったとき、あなたの作品に宿るリアリティの質が変わります。感情の質感は現実から。構成の技術は物語から。両方が揃って初めて、読者の心を動かす小説が書けるようになるはずです。
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