【映像×創作】「心が叫びたがってるんだ」—制約と解放の物語構造から学ぶ、キャラクターの縛り方と解き放ち方

2019年11月6日

幼い頃、何気なく発した言葉によって、家族がバラバラになってしまった少女・成瀬順。

そして突然現れた“玉子の妖精”に、二度と人を傷つけないようお喋りを封印され、言葉を発するとお腹が痛くなるという呪いをかけられる。それ以来トラウマを抱え、心も閉ざし、唯一のコミュニケーション手段は、携帯メールのみとなってしまった。
 高校2年生になった順はある日、担任から「地域ふれあい交流会」の実行委員に任命される。一緒に任命されたのは、全く接点のない3人のクラスメイト。本音を言わない、やる気のない少年・坂上拓実、甲子園を期待されながらヒジの故障で挫折した元エース・田崎大樹、恋に悩むチアリーダー部の優等生・仁藤菜月。彼らもそれぞれ心に傷を持っていた。

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今回取り上げるのは、2015年に公開されたアニメーション映画『心が叫びたがってるんだ。』です。通称「ここさけ」。監督・長井龍雪、脚本・岡田麿里、キャラクターデザイン・田中将賀という「秩父三部作」の制作チームが、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』に続いて贈り出した青春群像劇です。Filmarksの評価は3.5前後と、必ずしも万人に刺さる作品ではありません。しかしその構造を丁寧に解析すると、物語を書く人間にとって宝の山のような作品であることがわかります。

ネタバレを含みますので、まだ観ていない方はぜひ鑑賞してから読んでみてください。

問いを変えるところから始める

この映画について「面白かった」「泣けた」で止まっている感想は多いです。一方で「ミュージカルが苦手だった」「ご都合主義に感じた」という声も一定数あります。

ここで私が立てたい問いは、こうです。

「なぜこの映画は一部の視聴者に刺さり、一部には刺さらないのか。そして、その物語構造からどんな創作技術が学べるか。」

漠然と「良い映画か悪い映画か」を語るのではなく、「どういう仕組みで動いている物語か」を解析する。その視点に切り替えると、観方がまったく変わります。

制約と解放の物語構造

まず、この映画の根幹にあるのは「制約と解放」の物語構造です。

主人公・成瀬順は、幼少期に自分の言葉が両親の離婚を招いてしまったと思い込み、「玉子の妖精」によって声を封印されます。言葉を発しようとすると腹痛が起きるという、身体的な制約として物語が始まります。

制約として「声が出ない」を選んだのは、脚本として非常に巧みです。声が出ないということは——コミュニケーションのほぼ全てを奪われるということです。日常の挨拶も、感謝の言葉も、怒りも、愛情も。それでいて観客には「この子は言いたいことがある」というのが伝わる。制約の苦しさが一瞬で想像できる上に、「どうやって解放されるのか」という問いを自動的に読者の頭に生み出します。

身近な制約が思いつければ、それだけで物語が一本書けます。あなた自身の人生にあった「言えなかったこと」「できなかったこと」を思い浮かべてみてください。それがそのまま主人公の制約として機能します。

全員に制約がある群像劇

この映画が単なる「主人公の成長物語」ではない理由があります。登場する4人全員が、それぞれの制約を抱えているからです。

• 成瀬順:幼少期の言葉の失敗による「声の封印」

• 坂上拓実:仁藤菜月への気持ちを言葉にできなかった後悔による「本音の封印」

• 仁藤菜月:拓実を助けられなかったという罪悪感による「理想の自分への固執」

• 田崎大樹:期待に応えられなかった挫折による「情熱の封印」

4人全員が、それぞれ「過去の罪」あるいは「後悔」を起点とした制約を持っています。そして全員が、ミュージカルという共同作業を通じて、少しずつ解放されていきます。

これは群像劇を書くときの教科書といっていい設計です。「登場人物を増やすだけで群像劇になる」と勘違いしがちですが、本当の群像劇は「全員がそれぞれの問いを抱えており、互いの存在によって問いが変化していく」ものです。ガンダムの鉄血のオルフェンズでも、オルガ・ミカ・ユージンそれぞれに「叶えたいもの」と「叶えられない理由」があり、それが絡み合って物語を動かしていましたよね。同じ構造です。

制約を設計するときの3つの問い

創作において「制約のあるキャラクター」を作るとき、以下の3つを先に決めておくと物語が組み立てやすくなります。

まず「その制約は何によって生まれたか」です。成瀬の場合、言葉が家族を壊したという経験がそれにあたります。制約の起源に「罪」や「後悔」があると、読者が共感しやすくなります。「自分にも似た苦い記憶がある」と感じさせる普遍性が生まれるからです。

次に「その制約は具体的に何を奪うか」です。声を奪う、体力を奪う、記憶を奪う、人との関係を奪う——何が奪われるかで、物語の色が決まります。成瀬の「声の封印」は、青春という時期の全てと重なります。高校生にとって、言葉を持てないことがどれほど孤独か。それが制約の選択によって自動的に伝わります。

最後に「その制約は何によって解放されるか」です。ここが一番重要です。解放の鍵が物語の冒頭から無意識に埋め込まれているとき、読み返した瞬間に「あ、最初からここにあった」という感動が生まれます。成瀬の場合、「歌えば声が出る」という発見が解放の鍵になります。

「歌えば声が出る」という設計の天才性

この映画で最も創作的に唸らされたのが、「歌であれば腹痛が起きない」というルールです。

言葉を発しようとすると腹痛が起きる。しかし歌なら腹痛が起きない。なぜか。考えてみると、これは非常に深い設計になっています。

歌というのは、日常の言葉とは異なる「距離感」で感情を届ける手段です。直接「好き」と言えなくても、歌の中ならそれを表現できる。感情をそのまま叫ぶのではなく、メロディという「型」に乗せてはじめて解放できる。言い換えれば、「現実から少し切り離された表現空間」があれば、順にも言葉が届けられるのです。

これは私たちが物語に向かう理由とも重なります。日常では言えないことを、フィクションの中なら書ける。創作者とはそういう存在ではないでしょうか。この映画はその構造を、主人公の身体的な設定として物語の中に正直に組み込んでいます。

ちなみに、この「歌なら話せる」という設定は医学的にも実例があります。吃音症の方が歌のときには症状が出にくいという現象です。脚本の岡田麿里は、おそらく自身の引きこもり経験と対話しながらこの設定を生み出したのではないかと感じます。(これは筆者の解釈です。)

ミュージカルという題材について

この映画に賛否両論がある理由のひとつが、ミュージカルという題材です。

観客の一部は、突然歌い出すシーンに「恥ずかしい」「非現実的」という抵抗感を覚えます。これは視聴者の問題ではなく、ミュージカルというジャンル自体の「親しみの薄さ」から来ている部分が大きいと感じます。

大学院でのアンケート調査(筆者の知人談)によると、ミュージカルやオペラを日常的に楽しんでいる層は高所得家庭に偏る傾向がありました。つまりミュージカルは、多くの一般視聴者にとって「経験値の少い表現形式」です。経験が少ないものは、どうしても最初は違和感を呼びます。

しかし重要なのは、この映画がその違和感を「問題」ではなく「テーマの一部」にしていることです。成瀬も、拓実も、最初はミュージカルに抵抗を感じています。その抵抗を乗り越える過程自体が、登場人物の成長と重なる仕掛けになっています。

物語の題材を選ぶとき、「読者・視聴者が最初に抵抗を感じる可能性」は確かに考慮すべきでしょう。Web小説のような環境では、読者を序盤で離脱させると取り戻すことはほぼ不可能です。その意味で題材選びは重要です。ただし同時に、「馴染みのない題材を馴染みにさせる物語」は、成功したときの感動も格別に大きい。最初の関門さえ乗り越えてもらえれば、むしろ忘れがたい作品になります。120分間視聴者を引き止めることができる映画と、序盤で閉じられてしまうWeb小説とでは、使える戦略が違うことは頭に入れておくとよいでしょう。

クラスメイトの設計——青春ドラマを支える脇役の条件

この映画でもうひとつ光っているのが、クラスメイトたちの描き方です。

ラストで成瀬は途中退場するというハプニングを起こします。クラスメイトたちに迷惑をかけます。しかし彼らは責めません。「成瀬は頑張っていた」と言って、戻ってくることを信じながら劇を進めます。

この「さっぱりとした前向きさ」が、映画全体の温度を支えています。誰かを恨まず、不満をぶつけず、「自分も楽しもう」と動く人たち。こういうキャラクターを脇役として配置できるかどうかで、青春ドラマの読後感は大きく変わります。

主人公に感情移入した読者は、登場人物全員が主人公を責め立てる展開に強いストレスを感じます。一方でクラスメイトが「大丈夫、信じてる」と動く展開は、読者の緊張を程よく和らげながらドラマに向かわせる効果があります。この按配を岡田麿里の脚本は見事に調整していると感じます。

あなたの物語に使える制約設計のアイデア

ここまで解析してきた「制約と解放」の構造を、あなたの物語にどう活かせるでしょうか。いくつかアイデアを提示してみます。

まず「身体的な制約」は最も読者に伝わりやすいです。目が見えない、声が出ない、走れない——身体機能への制約は説明がいらず、苦しさが即座に伝わります。ただし「障がい者キャラの扱い」は繊細さが必要で、設定だけが先行しがちになる危険もあります。起源となる「罪や傷」をしっかり設計することが前提です。

次に「関係性の制約」も使いやすいです。「ある人に本音を言えない」「ある場所に足を踏み込めない」——これらは身体的制約ほど目に見えませんが、読者自身の日常と重なりやすく、静かに深く刺さります。

そして「ルールの制約」です。「○○したら死ぬ」「○○したら力を失う」——ファンタジー設定ではよく用いられますが、ここさけの「歌なら話せる」はその現代版ともいえます。ルールに必然性とロジックがあると、物語の信頼感が格段に上がります。

どの制約を選ぶにせよ、重要なのは「その制約が解放されるとき、主人公は何かを手放す」という構造です。声を取り戻した成瀬は、ある種の「安全な沈黙」を手放しました。手放すものがあってはじめて、解放に感動が生まれます。

どうでしょう、あなたの書いているキャラクターに、まだ設計されていない「制約」がありませんか?ぜひ一度、キャラクターの過去にある「言えなかったこと」「できなかったこと」を掘り起こしてみてください。そこに物語の種があるかもしれません。

心が叫びたがってるんだ

ここまで読んで頂きありがとうございました。
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