【映画×創作】すずめの戸締まり——あのとき止まった時間に「ただいま」と返事する映画

2022年11月23日

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 この記事でご紹介するのは、新海誠監督の『すずめの戸締まり』です。「君の名は。」「天気の子」に続く、いわゆる厄災三部作の最終編。この作品について語るとき、少し背筋を伸ばしてしまいます。なぜなら、本作が扱っているテーマの重みが、他の2作とは明確に違うからです。

 今回はこの映画を創作者の視点から分析しつつ、自分自身の鑑賞体験も正直に語ってみたいと思います。

厄災三部作の構造——3作品はそれぞれ何を描いたのか

 まず、新海誠監督の厄災三部作を並べて比較してみます。プロットの組み立て方を考えるうえで、同じ作家が同じモチーフをどう変奏しているかを見るのはとても勉強になります。

 「君の名は。」は、災害そのものを「回避する」物語でした。時間を巻き戻し、あるべき未来を取り戻す。ここでの災害は物語的な障害であり、主人公たちはそれを乗り越えます。構造としては最もエンターテインメント寄りですね。

 「天気の子」は、災害を「受け入れる」物語でした。世界がおかしくなっても、それでも二人で生きていく。「世界なんて、もうとっくに狂っている」という帆高の言葉は、現状を受け入れた大丈夫と宣言する若者の物語になっていました。個人的にはこの映画がとても好きです。この狂った世界でだって僕らは大丈夫だと、いまを生きている人たちを勇気づける映画だったと感じるからです。

 そして「すずめの戸締まり」は、災害を「悼む」物語です。回避するのでも受け入れるのでもなく、過去に起きてしまったことと向き合い、亡くなった方々へ祈りを捧げる。この構造の違いが、三部作の中でも本作を際立たせています。

 整理してみましょう。
・「君の名は。」:災害を回避する(未来志向)
・「天気の子」:災害後の世界を肯定する(現在志向)
・「すずめの戸締まり」:災害で失われたものを悼む(過去志向)

 同じ作家が「災害」という素材を3回使いながら、毎回異なる問いを立てている。この設計力は、連作を書こうとしている創作者にとって非常に参考になるのではないでしょうか。

 さらに踏み込むと、三部作の時間軸の違いは「観客との距離感の変化」にも対応しています。「君の名は。」では観客はカタルシスを得る(距離が近い)。「天気の子」では観客は背中を押される(距離が適度)。「すずめの戸締まり」では観客は祈らされる(距離が遠い、しかし深い)。エンタメとしての即効性は薄れていきますが、代わりに作品が抱える射程距離が長くなっている。新海監督が三部作を通じて描いたのは、「災害とどう向き合うか」の三段階だったのかもしれません。

「行ってきます」と「ただいま」——本作最大のテーマ

 この映画のテーマを一言で表現するなら、こうなります。2011年3月のあの朝に「行ってきます」と言ったまま戻らなかった方々に、「ただいま、いま幸せです」と返事をすること。東日本大震災から10年半が経ち、あの出来事と紳士に向き合い、鎮魂の意味を込めて作られた作品だと感じました。

 私自身は2011年3月11日大阪にいまして、震度3程度の揺れを感じたに過ぎません。ですので本当の意味の当事者ではないのですが、すずめの戸締まりを見て、あのときテレビの中で見た津波の映像の背景に、いくつもの「行ってきます」があったのだと思うと、涙が溢れてきました。

 物語の終盤、鈴芽が幼い頃の自分自身に語りかけるシーンがあります。あのシーンが描いているのは、「あなたの未来はちゃんと幸せになれるから」という、亡くなった方々と、あのとき傷ついたすべての方々への手紙です。ヴァイオレット・エヴァーガーデンが代筆する手紙のように、新海誠監督がこの映画を通じて代筆した手紙だったのかもしれません。

 ここで問いを立ててみましょう。なぜ2022年のタイミングだったのか。震災から約11年後です。新海監督自身が特典冊子で触れていたように、キャストの中にはすでに震災の記憶がほぼない世代がいるとのことでした。観客の中でもこの映画を見て震災を連想しない人が3分の1から半分くらいはいるのではないかと。だからこそ今このタイミングで作らなければならないと。

 これは「記憶の受け渡し」の物語でもあります。体験した世代がいなくなる前に、フィクションの力で記憶を残す。戦争文学が果たしてきた役割と同じことを、アニメーション映画でやろうとしたのだと感じます。興味深いのは、記憶の受け渡しを「説教」ではなく「ロードムービー」の形式で行っている点です。九州から東北へと旅する鈴芽の道中で、観客は日本各地の「閉じた場所」を見ることになります。かつて人がいて、今はいない場所。その積み重ねが、震災という特定の出来事ではなく「喪失」という普遍的な感情に接続していく。この構成は巧みですね。

ダイジンとサダイジンの正体——2つの仮説

 物語の鍵を握る存在として、猫の姿をしたダイジンとサダイジンが登場します。この2体の正体については、さまざまな解釈が可能です。ここでは仮説を2つ並べてみます。

 仮説1:ダイジンは震災の犠牲者のメタファーである。初見のとき、物語はハッピーエンドに終わっているものの、ハッピーエンドの裏側には要石になったダイジンがいることがどうにも納得できませんでした。鈴芽と草太の幸せのためにダイジンを結局犠牲にするのかと。しかしダイジンとサダイジンが「あのときに亡くなったすべての方々」のメタファーだと考えると、意味が変わってきます。ダイジンとサダイジンがいまも要石となって世界を守ってくれているおかげで、現代を生きる私たちは幸せに生きられるという構造です。

 仮説2:ダイジンは「忘れられたくない記憶」そのものである。鈴芽に「好き」と言われたダイジンが嬉しそうにするシーンは、記憶が忘却されることへの抵抗として読めます。私たちは日常に戻るたびに少しずつ忘れていきます。ダイジンが鈴芽についてくるのは、忘れないでほしいという願いなのかもしれません。

 どちらの仮説が正しいかは断言できませんが、両方の読みが成立するところにこの作品の奥深さがあると考えます。物語論として見ると、ダイジンは「作中で明確に説明されないキャラクター」として意図的に設計されています。観客一人ひとりが自分の解釈を持ち帰ることができる。答えを一つに限定しないこと。これは「読者に考える材料を渡す」という記事の作り方にも通じますし、物語の終わらせ方としても非常に誠実ではないでしょうか。

正直な告白——私自身は「天気の子」のほうが好きです

 ここからは筆者の個人的な感想です。事実と意見を分けて書くことを意識しているので、ここは完全に「意見」として読んでください。

 実は私自身は前作の「天気の子」のほうが好きです。「すずめの戸締まり」は素晴らしい作品ですが、自分に向けられた作品ではないと感じたからです。本作は過去を悼む映画であり、自分に向けられていないなどと批判するのはおこがましいことだと理解しています。それを知りつつもエンターテインメントに対しては自分へのメッセージを求めてしまう人間です。

 対して「天気の子」は「この狂った世界でだって僕らは大丈夫だ」と、いまを生きている人たちを肯定する映画でした。あの映画に背中を押された感覚は、今でも残っています。「すずめの戸締まり」が合わなかった方は、ぜひ「天気の子」も見てみてくださいね。

 なぜわざわざこのような個人的な感想を書くのか。それは「作品の客観的な完成度と、個人的な好みは別物である」ということを明示するためです。批評とは好き嫌いの表明ではありません。好きではないが優れた作品はあるし、好きだけど構造的に粗がある作品もある。この区別ができることが、創作者として作品を分析する際の土台になります。

あなたの物語に活かすなら

 本作から学べる創作のポイントを整理します。

・同じ素材(災害)でも、問いの立て方を変えれば全く違う物語になる
・「記憶の受け渡し」は物語が社会的意義を持つための有力な手段
・答えを一つに限定しない終わらせ方は、読者に考える余地を残す
・連作を書くとき、各作品の時間軸(未来・現在・過去)を意識的にずらすと変化が生まれる
・説教ではなくロードムービーの形式で「記憶」を伝えると、説得力が増す

 特に1つ目は、シリーズものを書いている方に試してほしいポイントです。同じ世界観、同じモチーフでも、問いの角度を変えれば新しい物語が生まれる。新海誠監督の三部作はそのお手本ですね。

 もう一つ実践的に活かせるのは「ロードムービー形式で読者を説得する」技術です。特定のメッセージを伝えたいとき、主人公に演説させるのは最悪の手段です。代わりに、旅の道中でさまざまな場所や人に出会わせ、読者が自然に結論にたどり着く構造にする。鈴芽が日本各地の「閉じた場所」を巡ることで、観客は「この国には忘れられた場所がこんなにあるのか」と自分で気づく。メッセージを押し付けるのではなく、体験として味わわせる。これが「記憶の受け渡し」を可能にする物語の形式なのだと考えます。

まとめ

 『すずめの戸締まり』は、エンターテインメント映画の姿をした鎮魂の儀式でした。あのとき「行ってきます」で止まったままの時間に、「ただいま、いま幸せです」と返事する映画。エンタメとしてのテンポの良さも健在ですが、その奥にある祈りの深さが、三部作の最終編にふさわしい重みを与えていると思います。

 物語には「楽しませる力」と「記録する力」の2つがあります。この映画は後者の力を、全力で見せてくれました。

 そして「記録する」とは、事実をそのまま書き写すことではありません。フィクションの力で感情ごと保存すること、それがこの映画のやったことです。鈴芽が「行ってきます」に対して「ただいま」と答えたとき、あの一言には膨大な時間と感情が圧縮されています。同じように、あなたの物語のたった一行にも、読者の人生の何かを動かす力があるかもしれません。まずはその一行を、書いてみてください。

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ここまで読んで頂きありがとうございました。
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