【映像×創作】『STAND BY ME ドラえもん2』の賛否両論から学ぶ——題材とテーマの関係を正しく理解する
2020年公開の『STAND BY ME ドラえもん2』は、公開と同時に賛否両論を呼びました。映画評論家の宇多丸さんによる痛烈なラジオ批評が話題になり、「何が問題だったのか」を語る声がネット上で広まりました。
宇多丸、『STAND BY ME ドラえもん2』を語る!【映画評書き起こし】
この批評、相手の作品をよく観た上で批評しているのが、良いですね。
面白いのは、この議論が「ドラえもん2が面白いか否か」ではなく、「なぜ一部の人に受け入れられないのか」という問いに発展したことです。その答えを丁寧に解析すると、物語を書くすべての人が気をつけるべき、「題材」と「テーマ」の関係が見えてきます。
賛否両論の原因を3つに分解する
このようなケースを分析するとき、「なんとなく受け入れられない」で止まっては意味がありません。原因を具体的に分解することが、自分の創作に活かすための第一歩です。
第一の批判は「続編の問題を理解していない批判」です。STAND BY ME ドラえもん1は、のび太がドラえもんから自立することをひとつの到達点として描きました。しかし2は、その後ののび太がおばあちゃんの夢を叶えようとする新たな物語です。前作を見ていない、あるいは前作のテーマを意識していない観客から「逆行している」という批判が出るのは、ある意味で伝え方の問題でもあります。
第二の批判は「続編として前作の成長を台無しにしている」という批判です。これはより本質的な問題です。前作でドラえもんの道具に依存することを乗り越えたのび太が、再びドラえもんの力を借りる展開は、前作を大切にしているファンほど違和感を覚えます。続編を作るということは、必ず前作のキャラクター成長に何らかの制約を課すことになる——この宿命は避けられません。
第三の批判は「作品に込めた価値観が受け入れられない」という批判です。これが最も今日の創作に示唆的なポイントです。
「題材」と「テーマ」は別物である
この映画の問題を一言で表すとすれば、「ドラえもんという題材と、監督が表現したかったテーマの乖離」です。
ドラえもんという作品は、日本の老若男女全員が「自分にも関係ある」と思って映画を見に来ます。しかし実際に表現されたのは、「おばあちゃんへの孝行」「しずかちゃんがのび太のすべてを受け入れる愛」という、どちらかというと保守的な価値観を基盤にした物語でした。
題材(ドラえもん)はあらゆる層の観客を集める力があります。しかしテーマ(保守的な家族観・愛の形)は、特定の層には深く刺さり、別の層には違和感を生みます。普遍的な題材を使うほど、テーマへの反応も増幅されます。
つまり、広い読者層に届く題材を使うとき、テーマもそれに見合った普遍性を持っていることが求められます。あるいは逆に、「この作品は特定の価値観に共鳴する人に向けて書いている」ということを、最初から明確に打ち出すことが必要です。
Web小説における題材とテーマの罠
この問題は、Web小説を書く私たちにも直接関係します。
例えば「追放系」という題材があります。Sランクパーティから不当に追放された主人公が、別の場所で大活躍する——この題材を使うとき、乗っかる読者は多いです。追放系というだけで読んでみようと思う層が確かに存在します。
しかしその追放系の物語に、「仲間を作らず一人で全部解決する」「女性キャラはすべて主人公に惚れる」といったテーマが全面に出ると、別の読者層が離脱します。その層は題材で集まったのに、テーマで弾かれた形になります。
また「テーマが流行を追っていない」場合も同じことが起きます。追放系という流行の題材を拾いながら、込めているテーマが「昭和的な男性像の肯定」であれば、現在の読者の多くはそこで引っかかりを感じるでしょう。
題材で読者を集め、テーマで読者の心を動かす——この二段階を意識して設計することが、今の時代に広く届く物語を書くための基本です。
続編の正しい構造を考える
アナと雪の女王2も、「前作でエルサの課題が解決したのに、なぜ次の問題が?」という批判を受けました。STAND BY ME ドラえもん2も同様です。続編を作るとき、前作で解決した問題を再び課題にすることは、読者の「それ、もう終わった話じゃないの?」という違和感を生みます。
続編を書くとき、より良い設計は「前作の主人公と同じ世界を舞台にしながら、前作では描かれなかった別の角度からの問いを立てる」方法です。前作でのび太がドラえもんから自立することを達成したなら、2では「自立した後の大人のび太が、どんな新しい壁に直面するか」という問いを立てるべきでした。
前作で達成したものをリセットせず、前作の成長の上に乗った新しい課題として設計することが、続編を書くときの礼儀といえるかもしれません。
ターゲットを決めることの重要性
最後に、この映画から学べる最も実践的な教訓を一つ挙げます。
「誰に届けたい作品かを最初に決めること」です。
STAND BY ME ドラえもん2は、保守的な家族観に共鳴する層にとっては感動作です。その層のレビューには「泣いた」「家族に見せたい」という言葉が並びます。しかし現代的な価値観で物語を読み解こうとする層には、違和感の多い作品になります。
どちらが正しいのかではありません。問題は、作品が届けたいターゲットを絞り切れていなかったことです。あるいは、「ドラえもん」という普遍的すぎる題材を使ったために、ターゲットを絞ることが構造的に難しかったとも言えます。
あなたが今書いている物語は、誰に届けたいですか。その読者は、どんな価値観を大切にしていますか。その問いに答えることが、テーマを設計する第一歩です。題材は読者を集める力、テーマは読者の心を動かす力です。この二つを意識して揃えたとき、物語は本来の力を発揮します。
「監督の思想」と「原作ファンへの敬意」のバランス
映画評論家の宇多丸さんは、山崎貴監督を「題材を上手く組み合わせて、自分の表現したいものを表現する監督」と評しました。これ自体は否定的な評価ではありません。どの監督も、自分の思想をもとに作品を作ります。問題は「原作の強いIPを使う場合、原作ファンへの敬意と自分の表現の間のバランスをどう取るか」という点です。
原作ファンは「のび太とドラえもんの物語」を見に来ています。監督の山崎貴作品を見に来ているわけではありません。この前提のもとでは、監督の個人的な思想を前面に出しすぎることは、ファンの期待を裏切るリスクを高めます。
これは私たちがWeb小説で二次創作をするときにも直接関係する話です。原作のキャラクターを借りて自分のテーマを語ることは、二次創作の本質の一つです。しかし「原作のファンが期待しているもの」と「自分が伝えたいもの」がどれだけ重なっているかを常に確かめる必要があります。重なりが小さいほど、読者の離脱リスクは高まります。
「そのままでいい」というメッセージの是非
STAND BY ME ドラえもん2の核にあるメッセージは「のび太はそのままでいい」です。成長ではなく、「あなたはすでに十分だ」という肯定のメッセージです。
このメッセージ自体は、現代において一定の需要があります。自己否定に苦しむ人、常に努力を強いられてきた人には、「そのままでいい」という言葉が深く刺さります。
しかしドラえもんという物語の文脈では、この着地は難しい側面がありました。ドラえもんは子どもに向けた連載で、「工夫と努力で課題を乗り越える」ことを基本のメッセージとして積み重ねてきたからです。「そのままでいい」というメッセージは、その文脈と摩擦を起こします。
あなたが書く物語の最終的なメッセージは、物語全体の文脈と一致していますか。始まりから終わりまで通して「このテーマで貫かれている」と読者が感じられるとき、物語は説得力を持ちます。
「誰のための物語か」を決めることの重要性
STAND BY ME ドラえもん2の問題を突き詰めると、「誰のための映画か」という問いに行き着きます。子どものためか、40代の元・子どものためか、山崎貴監督の個人的な表現のためか。複数の答えが並存するとき、物語のトーンは揺れます。
映画でも小説でも、「誰のための作品か」を最初に決めることは、すべての選択のフィルターになります。文体、テンポ、情報量、感情の深さ——これらはすべてターゲット読者によって変わります。
「誰のためか」が定まると、迷ったときに立ち返る基準ができます。「このシーンは自分が書きたいからあるのか、読者に必要だからあるのか」を常に問い直すことが、物語の純度を保ちます。あなたが次に書く作品は、誰のために書きますか。その答えを書き始める前に決めておくと、作品の方向がブレにくくなるかもしれません。
3Dアニメーションという選択が物語にもたらすもの
この映画のもうひとつの話題は、ドラえもんを3DCGアニメーションで描いたことへの賛否です。長年2Dで描かれてきたキャラクターが、3Dになることで「別のキャラクターのように見える」という違和感を覚えた視聴者は少なくありませんでした。
これは「キャラクターのビジュアルと読者の記憶の問題」です。読者や視聴者は、キャラクターのビジュアルに記憶を積み重ねます。その記憶が大きいほど、ビジュアルの変化は「喪失感」として感じられます。
小説における「キャラクターのビジュアル描写」も同じ問題を持ちます。シリーズの途中でキャラクターの服装や話し方が大きく変わると、読者は混乱します。変えるときは、できれば物語的な意味を持たせると、読者の混乱を防ぎやすくなります。










