【物語論をわかりやすく解説シリーズ1】物語論(ナラトロジー)とは?|創作の迷子を救う「物語の設計図」入門

2022年10月14日

物語とはなにか?
これを体系的に知っておくことは、作家として大きなプラスになります。

「プロットがまとまらない」
「書きたいシーンはあるのに、物語として繋がらない」

そんな悩みにぶつかったとき、頼りになるのが「物語論(ナラトロジー)」です。
このブログでは何度かに分けて物語論について紹介します。まずは物語論の概要です。

創作ノウハウ200超|小説の書き方ガイド

物語論(ナラトロジー)とは?

物語論とは、文学論の一種で、別名はナラトロジー(英語:narratology)と言います。
物語の構造に着目し、筋や形式を研究する学問です。
つまり設計図から、物語の技法や仕掛けを分析しようとするものです。

感覚だけでなく理論を知ることで、創作の迷いやスランプを脱出するヒントが得られます。

物語の「構造」とは何か?

概要でも少し触れましたが、物語論とは「構造」に視点をあて、物語を分析していくものになります。これは物語論の背景には、「構造主義」という考え方があるからです。
では「構造」とは一体何なのでしょうか?

物語論での定義は以下の通りです。

〈要素から全体を成り立たせるための関係性〉

分かりにくいですね。
建築で例えると、〈内外からの圧力で建物が壊れないように建物を保つこと〉となります。
つまり、〈物語を物語として成立させている要素とその繋がりは何なの?〉と言ったところでしょうか?

「モンキー・D・ルフィ」で考える構造

では具体例を挙げて見ていきましょう。
例えば少年ジャンプの人気漫画『ONE PIECE』の主人公である「モンキー・D・ルフィ」をネット上で画像検索をすると、様々な状態のルフィが出てくるかと思います。

• 例えばアニメの絵柄をそのまま切り取った画像

• ラインスタンプように幼児キャラにして可愛く見せた画像

• あるいはストーリに合わせて侍の恰好をしていたり(ワノ国編など)

• 初期のルフィのように袖なしの服を身に着けた画像

これらはすべて見た目が違います。服装も、画風も、年齢さえ違うかもしれません。

しかし無数のバリエーションを持つルフィを見ても、すぐにあなたは「ルフィである」と把握できたはずです。それは一体なぜでしょうか?

つまり様々なバリエーションの「モンキー・D・ルフィ」は描かれているものの、そこにあるのは全て「モンキー・D・ルフィ」であり、それを私たちが一目見ただけで「同一のキャラである」と認識できる理由こそが「構造」と言うことになるのです。

ルフィを分解してみる

ではさらに具体的にルフィの外見を観察してみましょう。
ルフィの外見をパーツや色別に分解していくと、以下のような要素が見つかります。

• 「麦わら帽子」

• 「短髪」

• 「黒髪」

• 「左目の下の縫い目」

• 「赤い3つボタンの服」

• 「胸元の巨大な十字傷」

• 「黄色の布切れ」

• 「青い短パン」

• 「赤・黄・青」

• 「サンダル」

など、いろいろな要素が確認できるかと思います。

ですが構造分析において、全体をさまざまな要素に分解するだけでは、不十分なのです。

これら複数の要素が、ルフィという統一化されたキャラへどのように繋がるのか、その関係性を探し出さなければいけません。
上記でパーツや色ごとに要素を分解しましたが、この組み合わせを、ランダムに入れ替えたらどうなるでしょうか?

例えば「赤髪」「青い3つボタンの服」「黒色の布切れ」「黄色の短パン」だとします。
よく見ればルフィだと分かるでしょうが、ルフィとはっきりと認識するまでには、いくらかのタイムラグが生じるかと思います。

さらに言うと、紐付きの「麦わら帽子」を背中側に垂らし、頭には「黒色の布切れ」をバンダナのように巻き付けている、などのように、要素間の位置関係を変化させると、ルフィだと認識するのはさらに困難になるでしょう。

このように、要素は同じだが、意図的に異なる関係性にし、結果として別物にすることを、「再構成」と言います。私たちはこのように、日常的に物事を「全体」として捉えているのです。

それらを分解すると「要素」になります。
そして、要素同士の「繋がり」が全体へと結びつくのです。

繋がり・・・つまり要素同士の関係性こそが「構造」となります。

こうして、物事の構造を見つけ研究することが、「構造主義」です。

ちなみに今回は、わかりやすい例えとして、「モンキー・D・ルフィ」という、目で確認可能なキャラクターを使い、構造について解説しましたが、実際の「構造主義」では、目に見えないもの、つまり「概念的なものの構造」を研究する際に使われています。

例えば1つの国の言語を覚えると、2つ目の国の言語を覚えるのは1つ目より楽だと聞いたことがあるのではないでしょうか? これは、私たちが無意識のうちに、構造主義を「概念的なものの分析」に応用している結果です。ですので、私たちの生活を詳しく分析すると、自然と構造主義に結びつきます。

これは物語でも同じことです。
では続いて物語の仕組みについて見ていきましょう。

【物語とは?】

映画・アニメ・小説・絵本など、現在、物語と呼ばれるものは、様々なメディアを通して表現されています。
では物語とは一体何なのでしょうか?

一応の定義としては、以下のようになります。

<出来事の推移を、因果関係によって描いたもの>

これだけだとわかりにくいので、例を出して説明していきましょう。まずは因果関係についてですが、何かが起こる際、そこには「原因」があり、「結果」が残ります。この原因と結果の関係性のことを、「因果関係」と呼びます。それによって状況が動くと、それは「物語」と言うことになるのです。

逆に言うと、状況がそのままなら、それは物語ではありません。

• 「麦わら帽子はルフィの物だ」

• 「ナツキ・スバルは異世界の人間だ」

• 「のだめは野田恵のニックネームだ」

これらはただの説明で、物語ではないのです。

物語になる例

例を挙げると、下記のような文章が物語となります。

「ルフィはシャンクスから麦わら帽子を預かった。海賊になったルフィは、海に出て麦わら帽子をシャンクスに返しに行った」

前半部分が原因で、後半部分が結果ですね。

つまり、ルフィがシャンクスに麦わら帽子を返しに行くのは、シャンクスから麦わら帽子を預かったからです。そもそも帽子を預かっていないなら、ない帽子を返しに行くことはありえませんよね。

ですので、「預かった」と言う原因があるからこそ、「返しに行く」と言う結果がうまれるのです。

この繋がりこそが「因果関係」であり、出来事は動いているので、これは「物語」と言うことになります。

物語にならない例

では続いての文章は物語と言えるのでしょうか?

「ルフィが海賊王になった」

結論から先に言うと、これは物語ではありません。確かに、「海賊王ではなかった」ルフィが「海賊王になる」ことで、状況は動いています。ただ、「ルフィが海賊王になった」は結果のみであり、どういう経緯で海賊王になったのか、つまり原因が抜けていますね。

ですのでこれは「因果関係」が欠如していることになり、物語にはならないのです。

ではこう付け足すといかがでしょうか?

「ルフィが海賊王になった。マキノが酒場を改築した」

情報としては増えましたが、これでもまだ物語とはいえません。なぜなら、この文章だけだと、「ルフィが海賊王になった」ことが原因で、「マキノが酒場を改築した」と言う結果に繋がらないからです。

極端な話、海賊王になったルフィをマキノが世界政府に引き渡し、手にした懸賞金で、酒場の改築をした、としてもこの文章なら成立することになります。
ワンピースという物語を知らない人なら、このように想像した方もいるのではないでしょうか?

正しい因果関係の構築

ですので、上記の文章を物語にするには、下記のように文章を組み立てる必要があります。

「ルフィが海賊王になった。その証明となるラフテルで見つけた財宝を、ルフィからの恩返しとして貰ったマキノが酒場を改築した」

これなら物語になります。

先程の文章とは異なり、「ルフィが海賊王になった」ことが原因で、「マキノが酒場を改築した」と言う結果にきちんと結びついています。
つまりこの文章は、<出来事の推移を、因果関係によって描いたもの>になるのです。

これが基本的な物語の流れとなります。
つまり「因果関係」があるかどうかが重要な部分になってくるのです。

と言うよりは、そもそも「因果関係」のない出来事など存在しないと考えていいのかもしれません。
私たちは感覚的に生きている部分が多くありますので、そこを理論立ててきちんと説明することが、結果として物語の「因果関係」を生み出すことに繋がるのです。

過去であろうと現代であろうと、こうした物語の根本的なところは同じです。

さらに具体的な「因果の連鎖」の例

さらに具体的な例を挙げてみますと・・・

「ルフィは悪魔の実を食べてしまい一生泳げない体になってしまった。
だからルフィは一生海に落ちない海賊になろうと心に決め、海賊王になるべく1人で海に向かって船をこぎ出した。
しかしこうして海に出たルフィは、さっそく海の大渦に飲み込まれそうになり、困り果てる。
だがよくよく考えると、『こんな大渦なら泳げようが意味ねえよ』とルフィは素晴らしい発見をして、前向きに目の前の大渦にのみこまれてゆく。そんなルフィを海賊見習いのコビーが救うことで、ルフィは初めての仲間である海賊狩りのゾロと出会うことになる」

いかがでしょうか?
あらすじ毎に見ていくと、「だから」や「こうして」や「そんな」で、前文のシーンと因果関係を持ち、繋がっていることが分かります。

そして物語におけるもう一つの重要な要素は、「因果関係は連鎖的に起こる」ということです。

例えば、「海に出たルフィは、さっそく海の大渦に飲み込まれそうになり、困り果てる」と言う文章は「結果」で、前文の、「一生海に落ちない海賊になろうと心に決め、海賊王になるべく1人で海に向って船をこぎ出した」が「原因」となります。

でもさらに前文に戻ると、「ルフィは悪魔の実を食べてしまい一生泳げない体になってしまった」ことが「原因」で、「大渦に飲み込まれそうになり困り果てる」と言う「結果」に繋がっていることが分かります。

つまり2文目の「ルフィは悪魔の実を食べてしまい一生泳げない体になってしまった」は、1文目からすれば「結果」であり、3文目からすれば「原因」ともなるわけです。

ですので、「始めと終わりの文章」を除けば、その他の文章は全て「原因」であり、「結果」でもあるということがわかるます。

物語は「原因」があり、「結果」が出て「はい、終わり」と言うような単純なものではありません。
「結果」が出たものは「次の結果へと繋がる原因」となり、それが連鎖的に続き「複雑な因果関係」を構築していくのです。

こうして生み出された状況の推移が、「物語」と呼ばれています。

まとめ:構造主義と物語の相性

ではいろいろと解説をしてきましたが、結局のところ、「構造主義」として使える部分はどこなのでしょうか?

〈要素から全体を成り立たせるための関係性〉

上記は構造の定義として前述したものになります。つまり先程から説明を続けているシーン同士の因果関係における「繋がりの部分」こそが、「構造主義として使える部分」ということになるのです。

言い方を変えれば、「シーンの繋がりの部分こそが物語を生み出している」と言うことになります。

そしてくどいようですが、構造主義とは、『「全体」を「要素」別に分け、その要素同士の「関連性」こそが「構造」である』と言う考え方なのです。そのため要素同士の繋がりによって全体を構築するのであれば、それは「構造主義」に使うことが出来るのです。

つまり、物語という「全体」もシーンという「要素」ごとの繋がりにより構築されているのですから、「構造主義」でも分析することが出来るということになります。

実際に後に説明する構造分析法では、因果関係に重点を置いて、分析をしています。

結局何が言いたいのかと言うと、「構造主義」と「物語」は相性がとてもいいのです。次回は構造主義と物語について説明します。


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【物語論シリーズ2】物語論のルーツ、構造主義と物語論

【物語論シリーズ3】物語の構造分析

【物語論シリーズ4】物語論の完成

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