創作ネタ | 暴力系ヒロインとは何だったのか
本エントリーでは、暴力系ヒロインとは何だったのか?について書きます。
きっかけは、とあるTwitterスペースで、谷川流先生の話を聞いたことです。
谷川流先生は傍目からみると繊細そうな方で、ハルヒが書けなくなったのはハルヒの人気が出過ぎて(株主総会でもハルヒの続きはいつ出るのかと問われるほど)、自分1人の生活がかかる作品じゃなくなり、周囲からの期待でがんじがらめになって創作感が失われたのではないかという話でした。
谷川流先生のことは直接存じ上げませんが、あれだけ時代に愛された作品を生み出すには、繊細で時代とシンクロする能力が卓越していたのでしょう。
しかしふと、気づいたことがあります。谷川流先生が続きを書かなくなったのは、まさに涼宮ハルヒが時代性を持ったためではないかと。
涼宮ハルヒというツンデレ暴力系ヒロイン
涼宮ハルヒというキャラクターはツンデレキャラの代表です。ツンデレキャラとは「ツンツンしている面」と「デレデレしている面」の二面性をあわせもつ人物のことで、2005年頃に大流行しました。震源地はまさに涼宮ハルヒ。他には、とある魔術の禁書目録の御坂美琴や、ゼロの使い魔のルイズがツンデレキャラとしてよく上がります。
その上で暴力系ヒロインの先駆けでもありました。特に涼宮ハルヒのアニメ2期では、ハルヒからみくるへの弱いものいじり、団長権限を使ったパワハラが際立っていました。
直接殴ったりはしていませんが、今の時代だとハラスメント扱いされるようなものです。
私はこの暴力系ヒロインへの転身が、涼宮ハルヒシリーズを書けなくなったきっかけだと感じています。
ハルヒシリーズは奇しくもパワハラが問題視される寸前に生まれた
2003年に第1巻が発表された涼宮ハルヒは、SF作品でもありますが、現実的な強い女性を描く作品でもありました。頭脳明晰、運動神経抜群、容姿端麗、団長としての責任感やリーダーシップもありと、当時の強い女性像そのものだったでしょう。
だから谷川流先生は、当時の強い男性の象徴である暴力性も積極的に取り入れたのだと推測します。私は涼宮ハルヒのアニメ2期放映時、朝比奈みくるへの弱いものいじめを不快に感じましたが、多くの人はそれほど違和感を感じなかったのかもしれません。なぜなら男性の世界に暴力性が、当たり前に蔓延っていたからです。
※私は時代性を持つ作品は「口語表現とバイオレンス」がポイントだと考えていますが、谷川流先生の作品はまさに時代性を持つ作品だったと感じます。
しかしこの暴力性は2003年のパワーハラスメントの定義後、急速に失われていくことになります。
※Wikipediaによれば、2003年に「職権などのパワーを背景にして、本来業務の適正な範囲を超えて、継続的に人格や尊厳を侵害する言動を行い、就労者の働く環境を悪化させる、あるいは雇用不安を与える」ことをパワーハラスメントと初定義されました。
谷川流先生は、時代の流れを敏感に察知し、作品が停滞し始めた2007年にはもうハルヒの価値観が古くなっていることに気づいて書くのをやめたのではないかと思うのです。
※後からキャラクターをマイルドにすることは幾らでもできるけれど、作家として途中でキャラの性格が変わるのを避けたかったのではないでしょうか。
暴力系ヒロインとは何だったのか?
私は暴力系ヒロインは、時代が草食系に向かう前の僅かな期間許容された男性的な強い女性像だと感じます。
女性が男性化する方に時代が進むと思ったら、実は男性が女性化する方に時代が進んでしまって、作家も頭を抱えた…みたいな。笑
とはいえ、私は今の草食系の時代も好きです。見ていて不快になる作品は少ないですし。リコリス・リコイルのような女主人公が味方に優しく敵をボコボコにする物語も今だから生まれたのでしょう。
恐ろしいのは時代の流れですね。例えば今、パワハラ上等の暴力系ヒロインを書いても、まず需要はないでしょう。今のバイオレンスの考え方がどこに向かっているのかをチェックして、自分の作品の主人公やヒロインが時代のバイオレンスと逆行していないかを確かめておくのが大事ですね。
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