【映像×創作】映画『ファミリア』から学ぶ——テーゼを持つ物語の作り方
2023年公開の邦画実写オリジナル『ファミリア』は、役所広司・吉沢亮・MIYAVIが出演した問題作です。「かがみの孤城」と同時期に公開され、予告編だけ見ると外国人との交流を描くハートフルストーリーに見えます。しかし実態はPG12指定の、暴力と共生を正面から描いた社会派ドラマでした。
エンターテインメントとして気楽に楽しめる映画ではありません。しかしだからこそ、物語を書く人間には多くの示唆を与えてくれる作品です。今回は創作技術の観点から、この映画を解析してみます。
テーゼから映画を読む
この映画を一言で表すなら、「現代アート的な映画」です。
現代アートとは、受動的に「良い」「悪い」を判断するのではなく、能動的に疑問を持つことで作品が完成するものです。鑑賞者がアーティストとの対話によって意味を見出す。その意味では、この映画は娯楽映画ではなく、観客に「考えること」を求める作品です。
では、この映画が提示するテーゼ(命題)は何か。
私が読み取ったのは、「自分の意思とは無関係に暴力に巻き込まれたとき、人間はどう生き延びるのか」という問いです。
英語が堪能で、難民の女性と結婚するほど外国人への心を開いているエリート青年(吉沢亮)が、ある日理不尽な暴力によって人生を断たれます。何があれば彼は死なずに済んだのか。その問いに父親(役所広司)が身をもって示そうとする映画です。
答えとして映画が提示したのは、「暴力に抗うには、結局のところ暴力が必要」という現実でした。公権力という名の暴力があることの安心。理不尽な暴力に対して、それ以上の暴力で制圧する以外に解決の道はないのか——この問いを提起したまま、映画は終わります。
問いを持つ物語の強さ
ここで物語づくりの観点からひとつ気になる点があります。それは「テーゼ(命題)を持つ物語は長く記憶される」ということです。
娯楽映画は観た直後に満足感を与えますが、翌日には薄れていきます。一方で「なぜ?」という問いを残す映画は、観客の心の中で生き続けます。友人と語り合いたくなりますし、ネットに感想を書きたくなります。それが結果的に口コミを生み、長命な作品を作ります。
Web小説でも同じことが言えるでしょう。読んで気持ちよくなれるだけの作品は、あっという間に忘れられます。しかし「なぜ主人公はあの選択をしたのか」「あの場面の意味は何だったのか」と読者が考え続けられる作品は、感想スレッドで延々と語られ続けます。
あなたの書く物語に、テーゼはありますか。
二項対立の設計——善と悪を単純化しない
『ファミリア』が特に巧みなのは、敵役の描き方です。
半グレ集団を率いるMIYAVI演じる榎本海斗は、単純な悪役ではありません。彼の暴力の根底には、在日外国人コミュニティへの旧来からの差別と憎悪があります。つまり榎本もまた、誰かから傷つけられた人間です。「過去の憎しみによって理不尽に生まれる暴力」という構造が、彼を単なる悪役としてではなく、社会的な問題の象徴として機能させています。
漫画やアニメのヤクザ・半グレは、どこかユーモラスで親しみやすく描かれることが多いです。しかし現実の暴力はそうではない。笑いながら人を殺す、その恐ろしさを映画は正直に描いています。
これは創作における重要な選択です。「敵役を愛嬌のある存在にする」か「本当の怖さを持つ存在にする」か。どちらが良いとは一概に言えません。ただ、ファミリアは後者を徹底したことで、物語のテーマに圧倒的なリアリティを持たせることに成功しています。
描写によって文化の違いを語る
この映画のもうひとつの優れた点は、在日ブラジル人コミュニティの描き方です。言葉で「彼らはこんな文化を持っている」と説明するのではなく、パーティのシーン、食事のシーン、家族の接し方を見せることで、文化的な違いと豊かさを伝えます。
説明しない演出は、読者の知性を信頼することでもあります。「こういう人たちです」と書くのではなく、「こういう行動をする人たちです」と見せる。そのほうが読者の心に深く刻まれます。
実際に、マルコスの父親がリーマン・ショックで職を失い、命を絶ったというエピソードは実話に基づいているとのことです。その重さが、フィクションの枠を超えてスクリーンから伝わってきます。
映画と小説の受容の違いを考える
正直に言えば、この映画を楽しいと感じる人は多くないでしょう。途中退出する方もいたと聞きます。それは作品の失敗ではなく、届けたいものと届けられる観客がずれていたためです。
しかしこれは、私たちが小説を書くときにも考えるべきことです。「気楽に楽しめるエンタメ」を求めている読者に、重い社会問題を突きつければ離脱されます。一方で「考えさせる作品」を求めている読者には、社会派の物語が深く刺さります。
問題は、あなたの作品がどちらの読者に届けたいかを、自分の中で決めているかどうかです。『ファミリア』は迷いなく後者を選びました。その覚悟が、この映画の一番の強さだと感じます。
あなたが書く物語は、誰に届けたい物語ですか。その問いに答えることが、作品の方向性の全てを決めます。
物語に込めたいテーゼの見つけ方
では実際に、自分の物語にテーゼを組み込むにはどうすれば良いでしょうか。
一番簡単な方法は、「自分が日常生活で怒ったこと」を出発点にすることです。理不尽に感じた経験、釈然としなかった出来事——それは何らかの社会的な矛盾と接触した瞬間です。その矛盾をそのままキャラクターに背負わせると、リアルな怒りと悲しみを持つ人物が生まれます。
『ファミリア』の脚本家は、外国人コミュニティへの取材で聞いた実話をそのまま映画に込めました。現実から生まれた怒りが、作品を突き動かしているからこそ、観る者の胸を打ちます。
あなたの日常の中にある「なぜ?」が、物語のテーゼになります。そのテーゼを持った物語は、単なる娯楽を超えた強さを持ちます。ぜひ一度、自分が怒りを感じた瞬間を思い出して、そこから物語の種を探してみてください。
在日外国人という設定が物語に与えるもの
『ファミリア』のもうひとつの重要な要素は、在日ブラジル人コミュニティを物語の舞台に据えたことです。
マルコスの父親は「日本で3年働けば家が建つ」という「ジャパニーズ・ドリーム」を夢見て来日しました。しかしリーマン・ショックによる不景気で職を失い、命を絶ちます。このエピソードは脚本家いながき きよたかが実際の取材で聞いた実話が元になっています。
フィクションに実話を「取材」して込めることの強さがここにあります。作り話と実話は、テキストとして見れば区別がつきません。しかし実話を経由した物語には、それ特有の「質量」が宿ります。セリフひとつ、描写ひとつに、現実の重さが乗ります。
あなたが物語を書くとき、「取材」は必ずしも現地に行く必要はありません。ドキュメンタリー映画を見る、当事者の体験談を読む、統計や事例を調べる——その小さな行為が、物語に「質量」を与えます。
また、異文化・異なる階層の人々が共存する場面は、それだけで物語の磁場が生まれます。同質な人間関係の中では起きない衝突と理解が生まれるからです。『ファミリア』が役所広司と在日ブラジル人コミュニティの交流を軸にしているのは、その磁場を意図的に設計しているからでしょう。
あなたの物語の中に、「異質なもの同士が接触する場所」はありますか。異なる価値観・文化・身分の人物が出会う場を設けることは、物語を動かす最も確実な方法のひとつです。
感情の橋としての「共通の喪失」
『ファミリア』で役所広司演じる誠治とマルコスが最終的に交わるのは、ふたりが共に「息子を失った父親」であるからです。文化も言葉も異なるふたりが、「喪失」を共有することで、はじめて同じ地平に立ちます。
この「共通の喪失」という構造は、物語において非常に強力な接着剤として機能します。通常、異質な属性を持つキャラクター同士は、価値観や行動原理が衝突します。しかし「同じものを失った経験」は、その違いを一時的に飛び越えます。
文化の異なる者同士、階層の異なる者同士、対立していた者同士が本当の意味でつながる瞬間を描くとき、「共通の喪失」「共通の弱さ」を見つけることが、近道のひとつかもしれません。それは悲しみである必要はありません。「同じものを怖れている」「同じものを望んでいる」という共通点でも機能します。
あなたの物語の中で、異質なキャラクター同士をつなぐ「架け橋」は何ですか。その架け橋を意識的に設計することが、感情的なクライマックスを生む準備になります。
映画から学ぶ「問いの持続」
物語全体を通じて、ひとつの問いが持続することが、作品の統一感を生みます。『ファミリア』の場合、「他者の子どもを、自分の子どもと同じように悼めるか」という問いが始終持続します。
この問いは答えが出るまで持続します。物語は「問いへの答えを探す旅」であると言い換えることもできます。登場人物が問いと格闘し続けることで、読者は「自分ならどうするか」を一緒に考えながら読み進めます。
問いが途中で変質したり、別の展開に飛んでしまうと、読者は物語の軸を見失います。書き始める前に「この物語が最後まで問い続けるテーゼは何か」を一行で書き留めてみると、書くときに迷いが減るかもしれません。それが物語全体のコンパスになる気がします。少なくとも筆者はそうしています。、親しみを感じられる描写がされますが、現実は違うよ。漫画やアニメのヤクザや半グレのイメージで近づくな?と言われている気がします。
大変学びになりました。家族や恋人同士で楽しめるような映画ではないですが、作家を目指す方であれば、一度見ることをおすすめします。アニメや漫画だけでは感じられない、暴力の恐ろしさを改めて考えることができます。









