朝井リョウ『正欲』感想|多視点群像劇で「正しさ」を解体する技術を学ぶ

2022年5月29日

こんにちは。腰ボロSEです。

朝井リョウの『正欲』を読みました。第34回柴田錬三郎賞受賞作であり、第19回本屋大賞ノミネート作品。作家生活10周年記念として書かれた本作は、「多様性を尊重する時代」のど真ん中に鋭い切り込みを入れた問題作です。

読後にまず感じたのは、「この小説は読者を試している」ということでした。共感を求めていない。理解を強要もしない。ただ「あなたの想像力の外側にも人間がいる」という事実を、物語の構造そのもので突きつけてくる。その技術が、創作者として非常に勉強になりました。

「自分が想像できる多様性だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」という作中の台詞が、本作の姿勢を端的に表しています。この台詞が刺さるのは、読者自身が「多様性を理解しているつもり」の人間だからです。本作はその「つもり」を正面から撃ち砕きにくる。

読者として居心地の悪さを感じるのは、この小説の欠点ではなく、意図された効果です。その「計算された居心地の悪さ」をどう設計しているのか。構造を分解してみます。

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作品概要

項目詳細
タイトル正欲
著者朝井リョウ
出版新潮社(新潮文庫)
初出2021年
受賞第34回柴田錬三郎賞
ノミネート第19回本屋大賞
映画2023年公開(監督:岸善幸、主演:稲垣吾郎・新垣結衣)

多視点群像劇の設計——「交わらない視線」が生む緊張

本作の最大の構造的特徴は、複数の視点人物がそれぞれの物語を生きながら、互いの本質を理解できないまま接触し、離れていく設計にあります。

主な視点人物は3人。息子が不登校になった検事の啓喜、初めての恋に気づいた女子大生の八重子、そしてひとつの秘密を抱える契約社員の夏月。この3人の人生がある人物の事故死をきっかけに交差します。

通常の群像劇では、複数の視点が最終的にひとつの真実に収束していきます。映画『クラッシュ』のように、異なる人生が交わった瞬間に相互理解が生まれ、カタルシスが訪れる。あるいは『パルプ・フィクション』のように、時系列を崩して最後に全体像が見える快感を与える。しかし『正欲』はその期待を裏切ります。視点が交わっても、理解は生まれません。むしろ交わったことで、互いの断絶がより鮮明になる。

創作者が学ぶべきは、この「収束しない群像劇」の設計技法です。通常、群像劇のクライマックスは「すべてが繋がる瞬間」に置かれます。しかし本作は「繋がったように見えて、実は何も繋がっていなかった」という痛烈な逆転を仕掛けている。この構造が読者に与えるのは、カタルシスではなく「認知の眩暈」とでも呼ぶべき感覚です。読者は自分が物語に期待していたもの——相互理解、和解、救済——そのすべてを問い直されることになるのです。

この手法はリスクが高い。読者を突き放す可能性があるからです。しかし本作がそのリスクを乗り越えているのは、各視点人物の内面描写が圧倒的に丁寧だからです。読者は啓喜の正義感にも、八重子の純粋さにも、夏月の切実さにも、それぞれ感情移入できる。だからこそ「理解できない他者」の存在が衝撃として成立するのです。
この技術は、実はライトノベルの群像劇にも応用できます。たとえば『デュラララ!!』や『バッカーノ!』のような多視点作品では、視点人物それぞれの正義が描かれます。しかし多くの場合、最終的には「共通の敵」に対して団結する展開になります。『正欲』が程遏いのは、その「団結」を拒否していることです。団結しない群像劇という異例の構造が、「人はわかりあえない」というテーマを読者に体験させているのです。

「多様性」を物語の武器にする方法

本作のもうひとつの技術的達成は、「多様性」というテーマを物語の構造に組み込んでいることです。

作中で検事の啓喜が代表する「多様性を理解しよう」という善意は、実は「自分が想像できる範囲の多様性」しかカバーしていません。啓喜は社会的に正しい価値観を持ち、息子の不登校に真摯に向き合おうとする。弁護士としての論理的思考と、父親としての愛情を兼ね備えた、読者が共感しやすい人物として造形されています。しかしその善意が、夏月たちの抱える秘密——水に対する性的指向——に対しては完全に無力であるどころか、むしろ暴力的に作用してしまう。啓喜が「正しいこと」を言えば言うほど、夏月たちは追い詰められていく。この皮肉な構造が、読者を深く揺さぶるのです。

ここで朝井リョウが用いているのは、「善意の暴力性」を構造的に証明する技法です。啓喜の言動はひとつひとつ取り上げれば正論です。しかし物語全体を通して見ると、その正論が別の視点人物にとっていかに抑圧的に機能しているかが浮かび上がる。これは単一視点の物語では絶対に描けない構造であり、多視点群像劇だからこそ実現できる高度な技術です。

この技法は、ファンタジーやSFにもそのまま応用できます。たとえば「魔族を排除する聖騎士」の視点と「排除される魔族」の視点を交互に描くことで、聖騎士の正義が構造的暴力であることを読者に気づかせる。テーマを台詞で説明するのではなく、構造で体験させる。本作はその手法の最高峰の実例と言えます。

さらに注目すべきは、啓喜の「正しさ」が物語の中で段階的に解体されていく過程です。序盤では啓喜に共感できていた読者が、中盤で「この人、少しおかしいのでは」と感じ始め、終盤では「自分も啓喜と同じ側にいた」と気づかされる。この「共感から距離へ、距離から自覚へ」という3段階の認知変化を設計していることが、本作の構成の真髄です。この3段階構造は、物語で読者の価値観を揺さぶる際の汎用的なテンプレートとして活用できます。序盤で共感させ、中盤でじわじわと疑念を植え付け、終盤で自覚させる。この流れは、テーマ性の強い物語を書くすべての創作者にとって参考になる設計図です。

「明日死なないこと」——生存の物語として読む

本作を個人的に最も強く心に残るものにしているのは、夏月と佳道の関係です。

世間一般とまったく異なる欲望を持つ二人が、社会の中で生き延びるために「手を結ばないか」と告げ合う。そこに恋愛感情はない。けれど「明日を生きるために」共に暮らすことを選ぶ。この提案の切実さは、読者の心に深く刺さります。

朝井リョウが本作で提示しているのは、「愛ではない接続」の価値です。物語の世界では、人と人が結びつく理由はほとんどの場合「愛」か「友情」で語られます。しかし現実には、愛でも友情でもない理由で人は誰かのそばにいることがある。「明日死なないために」という理由で結びつく二人の姿は、物語が普段カバーしない領域を照らしています。

「明日死なないこと」という生存戦略は、一見悲壮に見えます。しかし考えてみれば、多くの人が「来週のワンピースを読むまで死なない」「推しのライブまで死なない」という理由で日々を生きている。それらも「明日死なないこと」の変奏にすぎません。本作はその事実を突きつけることで、「特殊な人々の物語」ではなく「あなた自身の物語」として読者に迫ってくるのです。

創作者にとって、これは「関係性の設計」における重要な示唆です。キャラクター同士の結びつきを「好き」「嫌い」の二軸で設計するのではなく、「生存」「共犯」「利害」「恐怖」など、多様な接続理由をもたせることで、関係性のリアリティが格段に上がります。本作の夏月と佳道は、そのような非定型な関係性の設計が、いかに物語に深みをもたらすかを証明しています。

この関係性の設計は、現実の人間関係を観察するとよく見えてきます。婚活市場で「価値観が合う人」を探す人々が、実際には「自分の想像できる範囲の価値観」しか受け入れられない。本作はその現実を物語の中に織り込むことで、登場人物たちの孤独をより鮮明に描き出しています。「明日死なないこと」を目標にするという生き方は、一見悲しく見えます。しかしその先にある「相手を信じて待つ」という行為は、愛とどこが違うのでしょうか。本作はその問いを、答えを出さずに読者に委ねるのです。

創作者が本作から学べる技術まとめ

技術内容応用先
収束しない群像劇視点が交わっても理解が生まれない構造社会派作品、群像劇全般
善意の暴力性の構造的証明正論が別視点では抑圧になる多視点設計ファンタジーの種族対立
非定型な関係性設計愛でも友情でもない結びつき恋愛以外の物語、バディもの
計算された居心地の悪さ読者の期待を裏切ることで覚醒を促す文芸、純文学的エンタメ
テーマの構造化テーマを台詞でなく構造で体験させるすべてのジャンル

本作は、読者に「理解」を与える小説ではありません。「理解の限界」を突きつける小説です。しかしだからこそ、読了後の世界は読む前より少しだけ広がっている。自分の想像力の外側に人間がいるという事実を、物語の力で体験させてくれる。これは小説にしかできないことです。

凪良ゆうの『流浪の月』と併せて読むと、その効果はさらに増幅します。両作品は同じ時代に、「世間の正しさの外側にいる人間」を異なる視点から描きました。『流浪の月』が「理解されたい」という渇望を描くのに対し、『正欲』は「理解されなくても生き延びる」という線を描いている。創作者として二作を読み比べることで、「同じテーマの別角度からのアプローチ」を実例で学べます。

自分が「正しい」と思っていることに揺さぶりをかけたいとき、本作の構造を思い出してみてください。それは次の作品を書くときの、強力な武器になるはずです。本屋大賞にはならなかった本作ですが、それは「まだほんの少しだけ未来の価値観で世の中を鋭く描きすぎたから」かもしれません。歴史の影に埋もれてはいけない超傑作です。人間観察を趣味にしている方、多視点群像劇を書きたい方に、強くおすすめします。

 本屋大賞にならなかったのは、まだほんの少しだけ未来の価値観で世の中を鋭く描きすぎたからでしょうか。はたまた気づかれて不都合でもあるのでしょうか。賞を取れなかったからといって歴史の影に埋もれてはいけない超傑作です。人間観察を趣味にしている人は最先端の観察眼を得られるのでぜひ読んでみてください。 

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