「中学生でも読めるように書く」が正しい理由|レトロニムと言葉の変化から学ぶ伝わる文章術

2021年1月13日

「中学生でも読めるように書きなさい」——文章術の本でよく見かけるアドバイスですよね。でも「中学生に合わせたら、表現が浅くなるんじゃないか」と反発したくなる気持ちもわかります。

結論から言えば、このアドバイスは正しいです。ただし、その理由は「読者のレベルに合わせろ」ということではありません。もっと根本的な話——言葉の意味は時代とともに変わるという事実が背景にあります。この記事では「レトロニム」という概念を入口に、なぜ平易な言葉選びが最強の武器になるのかを解説します。

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レトロニムとは——言葉が「再命名」される現象

レトロニム(retronym)という言葉を聞いたことはありますか? これは新しいものが登場したことで、元からあったものに改めて名前をつける現象を指します。

もっとも身近な例が「アコースティックギター」です。ギターは元々アコースティック(生音)が当たり前でした。しかしエレキギターが登場したことで、従来のギターを区別する必要が生まれた。そこで後付けで「アコースティックギター」という名前がつけられたのです。

レトロニムもともとの名称区別が必要になった理由
アコースティックギターギターエレキギターの登場
固定電話電話携帯電話の登場
白黒テレビテレビカラーテレビの登場
紙の本電子書籍の登場
対面授業授業オンライン授業の登場

レトロニムが面白いのは、「当たり前すぎて名前が要らなかったもの」にわざわざ名前がつくという点です。

レトロニムが教えてくれること

レトロニムの存在は、言葉が固定された意味を持つ絶対的なラベルではないことを証明しています。技術や社会の変化によって、同じ言葉が指す範囲は伸び縮みします。

これは小説を書く人にとって重要な示唆です。あなたが「当然この意味で伝わるだろう」と思って使った言葉が、読者には別の意味で受け取られる可能性があるということだからです。

意味が変わってしまった日本語の例

レトロニムに限らず、日本語には長い時間をかけて意味がズレてきた言葉がたくさんあります。有名なものをいくつか紹介しましょう。

「役不足」

本来の意味:その人の力量に対して、与えられた役目が軽すぎる(実力>役目)

誤用されがちな意味:その人の力量では役目に対して不十分(実力<役目)

本来は「あの俳優には主人公の脇役なんて役不足だ」(=もっと大きな役を与えるべき)という使い方が正しいのですが、現在では半数以上の人が逆の意味で理解しているとされます。

「穿った見方」

本来の意味:物事の本質を鋭く見抜くこと

誤用されがちな意味:疑いの目で見ること、ひねくれた解釈をすること

「情けは人の為ならず」

本来の意味:情けをかけるのは他人のためではなく、回り回って自分のためになる

誤用されがちな意味:情けをかけるのはその人のためにならない

これらは文化庁の「国語に関する世論調査」でも繰り返し取り上げられており、本来の意味と誤用の比率が逆転している言葉もあります。

小説家にとっての問題

ここが重要です。あなたが「役不足」を本来の意味で使ったとしても、読者の半数以上が逆の意味で読んでしまうなら、正しく伝わらない。小説は辞書ではありませんから、「調べればわかる」では不十分なのです。

なぜ「中学生でも読める」が正しいのか

ここまでの話を踏まえると、「中学生でも読めるように書く」の真意が見えてきます。

このアドバイスは「読者のレベルを低く見積もれ」という意味ではないのです。本当の意味はこうです。

> 意味が揺れている言葉、時代とともに変化した言葉を避け、できるだけ安定した・標準的な意味で通じる言葉を選べ

中学生が読んでわかる言葉は、ほぼすべての読者に同じ意味で伝わります。これは「簡単な言葉を使え」ではなく、「誤解のリスクを最小化しろ」ということなのです。

プロの作家はどうしているか

村上春樹の文章は平易な語彙で書かれていますが、誰も「浅い」とは言いません。東野圭吾の文章も読みやすさに徹していますが、表現力が低いわけではない。彼らは難しい言葉を使わない代わりに、組み合わせ方と構造で深みを出しているのです。

逆に、難解な語彙を多用した文章は「知的に見える」かもしれませんが、読者が立ち止まるたびに物語の没入感は途切れます。あなたが読者に届けたいのは語彙力の誇示ではなく、物語の体験のはずです。

伝わる言葉選び——実践の3つのルール

ルール①:意味が揺れている言葉は言い換える

「役不足」→「物足りない役目」「力を持て余す」。「穿った見方」→「本質を突く視点」「鋭い洞察」。本来の意味が正しく伝わるか不安な言葉は、迷わず言い換えましょう

ルール②:漢字が続く箇所はひらく

「出来事」→「できごと」、「有り得る」→「ありえる」、「予め」→「あらかじめ」。漢字が4文字以上続くと読む速度が落ちます。意味が変わらない範囲でひらがなに開くのが、読みやすさの基本です。

ルール③:専門用語には1行の説明を添える

創作論の記事でも小説の地の文でも、専門用語を使うこと自体は問題ありません。ただし初出時に1行で意味を添えるだけで、読者の離脱は大きく減ります。この記事の冒頭で「レトロニム(retronym)=新しいものの登場によって元からあったものに付けられる名前」と説明したのもこの原則に従っています。

あなたの作品で「伝わる言葉選び」を試すなら

実践的なチェック方法をいくつか提案します。

自作を音読する。つっかえた箇所は、読者もつっかえている可能性が高いです

意味が揺れている言葉リストを手元に置いて推敲する(「役不足」「敷居が高い」「穿った」「確信犯」など)

中学生の自分が読んだとして、引っかかる箇所がないか想像してみる

どれも推敲時のほんの数分で済みます。この「数分のチェック」が、あなたの文章から誤解のリスクをごっそり取り除いてくれるのです。

まとめ

レトロニムという現象が教えてくれるのは、言葉の意味は固定されていないという事実です。「中学生でも読めるように書く」とは、読者を見下すことではなく、意味が安定した言葉を選んで誤解をゼロに近づける技術のことです。難しい言葉で武装する必要はありません。平易な言葉を正確に組み合わせることで、文章の深みはいくらでも出せます。


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