再開の痛みと「心のタコ」|久しぶりに書くあなたへ
こんにちは。腰ボロSEです。
映画『空の青さを知る人よ』を観た後、久しぶりにギターを引っ張り出したことがあります。
1年ぶりでした。左手の指先はすっかりプニプニに戻っていて、Fコードを押さえると1時間で指が悲鳴を上げました。あの頃は平気だったバレーコードが、まるで鉄の弦に素手で挑んでいるかのように痛い。
でも不思議なことに、コードの押さえ方は身体が覚えていました。指は痛いのに、手は正しい位置へ勝手に動く。
■ ギタリストの指のタコ
ギタリストの左手には、弦を押さえ続けることで自然にタコができます。この硬い皮膚があるから、長時間弾いても痛みを感じない。
しかしブランクが空くと、タコは柔らかくなって消えていきます。
だから再開すると痛い。「前はこんなに痛くなかったのに」と思う。でもそれは腕が落ちたからではありません。タコが取れただけです。
翌日も弾く。翌々日も弾く。すると皮膚は再び厚くなり、3日もすれば痛みは引いて、以前と同じ音が出るようになる。
人間の身体は、続ければ必ず適応します。
■ 書くときの「心の痛み」
これは文章にもそのまま当てはまります。
久しぶりに小説を書こうとすると、指ではなく心が痛くなる。
「こんな下手な文章を書いていていいのか」
「これ、面白いのか」
「読まれたら恥ずかしい」
この痛みの正体は、自己検閲です。書くことから離れていた時間の中で、「書く自分」を守るための心の皮膚——いわば「心のタコ」が、いつの間にか薄くなっている。
だから再開すると、あらゆる不安が直接心に触れてくる。防御がないまま、むき出しの感性で書いている状態です。
■ なぜ「心のタコ」は消えるのか
指のタコが消えるメカニズムは単純です。刺激がなくなれば、身体は「もう硬くする必要はない」と判断して、皮膚を通常に戻す。
心のタコも同じです。
毎日書いていると、自己検閲の声はだんだん小さくなります。「下手かもしれない」という不安は消えないけれど、それでも手が動く状態になる。不安と共存できるようになる。
しかし書かない日が続くと、この共存関係が崩れる。不安が再びフルボリュームで鳴り始め、キーボードの前で固まってしまう。
ブランクの長さは関係ありません。1週間でも、1年でも、同じことが起きます。大事なのは、これがあなたの才能や意志の弱さとは無関係だということです。タコが取れただけ。ただそれだけのことです。
■ タコを育て直す方法
ギタリストがやることは実にシンプルです。弾く。痛くても弾く。翌日も弾く。それだけで指は再び硬くなる。
文章も同じです。
ただし、いきなり長編を書こうとする必要はありません。再開初日に5万字書こうとするのは、ブランク明けにいきなりライブをやるようなものです。
最初は小さくていい。
• 日記を3行書く
• 好きな小説の一節を書き写す
• キャラクターの台詞を1つだけ考える
• 思いついた比喩を1つメモする
これだけで「書く自分」は目を覚まします。そして翌日も書く。翌々日も書く。すると心の皮膚は再び厚くなり、不安の声はだんだんBGMのように気にならなくなっていきます。
■ 痛みは「生きている証拠」である
もうひとつ、大事なことがあります。
ギターを弾いて指が痛いのは、弾いたからです。
文章を書いて心が痛いのは、書いたからです。
痛みがあるということは、あなたはもう動き出しているということです。
本当に怖いのは痛みではありません。痛みすら感じなくなること——つまり、弾くのをやめること、書くのをやめることです。
痛いうちは大丈夫。それはタコが育っている途中の、再生の痛みです。
■ あの頃の自分へ、今の自分から
この記事の原型は、2019年に書いた短いエッセイでした。当時の自分は「ブログを書くのがちょっときつくなっている」と正直に書いていました。
あれから何年も経って、書いたり止まったりを繰り返してきました。そのたびに心のタコは薄くなり、そのたびにまた痛みを感じながら書き直してきました。
でも気づいたことがあります。タコは取れても、コードの押さえ方は身体が覚えていたように、「書き方」は残っているんです。ブランクで失われるのは自信であって、技術ではない。
だから、もしあなたが久しぶりに書こうとしていて、心が痛いなら。
それは正常です。タコが育てば収まります。
まずは今日、1行だけ書いてみてください。
さて、今日も物語を書きましょう。腰は壊しても、筆は折らない。
腰ボロ作家