「小説家に向いている人、向かない人」特徴まとめ
小説家に向いている人の話をします。
ただし、この記事ではスキルの話は一切しません。「毎日1万字書く根性が必要」とか「一度始めたら完結させる粘り強さが大事」とか、そういう正論は他の記事に任せます。
ここでは、もっと生々しい「性格の話」をします。小説家という職業に向いている人は、実は社会一般の「いい人」の定義とはちょっとズレています。
ワガママであること
ワガママとは、周囲のことを考慮しないで、自分が好きなように行動すること。
小説家には、これが必要です。
Web投稿サイトに作品を載せると、様々な感想がきます。「展開が遅い」「ヒロインが可愛くない」「テンプレ通りに書いた方が読まれますよ」。
ここで読者の声をすべて受け入れて方向転換するのは、一見「柔軟」に見えますが、実は「軸がない」ということです。
もちろん参考にはすべきです。でも、自分の「面白い」にケチをつけられて「何言ってんだお前」と思える人の方が、長く書き続けられます。ワガママが創作の燃料です。
心が豊かであるより、「気持ちよくなりたい」
心が豊かであることは人生において素晴らしい。穏やかで、人間関係が良好で、経済的にも安定している。
でも小説家は、心が豊かでなくても全然やっていけます。
むしろ心が貧しいとき——借金にまみれているとき、理不尽な上司に怒りを覚えているとき、社会に不満を抱いているとき。そのフラストレーションを物語に変換できるのが小説家です。
日常生活で解消できない鬱屈を、フィクションの世界で「気持ちよく」解消する。それは逃避ではなく、立派な創作動機です。
「心が豊かになりたい」ではなく「気持ちよくなりたい」をエネルギーにできる人は、小説家に向いています。
批評は読まない、ファンブックは読む
「批評」とは、物事の価値を公平かつ客観的に論じることです。学術的には重要な行為ですが、小説家の日常には必ずしも必要ありません。
小説家は、主人公の「絶賛物語」を書く職業です。主人公を批評する物語を書いても、読者は気持ちよくなれません。
好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。このシンプルな感性を持っている人が、読者を惹きつけるキャラクターを書けます。
批評的な視点がまったく不要とは言いません。ただ、好き嫌いのハッキリした人が書く物語には、熱量があります。批評は読まない、ファンブックは読む。 それくらいの偏りがあっても、創作の世界では美徳です。
「全部読む」より「おすすめだけ読む」
「小説家になりたいなら本を読め。寝食を捨てて読め」——これはスティーブン・キングの言葉です。出来の悪い小説からも学びがある、というのが彼の主張でした。
その通りだと思います。ただし、2026年の現在、読める作品の数は爆発的に増えました。全部読むのは物理的に無理です。
「オススメだけ読む」で十分です。 出来の良い小説にも悪い点はありますから、良い作品を読むだけで良い点と悪い点の両方を学べます。
流行り物好きなミーハーであること。友達や書き手仲間のおすすめを即座にチェックすること。この機動力がWeb小説の世界では武器になります。
好きなものを「けなされる」のが許せない
投稿サイトの感想に批判的なコメントが来て、ショックでご飯が食べられなくなる。
それは、小説家の素質です。
自分の書いた作品を本気で愛している証拠だからです。作品を愛していなければ、批判されても何も感じません。
「私の好きなものはこの小説に込めた。だからけなさないで」——このメンタルは一見繊細に見えますが、実は最強の防御です。自分が好きなものを全力で守れる人だけが、ファンをつくり、作品を守り、長く書き続けることができます。
ただし、その怒りをSNSで批判者にぶつけるのはNG。怒りはすべて、次の作品にぶつけましょう。「これが正しいのだ」とペンで殴り返す力が、小説家の武器です。
自分と違う意見は物語のネタにする
自分と違う意見に出会ったとき、イライラする。それは繊細な感受性の証拠です。
問題は、そのイライラの使い道。
SNSで反論ポストを書いても消耗するだけです。それよりも、その「許せない意見」を敵キャラに言わせましょう。物語の中で論破すればいい。これが「小説家的な怒りの使い方」です。
社会のここがおかしいと感じたとき、具体的に政治家の名前を出して批判を始めるのは実業家の仕事です。小説家は、その不満を面白い物語に変換して、人々の無念を晴らすのが仕事。
「悪っぽいものを叩きたい」気持ちを、物語に昇華できる人。 これが小説家に向いている人の最後の条件です。
まとめ:小説家適性チェック
| 特徴 | 向いている人 | 向かない人 |
|---|---|---|
| 他人の意見 | 参考にするが最終判断は自分 | すべて取り入れて方向転換する |
| 創作の動機 | 鬱屈やフラストレーションを変換する | 穏やかな気持ちでないと書けない |
| 読書スタイル | 好きなものを深く読む | 義務感で広く浅く読む |
| 批判への対応 | 怒りを次の作品に変える | SNSで反論するか萎縮する |
| 社会への不満 | 物語に昇華する | 具体的な政治批判に走る |
小説家に向いている人は、世間的に見れば「ちょっと面倒くさい人」かもしれません。ワガママで、好き嫌いが激しくて、批判されると落ち込むけど、ペンを握ると強くなる。
でもそれでいいのです。その「面倒くささ」こそが、物語を生む原動力なのですから。
さて、今日も物語を書きましょう。腰は壊しても、筆は折らない。
腰ボロ作家
ディスカッション
コメント一覧
はじめまして。現在は読み専ですが、書いてみたいと思っている者です。
コメント致します。長くなります。
・小説家というより、表現者というのは、必ずしも時の権力者を批判するものではないけれども、ある種の毒を持っているものです。
どんな作家でも、何かしらの自分で伝えたいもの(テーマ)は作品に入れているものです。
心が豊か、落ち着いている、今が不幸だ、不満を抱えている、生活が規則正しい、というよりも、毒を持っているかどうか、何かを犠牲にしても伝えたい表現したいものはあるかどうかが要のように思います。
感性は鋭いほうが向いています。自分ならどんな感情を抱くか、どんな行動に出るか。これを経験したら、自分が同じ立場だったら、と自分の身に置き換えて考えられるかでしょう。
・表現者というのは、政治や社会問題に口は出さなくても、何かしら思うところはあったり、問題意識は持っているものです。
それらに口出しした作家表現者は多数います。代表は、三島由紀夫。今なら、小林よしのり。
戦後サブカルの先駆けともいえる、手塚治虫宮崎駿水木しげるはこぞって左翼思想で名高い。
明治大正の作家小説家は、知識人も兼ねていたため、その過程で何か言うことはあった。
「半沢直樹」作者は金融機関で仕事していた経験がある。
セゾングループ創始者の堤清二氏は同時に作家でもあった。
森博嗣氏は工学博士の傍ら、ミステリー作家でもあった。
ホリエモンや前田裕二や永松茂久などの実業家は自らが直接動いて現実を変えようとするのに対し(選挙に出馬する人も同じですね)、作家(特にファンタジーラブコメなろう小説家)は陰ながら社会に貢献するものなのでしょう。
とはいえ、物事・政治・社会の不満や欠点を、そのまま伝えても面白くありませんね。私自身、あまり言わないほうですし、起業するほどのアイデアも人脈も体力もないです。
ノンフィクション作家は、はっきりと自分の意見を表明しているものですが。
婉曲ぼかし表現で間接的に伝えてこそ、(フィクション物語)作家なのでしょう。
ここまで読んで頂きありがとうございます。