凡人がライトノベル中級者に上がるための心構え。努力しない天才の時代は終わった
「毎日少しでも書こうと思うのに、どうしても手が止まってしまう」「自分が凡人だという現実に直面して、才能のなさに絶望してしまう」と悩んではいませんか。
この記事では、ライトノベルやWeb小説における「天才と努力の関係性」、そして初心者から中級者へ上がるための心構えについて説明します。
この記事を読むと、才能という呪縛から解放され、あなたが今日もう一度キーボードに向かうための静かな活力を得ることができます。
創作界隈にはびこる才能至上主義のファンタジー
漫画やアニメ、ライトノベルなどの創作物における「天才キャラ」は、努力と無縁のキャラクターが多く描かれていますよね。
例えば、多くの人が知っている『呪術廻戦』の五条悟。
彼は呪術界御三家の現当主であり、高身長かつ超イケメン。自身の周囲に無限を呼び出して相手が触れられない領域を作ったり、空間操作を行えるチートレベルの術式を生まれつき持っています。さらに呪力のコントロールに長けた特殊な目を持ち、呪力量も圧倒的という設定です。
もちろん、彼も後天的に高難度の技を身に着けるなど、まったく努力をしていないわけではありません。
しかし、才能と努力の割合でいえば、才能9割、努力1割くらいのイメージではないでしょうか。生まれつき圧倒的な才能があって、学生時代から遊びながら飄々と過ごしているのに、いざ戦えば誰よりも強いわけです。
これはエンターテインメントとしては、最高に面白いキャラクター造形です。読者はそういう「圧倒的な才能による無双」に憧れ、カタルシスを感じます。
私たち創作者も、日々そういった魅力的なキャラクターを好んで書き、また彼らに強く影響を受けています。
しかし、その「才能だけで無双できる」というフィクションの法則を、無意識に現実の自分にまで当てはめてしまっていないでしょうか。
天才が努力しなければ無双できない時代
ここで一度、視点を現実世界に戻してみましょう。
現代のスポーツ界や勝負の世界でトップを走る、誰もが認める「天才」といえば誰でしょうか。
将棋の藤井聡太さんや、野球の大谷翔平選手などが真っ先に思い浮かぶと思います。
彼らは「才能だけで無双している、練習嫌いの遊び人」でしょうか?
全く逆ですよね。彼らは持って生まれた素晴らしい才能がある上で、それを磨き上げるために誰よりもストイックに、最新のテクノロジーや合理的なデータ分析を活用し、黙々とトレーニングをこなしています。
昭和のスポーツ選手によくいたような、酒を飲み、煙草を吸い、練習もそこそこに試合でホームランをかっ飛ばす豪傑のような「野良の天才」は、現代のプロの世界ではとうの昔に淘汰されてしまいました。
現代は、どれほど圧倒的な才能を持つ天才であっても、狂気的なまでの努力と練習を重ねなければ、トップ層で無双することはできない時代なのです。
あなたの物語に活かすなら:才能と努力の再定義
この現実は、私たちが小説を書く上での「キャラクター造形」にもそのまま応用できます。
もしあなたが今、新しい物語の構想を練っているなら、こんな設定はいかがでしょうか。
• 努力する凡人が、傲慢な天才を打ち破る展開
例えばスポーツ漫画『ハイキュー!!』に登場する及川徹のように、自身の才能の限界を悟りながらも、泥臭い努力と狂気的な執念で、圧倒的な才能を持つ後輩(天才)に立ち向かうキャラクターです。現代の読者は、才能だけで勝つキャラクターよりも、「裏で血を吐くような努力をしている人間」の姿にこそ、深い共感と感動を覚えます。
• 天才が誰よりもストイックに努力しているという裏の顔
人前では涼しい顔をして才能だけで何でもこなしているように見える天才キャラが、実は誰も見ていないところで、ボロボロになりながら修練を積んでいる。その「隠された努力の描写」を入れるだけで、キャラクターの深みは格段に増すでしょう。
凡人が生き残るためのシンプルなたった一つの答え
キャラクター造形の話から、再び私たち自身の執筆の話に戻りましょう。
藤井聡太さんや大谷翔平選手のような「真の天才」ですら、血を吐くような努力をしなければトップに立てない現代。
そんな時代において、私たちのような「凡人」はどうやってプロを目指し、あるいは中級者へとステップアップしていけばいいのでしょうか。
才能がないから諦めるべきでしょうか。
遺伝子や環境を恨んで、挑戦する前から筆を折ったほうが楽でしょうか。
違います。答えは非常にシンプルです。
私たちも、彼らと同じようにただひたすらに努力し、練習することです。
そもそも、何かの分野で「歴史に名を残す天才になりたい」「一瞬でトップを取りたい」というロマンを抱きすぎるから苦しくなるのだと私は思います。
創作物のキャラクターに影響され、「努力せずに才能だけでスラスラと名作が書ける自分」を夢見ていると、真っ白なWord画面に向かったとき、何も書けない自分の現実に絶望してしまいます。
誰もが歴史に名を残す天才である必要なんてありません。
遺伝子が才能の多くを決めるという残酷な研究結果もありますし、どれだけ私たちが努力しても、トップ層にいる「努力する真の天才」には一生勝てないかもしれません。
しかし、「これなら自分でも楽しく続けられる」という自分なりのペースで、昨日よりも今日、今日よりも明日、少しずつ文章を書き、物語を構築する「練習」を続けることは、才能に関係なく誰にでもできます。
努力を継続できる人だけが中級者になれる
以前、私は「成功するかどうかは、才能や血筋ではなく生き様で決まるのではないか」という趣旨の記事を書きました。
遺伝や環境を言い訳にして、自分の頑張る気力をそぎ落とす風潮には、今でも強い違和感を覚えています。
結局のところ、創作の世界で最後に残るのは「才能の有無」ではなく、「努力を継続できたかどうか」という一点に尽きます。
楽しんで書き続けるための方法を、自分なりに模索し、工夫すること。
毎日1時間でも、あるいは1日たった数百文字でも、ただキーボードに向かって物語を紡ぐという「練習」を継続すること。
それが「ご飯を食べるように」「歯を磨くように」自然にできるようになったとき。
あなたはもう初心者ではなく、堂々とライトノベル中級者へ足を踏み入れているはずです。才能のなさを嘆く時間は、もったいないです。まずは今日の分の文字を、1行でもいいから書きましょう。凡人には凡人の、泥臭くも美しい戦い方があるのですから。
まとめ
この記事の前半の要点を軽く振り返っておきましょう。
• 現代は、本当の天才ですらストイックに努力しなければトップに立てない時代。
• キャラクター造形においても、「努力」の要素を組み込むことで読者の共感は跳ね上がる。
• 凡人が生き残る唯一の道は、絶望せずに「自分なりのペースで書き続けること」だけ。
どうですか、少しだけ書ける気がしてきましたか?
才能がないと落ち込むことは、決して恥ずかしいことではありません。それはあなたが、自分の作品を本気で良くしたいと願っている証拠だからです。
もし執筆に疲れたり、前に進めなくなって悩むことがあったら、いつでもこのブログに戻ってきてください。同じように才能の壁にぶつかり、苦しんできた私が、基礎から応用まで気づいたことをここに書き綴っています。
さあ、今日も物語を書きましょう。あなたの傑作を待っています。
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