【映像×創作】『記憶にございません!』から学ぶ「記憶喪失で人を白紙に戻す喜劇の構造」
三谷コメディ最高傑作、誕生!!
史上最悪のダメ総理が、ある日突然記憶喪失に……!?
これまで日本中にたくさんの笑いを届けてきた三谷幸喜監督待望の最新作!
「もしも自分が、総理大臣になったら……?」そんな、誰もが一度は子供の頃にしたかもしれない空想から生まれた、三谷監督によるオリジナルストーリー。そして、今作でも日本映画界屈指の俳優陣が三谷監督のもとに集結!
主人公の記憶喪失の総理大臣・黒田啓介に、中井貴一。総理を支える怪しい首相秘書官・井坂に、ディーン・フジオカ。総理の訳ありの妻・聡子に、石田ゆり子。政界を牛耳る邪悪な官房長官・鶴丸に、草刈正雄。総理をゆする謎のフリーライター・古郡に、佐藤浩市。さらに、熱き事務秘書官に小池栄子、マイペースな官邸料理人に斉藤由貴、米国初の日系女性大統領に木村佳乃、白いスーツの野党第二党党首に吉田羊、総理の恩師に山口崇、職務熱心な警官に田中圭、あこぎな建設会社社長に梶原善、石を投げるのが得意な大工に寺島進ほか、三谷映画でしか見られないオールスターキャストによる笑いの競演が実現します!
『THE有頂天ホテル』『ステキな金縛り』の流れを組む、現代を舞台としたシチュエーションコメディである今作は、まさに三谷コメディの真骨頂にして最高傑作!こんな映画、今まで記憶にございません!
https://www.toho.co.jp/movie/lineup/kiokunashi-movie.html
2019年、三谷幸喜監督の最新作として公開された『記憶にございません!』。史上最低の支持率を誇る総理大臣が記憶を失い、純粋な心で政治と家族に向き合い直すというコメディです。三谷監督らしいテンポのよい群像劇で、劇場は終始笑いに包まれていました。
しかし、この映画を創作者の目で見ると、「記憶喪失」というギミックの構造的な巧さに感心させられます。私はこの作品を「Web小説の最強無双の延長線上にある」と感じました。確かに、記憶を失った総理大臣が純粋な人格で周囲を動かしていく構造は、異世界転移した主人公がチート能力で問題を解決していく構造と相似形です。なぜ「記憶喪失コメディ」はこんなにも強い物語装置になるのか。3つの仮説を立てて分析してみました。
仮説1:「キャラクターリセット」が観客に人物再発見の快楽を与える
記憶喪失というギミックの最大の効果は、キャラクターを白紙に戻せることです。総理大臣・黒田啓介は、記憶を失う前は傲慢で自分勝手な嫌われ者でした。しかし記憶を失ったあとは、まるで別人のように善良で正直な人物として振る舞います。
ここで重要なのは、「記憶を失った彼が本来の彼なのか?」という問いを観客に突きつけている点です。傲慢な黒田は、権力と環境が作り上げた人格だったのか。それとも、純粋な黒田こそが記憶喪失による一時的な幻なのか。この問いは最後まで明確な答えが出されません。
『ドラゴンボール』のベジータも、長い連載の中でキャラクターが軟化していきましたが、あれは段階的な変化です。一方、記憶喪失は瞬間的にキャラクターを別人にできる。その即効性が喜劇のテンポと相性がいいのです。長編小説なら時間をかけてキャラクターを変えられますが、2時間の映画や短編では、記憶喪失のような「リセット装置」が非常に有効だと感じます。
さらに面白いのは、記憶喪失のキャラクターは「自分が何者か知らない」という状態で行動するため、観客が彼より多くの情報を持つことになる点です。これは「ドラマティック・アイロニー」と呼ばれる技法で、ヒッチコック監督が得意とした手法です。観客だけが爆弾の存在を知っているのと同じ構造で、「彼がまだ自分の正体を知らない」という緊張感が持続的な面白さを生みます。
仮説2:「地位×純粋さ」のギャップが笑いと感動を同時に生む
三谷喜劇の核心は、「ギャップ」の設計にあると考えます。総理大臣という日本で最も権力と責任を持つポジションに、純真で何も知らない人間が座っている。この組み合わせが不条理なほど面白い。
しかし、笑いだけでは映画は終わりません。純粋な黒田が政治の現実と向き合い、少しずつ「正しいことをしたい」と行動し始めると、笑いは自然と感動に変わっていきます。彼が何も知らないからこそ、利権やしがらみに縛られず、素朴な「それってダメじゃないですか?」という問いを投げかけられるのです。
この構造は、『フォレスト・ガンプ』と類似しています。知的障害を持つフォレストが、純粋さゆえに歴史のただ中に入り込み、結果的に大きなことを成し遂げていく。彼が賢いから成功するのではなく、純粋だから成功する。この「愚者の勝利」パターンは、古くはシェイクスピアの道化から続く西洋文学の伝統でもあります。
ここから得られる創作のヒントは、「高い地位」と「低い知識」を組み合わせるとほぼ自動的にドラマが生まれるということです。将軍が自分の国の歴史を知らない、大魔法使いが魔法の理論を忘れている、世界的シェフが味覚を失う——地位と能力のギャップは、コメディにもシリアスにも展開できる万能の起動装置になります。
仮説3:「周囲の変化」が物語の真のゴールになっている
本作が単なるドタバタコメディで終わらないのは、記憶を失った黒田によって周囲の人間が変化する構造があるからです。
妻は、夫が純粋に変わったことで、自分が本当は何を望んでいたかに気づきます。秘書は、権力者に従うだけだった自分の姿を見つめ直します。息子も、父との関係を再構築していく。つまり、黒田自身の変化は物語のトリガーであり、真のゴールは周囲の人間の変化なのです。
登場人物の心が変わる、それが物語です。この言葉がまさにこの構造を指しています。これは『クリスマス・キャロル』のスクルージの構造と同じですね。スクルージ自身が変わるのは物語の最後ですが、彼の変化が周囲の人々の未来を変える。一人の変化が波紋のように広がっていく構造は、読後感を豊かにします。
さらに注目すべきは、黒田の周囲の変化が不可逆であるという点です。たとえ黒田が記憶を取り戻して元の嫌な性格に戻ったとしても、周囲の人間が変わってしまった以上、関係性は元には戻りません。この「不可逆の波紋」が物語に深みを与えています。
あなたの物語に活かすなら
『記憶にございません!』から、3つの技法を抽出できます。
1. リセット装置でキャラクターを白紙にする
記憶喪失以外にも、キャラクターを白紙に戻す装置はたくさんあります。異世界転移、身体の入れ替わり、時間の巻き戻し——いずれも「今の自分ではない自分」として世界に向き合い直す機会を与える装置です。短編で使う場合は、白紙状態から元に戻るまでの間に何が起きるかに焦点を当てると効果的です。
2. 地位と能力のギャップでドラマを起動する
以下のような組み合わせだけで物語の種が生まれます。
| 高い地位 | 低下する能力 | 生まれるドラマ |
|---|---|---|
| 王 | 記憶の喪失 | 見えなかった民の苦しみを初めて知る |
| 大魔法使い | 魔力の消失 | 力なき者の世界を体験する |
| 天才剣士 | 利き手の負傷 | 別の戦い方を模索する |
3. 主人公の変化をトリガーとし、周囲の変化をゴールにする
主人公が変わる物語はたくさんありますが、もう一段深い物語は「主人公が変わったことで、周囲も変わる」という二段構造を持っています。特に、その変化が不可逆であると物語の余韻が強くなります。「元に戻っても、もう同じではない」という感覚が、読者の記憶に残ります。
まとめ
『記憶にございません!』は、記憶喪失によるキャラクターリセット、地位と純粋さのギャップによる笑いと感動の両立、そして周囲の不可逆的変化を真のゴールに据えた構造——この3層で、極上のコメディにしてヒューマンドラマを実現した作品でした。勉強になりました。
三谷幸喜という名前だけで観に行く人も多いでしょう。しかしその笑いの裏にある構造設計を言語化してみると、私たちの創作にも転用できるヒントがたくさん見つかります。特に「リセット装置」の発想は、いつか行き詰まったときの切り札として覚えておいて損はないと思います。あなたのキャラクターを一度白紙にしてみるだけで、新しい物語が見えてくるかもしれませんよ。




