【映像×創作】『ジョーカー』から学ぶ「共感できるヴィランの設計法」

2019年10月18日

2019年、『ジョーカー』はヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、コミック原作映画として初の快挙を成し遂げました。興行収入は全世界で10億ドルを突破。R指定映画としても歴代記録を塗り替えています。しかし、この作品が本当に衝撃的なのは数字ではありません。観客が「悪役に共感してしまう」という体験を、ここまで精密に設計したことです。

本当に凄まじい映画でした。
映画でしかできない表現です。

なぜなら漫画や小説やドラマでこの話をやろうとしたら、確実にお客さんがついてこないからです。日本ではこの企画を持ち込んだ際に、映画に出来るかも怪しいと思います。海外はこの映画のオッケーがでて、実際にヒットするのだから凄いです。表現の自由が何よりも確保されているのだとわかります。確実に時代を表す映画の1つとして後世に残る作品です。

物語作家の目線から見た場合、この映画はキャラクター創造にあたって重要なことを教えてくれます。それはjokerを作り出すのは孤独と病気と貧困であることです。これは狂人を描き出すときの1つのテンプレとして考えていいと思います。

アーサー・フレックはバットマンの宿敵であるジョーカーの誕生譚を描いた主人公ですが、注目すべきは「孤独・病気・貧困」というこの3重の苦境が、彼を「同情できる狂人」に仕立て上げています。なぜこの組み合わせが強力なのか。3つの仮説を立てて考えてみました。

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仮説1:「3重の社会的排斥」が観客の防衛線を一枚ずつ剥がす

アーサーが抱える問題は1つではありません。孤独——友人がおらず、母親との閉じた関係しか持たない。病気——感情と無関係に笑いが止まらなくなる神経疾患。貧困——コメディアンを夢見ながらもピエロの仕事で糊口を凌ぐ日々。この3つは、どれか1つでも十分に苦しい状況です。しかし映画はこれらを同時に積み上げます。

この積み上げ構造が巧みなのは、観客の「自分とは違う」という心理的距離を段階的に縮めるからです。孤独だけなら「自分は友人がいるから違う」と距離を取れます。病気だけなら「自分は健康だから」と思えます。しかし3つが重なると、「もし自分がこの状況に置かれたら……」という想像が発動するんですよね。

これは『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンにも通じる手法です。彼もまた、貧困→投獄→社会的排斥という多層的な苦境から出発しています。ヴィクトル・ユゴーが1862年に完成させたこの小説は、読者を犯罪者の側に立たせるために「社会が先に彼を裁いた」という構造を用いています。『ジョーカー』も同様に、アーサーが暴力に至る前に、社会がアーサーを暴力的に扱っている描写を重ねることで、因果の順序を逆転させているのです。

仮説2:「笑いの病」が共感のショートカットになっている

アーサーの神経疾患——不随意に笑ってしまう症状——は、物語上の重要な装置です。場面にそぐわない笑いは、彼の内面と外面の乖離を可視化しています。悲しいときに笑い、怯えているときに笑い、怒りのなかで笑う。感情と表現が一致しない苦しみを、観客は映像で直接目撃することになります。

これは非常に創作的なテクニックだと感じました。通常、キャラクターの内面は台詞やモノローグで説明しますよね。しかし「台詞で語れない感情」を持つキャラクターがいたら、別の手段が必要になります。アーサーの笑いの病は、「言葉にできない」ことそのものを表現する装置なのです。

似たアプローチとして、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のヴァイオレットが挙げられます。彼女は感情を理解できないという設定を持ち、「愛してるを知りたい」という動機で物語が進みます。感情を表現できないキャラクターの内面を描くために、「手紙の代筆」という外的行為を介在させている。アーサーの「笑い」もヴァイオレットの「手紙」も、内面を直接語らずに外的な行為で翻訳するという同じ原理に基づいています。

ここから見えてくるのは、キャラクターに「感情表現の障壁」を設定すると、その障壁自体が物語の推進力になるということです。感情が素直に出せないからこそ、それが漏れ出る瞬間に観客は心を動かされます。

仮説3:「社会の鏡」としてのヴィランが現代の共感装置になる

私はこの映画を観て、ジョーカーとは「無敵の人」だと感じました。失うものが何もない人間は、社会のルールに従う理由がなくなる。この構造は2019年の現実社会の問題と重なり、フィクションと現実の境界を危うく揺さぶりました。

ここで重要なのは、映画がアーサーの暴力を「肯定も否定もしていない」ように見せるバランスです。カメラはアーサーの視点に寄り添い続けますが、彼の行為を美化はしていません。階段を踊り降りるシーンは解放の高揚に満ちていますが、その直前に殺人があることを観客は忘れられない。この二律背反が、本作を単なるヴィランの英雄譚から引き上げています。

『進撃の巨人』のエレン・イェーガーも、物語後半で同じ構造を獲得したキャラクターです。読者が長く感情移入してきた主人公が、ある時点からヴィランの論理で行動し始める。しかし読者はエレンの苦しみも動機も知っているから、完全には否定できない。この「否定しきれない加害者」の設計は、現代の物語における最も挑戦的なキャラクター造形の一つだと考えます。

あなたの物語に活かすなら

『ジョーカー』のヴィラン設計から、3つのヒントを抽出できます。

1. 苦境は単層ではなく多層で設計する

読者に共感させたいキャラクターには、1つではなく最低3つの異なる領域の苦境を与えてみてください。経済的困窮、身体的ハンデ、人間関係の欠損——これらが掛け算になったとき、「自分とは違う」という距離感が消えます。

2. 感情表現の障壁をキャラクター設定に組み込む

「素直に泣けない」「怒りを言葉にできない」「好意を表現する方法を知らない」——感情の出口を塞ぐことで、その感情が別の形で漏れ出る瞬間がドラマになります。その障壁がキャラクターの職業や能力と絡むとさらに効果的です。

3. ヴィランの論理を「否定しきれない」レベルで設計する

ヴィランを魅力的にするコツは、彼らの「目的」に一片の正当性を持たせることです。手段は間違っていても、出発点にある痛みは本物だと読者に感じさせる。その綱渡りのバランスが、読者を引き裂くような感情体験を生みます。

技法『ジョーカー』での実装あなたの物語での応用例
苦境の多層化孤独×病気×貧困の3重構造経済・身体・関係の3領域で苦境を設計
感情表現の障壁笑いの病で内面と外面が乖離泣けない戦士、怒れない聖女など
否定しきれない論理社会が先に彼を排斥している因果目的は正当だが手段が間違う敵役

まとめ

『ジョーカー』は、多層的な社会的排斥、感情表現の障壁、社会の鏡としてのヴィラン設計という3つの技術で、「共感できる悪役」を精密に組み上げた作品でした。勉強になりました。

自身の経験と重ねて言えば、孤独・病気・貧困の3つが揃うと人は壊れます。これは実感です。創作者として、その3要素をヴィランの設計図として活用することもできますが、同時に、自分自身が3要素に囲まれていないか点検することも大切かもしれません。物語を書く人間が壊れてしまったら、物語は誰が書くのでしょうか。

もし悪役の造形で手が止まったら、「あなたの敵キャラの痛みは本物ですか?」——その問いが、きっと突破口になるはずです。

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